まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【私とは誰か】蟻地獄見てそれからの私小説 松村五月*蟻地獄解説付/一句鑑賞

2021-04-08 21:18:32 | エッセー・評論
蟻地獄見てそれからの私小説  松村五月(gooブログ『俳女モニカの俳句日和』より)
人間を「蟻」に譬えて、その否定的側面をことさらに強調することがある。蟻とキリギリスの逸話によれば,蟻が来るべき冬に備えてコツコツと食糧を蓄えている姿を横目で見ながら悠然とヴァイオリンを弾いているアレである。ちなみに私は1970年代に青春期を送った第一次シラケ世代で【キリギリス世代】とも呼ばれた。60年代末期に全世界に吹き荒れたカウンターカルチャー運動を政治文化両面で主導した所謂【団塊の世代】の後塵を拝して有閑無能呼ばわりされた暗黒の世代である。彼らは己らの無謀と敗北をいち早く予期し、恥ずかしげもなくアッサリと社会復帰していった。私たちは彼らの残した遺産をあくまで守り通すべく、周囲の罵倒と嘲りを浴びながら必死に耐え忍んだ。蟻地獄とは彼ら団塊の世代を典型とする手前勝手な先発の蟻世代の無様を告発する怨嗟の隠喩に他ならない。・・・《続く》

蟻地獄の意味【GOO辞書】
ウスバカゲロウ類の幼虫。体長1センチの鎌状の大あごを持ち、乾燥した土をすり鉢状に掘って巣を作り、底に潜んで落ちたアリなどを捕らえる。あとじさり。すりばちむし。すり鉢状の穴から抜け出せない苦しい状況のたとえにもいう。

【私の変貌】蟻地獄見てそれからの私小説 松村五月/一句鑑賞

2021-04-08 01:31:56 | エッセー・評論
蟻地獄見てそれからの私小説  松村五月gooブログ『俳女モニカの俳句日和』より)
蟻地獄とは地面に掘られた蟻の巣の一形態で、この語を文芸などで使用する場合、一度堕ちたら吸い込まれるような不可抗力で命を奪われてしまう・・といった否定的な意味合いを醸し出す。所謂地獄への入り口なのである。作者は旧天狼系現代俳句結社の幹部候補生である。私のグーグル・ブログの通称ブロ友になっていただいている方でもある。私自身、天狼系結社の同人を3ヶ所で務め、内1誌では作者の所属する結社の幹部の指導を受けた経験がある。このようなかたちで勝手に俎上に載せることは極めて非礼ながらお許し願いたい。さて、蟻地獄という語についてだが,歳時記には次のように記されている。・・・《続く》

【死の確実さ】陽炎のたかさ一人逝きまた一人逝き 青木栄子/一句鑑賞

2021-04-06 22:25:12 | エッセー・評論
陽炎のたかさ一人逝きまた一人逝き  青木栄子
1月まで参加していた俳句結社の支部(通信)句会で思わず⦿を打った一句。
作者は当支部の主催者でもある。1月までと書いたが、昨年2月からわずか1年間の参加であった。結社そのものは現在も継続している。陽炎という言葉は春の季語とされているが、春半ばのちょうど今頃桜も散った頃あるいはそろそろ桜の開花の報せも入る頃なのか、少なくとも上京してからは私は見たことがないので判然としない。その陽炎なるものの高さとあるから生き物又は何某かの造形物のような高低差を持つものであるに違いない。そしていったん切れた後に『一人逝きまた一人逝き』とある。陽炎という自然現象の直後に人間の死をアッサリと特段の感情を籠めずに反復した。その反復に照応するのが陽炎の《たかさ》という表現なのである。また同時に上下句の行間には、作者の沈黙の領域が際限も無く拡がっているようにも感じる。この高さは一人また一人と員数としてまるで手毬唄のように数え上げられる。作者ははや80歳という。身近に確実な死はあまた見られるはず。また昨今の新型コロナ禍によって有名人が次々と亡くなってゆく。いずれにしても人間の死の確実さを見事に一句に描くことが叶った。この陽炎の《たかさ》は作者自身の身の丈とも合致しているように思われる。・・・《続く》

