もう一段の貧しさ風鈴の鳴らぬ日は* 蛇衣を脱ぐ仏壇は仮の宿 体当たり三度目かなぶん兵器と化す 清水飲む飲まぬは自由敗戦日 快音の続けばつづく晩夏の死 大西日マルクス・エンゲルス全集燃え始む 後戻り出来ぬ出会いに麦茶かな ハンカチくらい持てよ地獄を見たからは 愛の消えた街とはどこか書を曝す(尾崎豊三部作)* 水鉄砲水切れてよりずぶ濡れに 木下闇小澤一郎の父と母 向日葵やわたしはワ・タ・シ死ねません 天皇は元首にあらず梅雨出水
*写真は1980年代を《強く生きる》ことをテーマに駆け抜けた中森明菜さん。実は、重度のうつ病に苦しんでいた。
夏送る中森明菜の難破船 まほろば
ところで、これほどまでに私たちの近代的知(対象的認識)とそれに基づく〈定型表現〉を蹂躙してしまう〈国家意志〉とは、どのように現出して来るのだろうか。続けて、坪内はいう。
三鬼の言い方にならうなら、ぼくたちは、個々に、その生活において、いやおうなく〈国家意志〉の内側にいる。ぼくたちは国家によって首根を押さえつけられている。階級社会においては、国家が一部の階級の利益を、社会の共同利益として仮構し、その仮構のために、国家がひとつの権力として現れる。・・・単に、酷烈なる精神を唱えても、階級社会への眼が曇っていては、一切はきれい事にしか終らない。戦後の三鬼が立っていたのは、こういうきれい事に大きく加担した場所だったのである。文化はーというより、法・道徳・宗教・言語規範などの意識は、ぼくたちの生活のなかで、いつも〈国家意志〉に刺し貫かれいる。自然(季)や伝統に、また俳句形式に身をゆだねることは、ぼくたちが、その生活において、無意識のうちに〈国家意志〉にからめとられ、それに慣らされていることである。一見して平和で、安定してみえる時代こそ、ぼくたちがその感性の基盤を、〈国家意志〉に侵蝕される危機は強くなる。ぼくたちが自らの言葉を獲得するためには、ぼくたちの俳句の根拠を、〈国家意志〉とのあらがいに晒す以外にはない。
・・・《続く》
戦後俳句の始まりを告げた西東三鬼の『酷烈なる精神』(「天狼」創刊号 1948)について、坪内稔典は「俳句が酷烈な現実のなかにその根拠をもち、そこで内なる自由を実現しようとする葛藤ーつまり、ぼくたちを不断に制約し、内なる自由を奪う国家意志とのあらがいを回避した」(『形式と思想』1976。以下同じ)として、その不充分性を批判した。
三鬼は、自身が主要作家として参加した戦前の新興俳句運動の意義は、伝統俳句に〈知性〉を付与したことにあるとし、その方法論として〈リアリズム〉を掲げた。つまり、俳句の根拠が〈現実〉にしかないこと、その現実から目をそらさない表現は、当然に定型観念と衝突するだろうと述べたことを取り上げ、坪内は「その定型観念との衝突こそ、定型詩が思想を孕む契機となるもの」として、三鬼が『京大俳句』に連載した『戦争』と題された句群を指して、三鬼のいう「知性が戦争に衝撃した火花」そのものとする。
絶叫する高度一万の若い戦死/黄土層天が一滴の血を垂らす/兵を乗せ黄土の起伏死面なす/黄土の闇銃弾一筒行きて還る/一人の盲兵を行かしむる黄土
しかし、それは〈戦争〉を一つの具体的事物として対象化しているが、三鬼の〈リアリズム〉の態度は、いっさいの事物を自らの知的対象とする〈モダニズム〉に通底しており、「対象へ向かう自己の眼や感覚に疑いがもたれることはない」として、その限界を指摘した。さらに、「戦争への知的関心が、〈国家〉と衝突する寸前に絶たれ、弾圧によって〈国家意志〉の側に先手を取られてしまった」と断じる。・・・《続く》
ラムネ抜く地球に向けてポンと抜く スーパーのラムネに玉は無いだらう ラムネ売りきびだんご売り兼ねてゐし 唐十郎の実家は銭湯ラムネ飲む もしかしてサンタルチア加藤ラムネ飲む(知人のコメディアン) テクノロジー犯罪吾もラムネ飲む(被害歴12年) 俳人を主体と呼ばずラムネ玉 音だけの怒りにあらずラムネ抜く ラムネ飲むズシリと夢とは違ふもの 渋谷系はや過去のことラムネ飲む 根こそぎのレトロの白さラムネ飲む* 再現の出来ぬ儚さラムネ飲む 初恋の味とは違ふラムネ玉