午前2時の公園まぼろしの秋入日 球場のある公園球場の冷え始む 秋落葉すでに未来は頓挫せり きゃりーぱみゅぱみゅ平成の世は夢ばかり 自暴自棄になりそうだ黄金の風が吹く パンパンパン白夜の祭り一度だけ 晩秋の足音能舞台からさようなら 晩秋と言わず人工の滝を指す 桜紅葉の枝垂れしまま火達磨に 深秋や愛なき世界転がりだす
今日はついに30度に達した。雲がかなり出ていたが雨の降る気配は無かった。このまま週末までゆきそうである。近隣のJR駅周辺で予定を消化し、駅前の書店で何か俳句関連のものを探してみたが文庫で理系出身の中堅俳人のノウハウ本を1冊見かけただけであった。食事の後いつもの鉄塔のある公園でベンチに陣取りあたりを見つめたが一向に句が浮かんで来ない。この場所では眼前の木々や人の姿を詠み続けて来たが今日は押しても引いても句想というものが浮かばなかった。そこで頭上の旅客機が音も立てず飛び去ってゆく様を単純に句にしてみた。その1句をきっかけにベンチに残されたゴミや通り過ぎる小学生の姿に目をこらしては句のアウトラインを書き止めていった。その中である宗教団体の布教の女性が声をかけてきた。よく知っている団体だったので一通り話を聴き、今生ではこれまでですね・・と制し退散願った。何とか10句程度書き留めることが出来たのは幸いであった。
秋天に溶け込む飛機は無言なり 鉄塔の儚さ秋の陽の踊りだす 宇宙の塵がベンチに置かれ後の月 天国と地獄七泊八日の夏舞台 逝く夏のモニュメント人間は神だった 生きていれば大丈夫秋燕の飛翔せり 坂道を灯せば渋谷は秋ばかり ランドセルのガリバー旅行記秋迎へ 神の愛は未完の愛とも驟雨来る はぐれ凧だいだらぼっちの空が見ゆ スケボーは禁止深秋への階段か
秋天に溶け込む飛機は無言なり 鉄塔の儚さ秋の陽の踊りだす 宇宙の塵がベンチに置かれ後の月 天国と地獄七泊八日の夏舞台 逝く夏のモニュメント人間は神だった 生きていれば大丈夫秋燕の飛翔せり 坂道を灯せば渋谷は秋ばかり ランドセルのガリバー旅行記秋迎へ 神の愛は未完の愛とも驟雨来る はぐれ凧だいだらぼっちの空が見ゆ スケボーは禁止深秋への階段か
今日は月末の諸用件の終了後近隣のJR駅で久し振りに好物のとんかつを食べ満足の一日であった。この駅前は広大な公園がいくつかに分かれて拡がっている。その中の駅に一番近く、武道館への通路にもなっている場所が私の吟行地のひとつである。送電塔が周囲に何本か屹立し、眼前には地上を走る地下鉄の支線がさらに空中を走っている。駅前だけでなくかなり離れたところまで小さな商店街が散らばっている。この鉄塔の見える公園でこの日はさんざん座っていた。必需品の缶ビールも何と4本である。まず武道館からの大会参加者の列が続く。時折スポーツ外の何かの大会の場合もあるが、南関東のインターハイの幟が並んでいた。両脇のベンチには外人や何かブツブツ言っている老人、フリーター、杖をついた中年男性・・もちろん犬の散歩はひっきりなしに続いてゆく。句はガラケーのメモに書き込んだ。
夏疾風どこまで東京の体育祭 コクリートの円柱夏服の干されをり モノクロの記憶は死なず夏の星 オスプレイに三本の角空炎ゆる ここからは炎天公園で杭を打つ 夏の艪やその白熱を追い詰める
夏疾風どこまで東京の体育祭 コクリートの円柱夏服の干されをり モノクロの記憶は死なず夏の星 オスプレイに三本の角空炎ゆる ここからは炎天公園で杭を打つ 夏の艪やその白熱を追い詰める
今夜いつもの駅前のコンビ二に買出しに出掛けるついでに球場のある公園に寄ってみた。目当ては銀杏青葉の巨木を見上げるベンチである。夏空に向かって、眼下の通路に向かって際限なくその領域を拡げてゆく木のパワーは何に由来するのかはかり知れない。ただただ圧倒されて見上げるだけである。明日で7月が終り、何のてらいも無く8月に入ってゆく。この数日に結社各誌が届く。現在4誌だがこのままゆくとキリが無いのでとりあえず1誌は切り捨てるつもりである。自選欄もあるのでまだもう少し・・と思ってもみたがやはりダメである。俳句や言語表現をめぐる基本的な考えが天と地ほど違っている。同じ人間社会でましてや同じ民族・国家において悲劇である。さてこの後NHKの歴史ヒストリアの与謝蕪村特集を観たい。
青葉若葉人間になる夢を見た 母逝きてなほ夏落葉拾いけり アルベール・カミュの『最初の人間』戦争は止めておけ(再録) 戦さとはただ一輪の薔薇を待つ 醒め醒めと空蝉「愛さずにはいられない」
青葉若葉人間になる夢を見た 母逝きてなほ夏落葉拾いけり アルベール・カミュの『最初の人間』戦争は止めておけ(再録) 戦さとはただ一輪の薔薇を待つ 醒め醒めと空蝉「愛さずにはいられない」
今日の東京北部は早朝に肌寒く、日中も32度止まりで最近の猛暑よりはいくぶん過ごしやすかった。夕刻より駅前に買い物がてらいつもの吟行地のひとつ球場のある公園に出掛けた。そこにある6個横並びのベンチの一つに座り、缶ビールを開ける。眼の前にはなじみの銀杏の大木がそそり立ち、日々次第にその青葉の分量を増してゆく。昨年11月に早々と剪定が行なわれ、その後も冬の間繰り返し続けられた。これではもう春には芽吹くことはないのではと心配していた。それが4月には青々と葉が甦り、今では空を覆い隠し、樹の下の通路に垂れ下がるほどのボリュームである。この真下でまだ明るいうちからのんびりと缶ビールを煽り、鬱蒼と生え揃った銀杏青葉を見上げる気分の爽快さは何ものにも替えがたいものである。夜8時からのNHK歌謡コンサートがなければそのまま何時間でも見上げていたい気分であった。
銀杏青葉ふくらむ速さもて尊し 喝采の球音夏空に翳りなし 夏つばめ空の興亡炎となれり 夕立晴れ砂漠に空中庭園あり P‐ARK新装開店夏深し(駅前の巨大パチンコ店)
銀杏青葉ふくらむ速さもて尊し 喝采の球音夏空に翳りなし 夏つばめ空の興亡炎となれり 夕立晴れ砂漠に空中庭園あり P‐ARK新装開店夏深し(駅前の巨大パチンコ店)