【新型コロナとの遭遇】もう会えないこと知ってたけど許したのよ(ハイファイセット)・・1970年代の消滅と復活/私とは誰か・プレおたく世代の現在*特別編

2020-04-09 10:13:01 | エッセー・評論

部屋から一歩外に出れば新型コロナウイルスの蔓延する20年遅れの終末の世界が待っている。このまま部屋の中に止まれば、肉体の死に向かってひた走る【高齢単身者】の日常に溺れてしまう。果たして今日これからどうすれば生きていることの快感を取り戻すことが出来るのだろうか?970年代に突然眼の前に拓かれた青春と呼ばれる自由と光明をとりあえず想い出してみる。パソコンを起ち上げるとまずヤフーとグーグルの光景が無限に拡がる。当然ながら、旧世代の私にはそれは虚偽の空間でしかなく・・それでも一応の最新の倦怠感を引き擦りながら、今度はYOU TUBEという映像サイトに移動する。1974年に解散した【赤い鳥】という関西出身で東京で受けに受けたグループとその後継者であった【ハイファイセット】【紙ふうせん】の2グループがヒモ付きで現れる。前者は1970年前後の人間回復ムーブメントの色濃い、敗北の証しとしての【終末文化】のハシリの一つである。その後数年で主体とか思想とか本質といったものが突然消滅し、後者の底無しの日常性に放り込まれた。赤い鳥からハイファイセットの【ポップ】への変容はとてつもない怪物のような《痛み》を伴いながら、すべてのこの時代の人々の無意識の奥深く刻まれた。この70年代の変容の向こう側に何が待っていたのだろうか?・・POP音楽シーンではパンク=ニューウェイブということになるが、実際のところそれは雑多な文化であり、私たち同時代人の純粋型としては到底受け入れられることはなかった。ハイファイセットのあまりにも一般的な情緒をいったんは日常のどこかに引き寄せた心性が、90年代のロストジェネレーション、そして世紀があっけなく明けた0年代の【70年代リバイバル】に再生されていった。・・・《続く》

 

ハイファイブレンド 1977

https://youtu.be/-mQtO8V_p1Q?t=1713

 


死者にしてとわの若者へ奉げるオマージュ/続夏石番矢を読む(4)

2019-12-10 08:41:24 | エッセー・評論

今日という一日の始まりである。そして、いよいよ60歳代後半に入る。高齢単身者・低年金者であり、いまや人類の存立根拠を突き崩すかのように全世界を席巻するITネットによる【情報寡頭制】の電磁監視対象(被験)者である《自我》との融和(自律)を生涯のモチーフとする日常の一コマがいま再び動き出す。そんな私のごくありふれた生活過程において、日本近代の擬制的言語(表現)様式の一つである【俳句形式】はいかほどの価値を有するのだろうか。その擬制された近代の延長上にあって、もはや現存性のはなはだ薄いハイクなどというものが、この一瞬も何故かある種の威力を奮っている。夏石番矢句集『氷の禁域』(2017)である。実際、私はほぼ毎日この一冊をどこに行くにも持ち歩いている。だからと言って、手垢が付くぽどに読み込んでいるというわけではないが、少なくとも身体の一部のように親しみを感じ始めていることは確かである。例えば、集中に次のような一句が存在している。

古本市の金平糖のような時間にいる     第三章「雨に麻酔」

作者は私とほぼ同世代で、1970年前後に全世界に吹き荒れたカウンター・カルチャーによって《個》としての人間の一大進化に見舞われた。現在、彼の勤務先がある東京神田の古本屋街は、何かの書物を求めるでもなしに繰り返し訪れる異空間であり続けているに違いない。そのレトロな風趣の中に流れる《金平糖のような》時間とは、決して尋常な出来事ではない。金平糖とはどのようなものか、手許の電子端末で検索してみるとよい。それは淡い原色の角ばった実に懐かしさと親しみに満ち溢れていると同時に、もはやこの現実のどこにも見当たらない何ものかである。・・・《続く》