花物語主役はわたし菖蒲咲く 谷間の光菖蒲はいつか咲くのだらう ぎしぎしと菖蒲の過去を引き寄せる 母と娘の丁々発止菖蒲の世 笑い茸俺もお前もいつか死ぬ いつもより厚目の化粧菖蒲園 花菖蒲この一瞬を生きている ペンペンペン菖蒲でゐること甚だし 夏夕焼人間サイボーグ跋扈せり 人間をやめても人間杜若 初夏や果たして春は終ったか 春から夏へ世界最終戦争勃発す 半額弁当まだか孤独死まだなのか 新人賞三度目短夜明けきれず 櫂美智子樺美智子と誤認せり 夏うぐいす憲法改正なぜ出来ぬ 愛鳥週間人類いまも愛されず 生前葬もう何度目か夏の雨
クーラーをいれろよどうせ戦争だ 北大路翼
私のひとつ上の世代である【団塊の世代】の反撃が始まった。狂い咲きといってもよい。彼らは私より5~8歳位上で、大学へ入学した時、すでに卒業していた。1969年前後の70年安保闘争に深く関わった者は、卒業が遅れたため私が1学年の時、まだ4年に留年していた者も例外的にいた。ほとんどが音も立てずにキャンパスから消えてゆき、社会に出ても出世の有無に関わらず、あまり目立たない存在だったようだ。と言うのも、彼らは結局のところ、さらに前の戦前・戦中世代に従属し、戦後の高度成長の残り火を守り通すことに奔走したからだ。私は彼らに続く【モラトリアム世代】で、彼らの去った1970年代を時代遅れと後ろ指を指されながらも、最後まで担い続けた。その彼らと偶然、様々な社会生活のシーンで出遭うと、決まってキミはいまもアノママか、と煙たがられたものだ。ただ、彼らは戦争を全く知らない戦後の初発のカウンター・カルチャーの旗手だった過去を秘めており、私のような後に続いた世代には何か郷愁を感じていたようだ。派遣などで彼らと企業でハチ合わせると、決まってこのまま社員として残らないかと声をかけてくれた。私たちにとって、彼らは常に良き先輩であり続けた。ただ、こちらから見ると彼らは常に【生きた化石】であった。何十年経っても、彼らは全共闘であり、ヒッピーであった。その彼らが、2010年代の現在、狂い咲いたように元気を取り戻している。定年退職という突破口を与えられて、数十年ぶりにまさかの【闘い】の感触を取り戻そうとしているかのようだ。・・・《続く》
俳句総合誌のどこを見ても、年齢制限のある【新人賞】が溢れている。当記事シリーズで前回書いた涼野海音さん(35)など、今年の俳句四季新人賞まで4つも取っている。それが良いことか悪いことかは、親子ほど歳の離れた私には判断しかねるところである。もし私が親なら、子に対して俳句自体禁じていることだろう。俳句で自閉的に頑張ることが、人生そのものに有益だとはとても思えないからだ。本人もブログなどで、自身が【俳句オタク】であることを明かしている。オタクというのは悪い意味ばかりとは限らないので何とも言えないが、仕事や恋愛・結婚などとの矛盾は否定出来ないはずだ。もちろん、何事も本人の勝手である。要は、それで歳のかけ離れた私を含め、他人を喜ばせることが出来れば言うことはない。しかし、ワンパターンの句柄や新味の欠片も無い安直な伝統への迎合は、ただただ有名になりたい、私生活における不遇を見返してやりたいという、現代に於いても一部の若者には反骨精神があるのだなという発見にはなるだろう。ただ彼の総合誌上の句群には、捨て難い《こころざし》の透明感のようなものが感じられる。それはもう痛々しいほどのものである。・・・《続く》