まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

無音の白さ/新雑句雑感(273)~プロローグ5の終はり  

2017-12-31 10:44:16 | 新雑句雑感

数へ日やワタシハダレヲアイシタカ  数へ日のいつまで歌はぬつもりなの  居酒屋の一角数へ日の人だかり  数へ日やそろそろ終りにしてみては  数へ日や小数点以下を生きてゐる  数へ日の今上天皇ひかります  数へ日や近代俳句の死屍累々  爆破犯大道寺将司の日を数ふ  数へ日の悦楽何度でも何度でも  数へ日や赤旗にある投句欄  数へ日や俳句で何か言えたのか  数へ日のカウントダウンに移行せり  数へ日のキリストの日に肉迫す  数へ日の無音の白さ限りなし 

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この世とあの世/新雑句雑感(272)~プロローグ5の終わり

2017-12-30 20:01:54 | 新雑句雑感

極月や第二芸術いさぎよし  極月の俳句歌はぬことと決め  極月のコンビニ何か変わったか  極月のぶつかり稽古俳句にも  船団にまた入るとき極月か  ヨーソロー極月愚直な奴ばかり  極月のまさかのアナキズム詩人(1970年代に金子光晴と交流)  極月の実存無かったことにして  極月の坪内イズムもういらぬ  極月の反キリストかわたくしは   極月の誰か殺めし心地せり  極月や従姉の描きし踊る人  極月の俳句カルトと達観す  極月の二度と上がれぬ底にいる  極月や元市議の新聞拡張員  極月の麦といふ名の結社あり  極月や三橋敏夫の季語となり  極月やただ生きているだけのこと  極月の亡父と言ひ亡母と言ひ  極月の首塚もはや地を成さず  極月のこの世とあの世紙一重  

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【カラオケの定型性】一人の聴き手として何を共有出来るのか?/新俳句入門(35)

2017-12-30 15:15:27 | 新俳句入門

今日はついに【小晦日】で、もうすぐ1年が終ろうとしている。夕方から年末恒例の【日本レコード大賞】の発表がある。以前は31日にやっていたが、紅白と重なるのを避けたかたちになった。20歳代に業界に入りかけたことがあり、長い間この時期になると胸がドキドキしたものだ。しかし、今ではあまり興味が湧いて来ない。音楽業界もAKB48グループとエイヴェックスばかりで画一化されてしまっている。そんな中で、カラオケバトルの大流行はとても新鮮に感じる。これも、数年前から音楽業界全体の新世紀プロジェクト【歌謡バラード】として始まったもので、その先鞭をつけたのがテレビ東京(大阪)系の【THEカラオケバトル】であった。全国津々浦々の実に多彩な層の人々が、カラオケマシン(歌詞・伴奏・評価までAI化)を相手に100点を目指して凌ぎをけずっている。これは、俳句などの伝統文芸や現代詩の延長上にある現代俳句(旧前衛俳句)には、決して真似の出来ないことであろう。しかし、俳句形式のかつて《》と呼ばれた結社などの擬似共同体をベースにした、集団的な表現形態と全く異なっているというわけではない。彼らは、年齢職業を問わず、昭和歌謡から最近のJ-POPまで共有された歌謡の形式を踏襲しながら、それぞれの《個性》と《技術》を競い合う。カラオケという表現形態もまた【定型性】を色濃く持っているというべきだ。カラオケバトルは、旧来の単なるプロ集団によるアマチュアのオーディション番組とは根本的に異なる由縁である。歌謡曲やPOPを個人が生き生きとつながり、歌うということを共有し合うことがあからさまに目指されている。全国に拡がる膨大なカラオケ愛好者の中から、とりあえず2人の大物歌手が誕生した。城南海(きずきみなみ)と林部智史(はやしべさとし)である。この二人については別項で触れてゆきたい。それより、自分のこれからの【俳句形式】による言語(表現)活動である。年の終りに少しは考えておかないと、新年の出足が鈍ってしまう。・・・《続く》

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小晦日/新雑句雑感(271)~プロローグ5の終わり

2017-12-30 11:34:17 | 新雑句雑感

小晦日ゴジラの最期遠望す  小つごもり自由の代償こんなにも  靖国に露店の戻る小晦日  暗幕の影を呑み込む小晦日  ブレードランナーその後の希望小晦日  重信以後の仮想現実小晦日(多行俳句の行間にあるもの)  肉ビルのリブアイステーキ小晦日

 

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【カラバト】喪われた身体言語・・歌うま甲子園2018(1/4)の見所/J-POP論・POP詩の宇宙

2017-12-30 09:43:06 | J-POP論/POP詩の宇宙
早苗饗やカラオケバトル決着す   まほろば  旧作
土日は14度まで上がり、土曜は快晴・日曜は曇り時々雨と今年の【師走】は様々な表情を見せ始めています。私も年末投句に向けて拍車がかかろうとしているところです。さて20日の【最強女子ボーカリストカップ】にはおんな流しのおかゆさんが見事大輪の花を咲かせました。カラオケバトルのもう一つの顔【U-18歌うま甲子園】の最強決定戦が、1月4日(水曜)に放送されます。まだ10日以上ありますが、今から胸の高鳴りを押えることが出来ません。カラオケバトルの生み出す表現空間の中心にあるのはオトナの世界に染まっていない、オトナを超えてゆく彼と彼女たちだからです。私の句歴はのべ11年(1979~85、2013~現在)で、山口誓子から藤田湘子・飯島晴子、角川春樹・坪内稔典・夏石番矢まで多くの俳人たちとまみえて来ました。しかし、歌謡の天才たちに比べると決定的なインパクトに欠けます。詩歌句とは、その起源において発声を伴う《うた》だったからです。その《うた》を取り戻すのではなく、アナグロ的に消してゆくのが伝統・前衛を問わず戦後俳句の性向だったのではないでしょうか。夏石番矢さんが、自身のグループで盛んに句の朗読を試みているのも、喪われた身体言語としての【定型詩】の復興運動なのでしょう。私も新年会で自分の句を声に出してみたいと思っています。ところで、21世紀の現在、前世紀よりの贈り物【カラオケ】つまり空(から)のオーケストラを自らの身体(発語)の延長上に取り込むことで、詩歌句の《ことば》を超えた【定型性】を獲得しつつあります。近代俳句が遂に叶えることの出来なかった、自立した個人の手になるまぼろしの【座】は、汎世界的なカラオケの《マシン》によって志向される新たな身体言語として現実のものになりました。さて、新年4日のUー18(18歳以下)の最強歌うまは誰に決まるのでしょうか?いろんな角度から探ってみたいと思います。・・・《続く》
 
THEカラオケバトルU-1歌うま甲子園最強王座決定戦  2016・2