十日月一寸法師を消してゆく 急ぐ秋常なるものの溢れけり 大花野小花野折り返し点はまだか 空蝉が故郷鉄人ルーテーズ そのへんに肉屋はないか夏うぐいす ナザレのイエス徘徊二千年彼岸前 憲法9条寒月すでに消滅す 私が生きて誰かが死んだ三の酉 チップインバーディー冬瓜の巨大化す アーメンソーメン果たして神無月なるか
この人を見よ芭蕉忌の空さわぐ 夜もすがらもっと遠くに世もすがら さらしくじら晒す虚子句を暗唱す 蝮ドリンク仰げば尊とし天動説 廃墟ツアー廃れて長崎の鐘が鳴る マツコ・デラックス芭蕉は忍者って言ったでしょ 悲劇の誕生俳句は十七音と知っていた 広島太郎は遭はぬが華よ案山子捨つ 来夢来人といふ喫茶店秋深し プラトーン穴が開くまで観る秋思 捨案山子この世は夢と知っていた
私は1970年代前半に上京した。1960年代末から世界規模で巻き起こった学生運動やカウンター・カルチャー運動に憧れ、その渦中に身を置くことが目的であった。しかし、すでにその残滓を留めるのみであらかた終息していた。正確に言えば、1969年を頂点に、1970年~71年に完全な終焉を迎えていた。そのあと東京の大学や街頭の姿はどうであったか、そこから推測される大きな始まりと終焉はどのような過程を辿ったかについて書いてみたい。ちなみに私の俳句との遭遇は1979年のことであった。・・・《続く》
雲ひとつない空といふこと後の月 万に一つ見えぬは寂し後の月 掃射後の死の漂へる後の月(山陰空襲) 山陰空襲死者二百名後の月 血の海は真っ白な海後の月 原罪を知らぬは恐ろし後の月 平和などない後の月出でゆけり 戦争とは何のかがり火後の月 ファミマおでん80円セール後の月 ひとときを聾唖の亡父と後の月 団塊の世代あくまで白く後の月 プラトーンの日々恙無く後の月
ラジオ体操ひとまず止めて十三夜 真ん丸に何かが足りぬ十三夜 降水確率0の確かさ十三夜 高野悦子の二十歳の原点十三夜 ふつつかな臨死体験十三夜 今もある人生五十年十三夜 十三夜死はまだ来ないどうするか 生まれては一歩退く十三夜 東京の月の出遅し十三夜 人間ははなから独り十三夜 十三夜放置自転車照らし出す マルチソウルシンガーばばちゃん十三夜 ナザレのイエスと逢えぬ淋しさ十三夜 十三夜明日明後日は夢の中 放たれてまだ生きている十三夜