素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

30年

2025年01月17日 | 日記
 阪神淡路大震災から30年の節目を迎えた。身近なところで経験した初めての都市直下地震だったので衝撃だった。どのテレビも1週間ほど前から関連する話題を多く取り上げている。ジムでもあちらこちらで当時の話をしている人を多く見かけた。30年前、いろいろな形で震災と向き合っていたのだと認識を新たにした。

 我が家でも当時のことが話題になった。私は朝練をしていたので6時に起きていた。その前に少し揺れを感じた程度で妻や子供たちは夢の中にいた。リビングに下りて6時のNHKニュースを見ようとスイッチを入れると地震発生時の京都支局の部屋の様子が繰り返し流されていた。その時はまだ情報が少なく「近くで地震があったんや」という程度の認識で7時前に職場に向かった。車中でラジオのニュースを聞いているうちに「これは大変なことになっている」と心がざわついてきたことなどを初めて息子に話した。

 息子は大阪市内の高校へ行っていたので結構大変だったと話した。「そうか まだ高校生やったんや」とつぶやいた瞬間、「私はいくつだったのか?」という問いが浮かび「73-30=43」という数字が出た。「おいおいあの時の私はお前さんより若かったんや!」と驚きの声を上げた。46歳の息子は何を言っているんだという顔をしていたが、30年という歳月の長さをそういう形で実感できた。

 すると今度は、亡き父のことに思いを馳せた。大正13年1月17日生まれだからちょうど71歳の誕生日に阪神淡路大震災が起こったことになると、30年後の今、初めて認識した。今の私より2歳も若かった。急に、近況報告集「いきがい」に何を書いたのだろうと読みたくなった。

 戦後五十年の節目の年に同窓生、森岡清美氏の著書「若き特攻隊員   ・阪神淡路大震災
と太平洋戦争」を読む機会を得た。                  ・地下鉄サリン事件
 若き特攻隊員が出撃を前に、親、兄弟、恋人などへの思いを切々と   ・第一回今年の漢字は震
綴った手記をもとに、特攻の真実の姿を後世に残すべく、彼らの群像   ・公立学校第二第四土曜休
を描いた本著に深い感銘を受けると共に、同じ決死の世代に生き残っ    
た者のひとりとして、日々精一杯生きていこうと思う昨今である。    (平成7年・第13号)


 記憶の底に沈んでいたものが、ふとしたことで浮かびあがってくる。そのことが自分の歩みを振り返り、これからの歩む道を考える時間を与えてくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朗読グループ「あい」の30周年記念行事『尺八と箏の和楽器コンサート』へ

2025年01月16日 | 日記
 視覚障害のある方々に音訳で情報を伝える活動をしている朗読グループ「あい」の30周年記念行事が、1月16日(木)13時30分から 交野市ゆうゆうセンター4階多目的ホールで開催された。もともとは『尺八とピアノのデュオコンサート』だったが、ピアノの方の都合が急きょ悪くなり箏に変更となった。
 
 リーダー久田さんの挨拶、交野市社会福祉協議会会長前波氏の来賓祝辞、朗読グループ「あい」の活動紹介の後14時よりコンサートが始まった。
 
琴古流尺八本曲(江戸時代)「鹿の遠音」を演奏しながら安田さんが登場。 

 途中休憩15分をはさんで15時25分まで、尺八演奏者安田氏の分かりやすく親しみのある解説(MC)をまじえて、箏(尺八)の折本氏との演奏は聴きごたえがあった。
   
 100名の定員だったところ希望者が多く席数を増やし、当日は約150名の人が和楽器の音色を堪能した。「こんなに表現力が豊かなのだ」私が持っていた尺八の概念が壊さた。
 実行委員長の神原さんの挨拶で予定通り閉会。中身の濃い2時間であった。自分の思い込みや視野の狭さを痛感しつつ会場を後にした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パソコンが新しくなる

2025年01月15日 | 日記
 昨年夏あたりから液晶の劣化と見受けられる現象が現れ始めた日増しにその状態が悪くなっていたがごまかしごまかし使ってきた。しかし、年末になるとシャットダウンした後正常な画面になるまでに時間がかかるようになってきて限界だなと思うようになった。

 今日、新しいパソコンの初期設定とデータ移行の訪問サポートを受けた。今まで使ってきたパソコンの画面を見た担当者は開口一番「暗いですね」と明るさを上げようとしたがすでにMaxになっていたので「そうとう劣化していますね」とつぶやいた。

 私は、自分の目が老化したせいだと思っていたが、設定が終わった新しいパソコンの画面を見ると明るく字もくっきりと見えたので思わず「目が悪くなったのと違ったんや」と声を上げた。担当者は笑うしかなかった。

 高校入学を機に眼鏡を購入したのだが、初めて眼鏡をつけて電車に乗った時これまでボンヤリと見えていた景色や人の顔がくっきりと見えた時の驚きと同じだった。サクサクと動きも速いが使いこなすまでには少々時間がかかりそうだ。Windows11の画面構成やアプリの操作が違うので戸惑い時間がかかるが、教則本を読みながら慣れていくしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の交野みらい学園見学

2025年01月13日 | 日記
  旧交野小学校跡地に、交野市で初めての施設一体型小中一貫校「交野みらい学園」ができる。その建設工事が進んでいると近くに住んでいる人から聞くが、私の生活圏ではないので先の市長選で大きな争点にもなり関心はあったが現場の工事の様子を見たことはなかった。

 広報レポーターをしている妻が「交野みらい学園の見学会の様子を写真に撮る担当になったので一緒に行く?」と言われた時いい機会だと同行することにした。

 駐車場がないというので近くの「いきいきランド交野」に車を停めて歩いた。校門付近に4人の方が話しをしているので受付の方かなと近づくとそんな感じでもなく校内も誰もいない様子。私たちの怪訝な様子を見て「見学に来られたんですか?」と話しかけてきた。「そうだ」とこたえると「私たちも勘違いしてここに来たんですよ」と返って来た。「見学会は、長宝寺小学校でやっているみたいですよ」とのこと。

 妻が広報で渡されたプリントをもう一度確認すると「交野みらい小学校の閉校に伴う学校公開」とあった。

 交野市のホームページを調べると

<令和4年4月>
旧交野小学校敷地では、施設一体型小中一貫校の建設に係る工事が開始します。交野小学校と長宝寺小学校が統合し、旧長宝寺小学校敷地にて、新たな小学校「交野みらい小学校」が開校しました。
<令和7年4月までに>
交野みらい小学校・第一中学校を統合し、旧交野小学校敷地に施設一体型小中一貫校「交野みらい学園」を設置する予定です。
とあり、注意として
※現在、小中一貫教育を行う第一中学校区の小学校・中学校の愛称として、「交野みらい学園」を使用しています。令和7年度に開校予定の「交野みらい学園」と混在することがありますが、ご了承ください。

 市の職員などは、とっくに長宝寺小学校という名称は頭から消え「交野みらい小学校」になっているが妻や私の頭の中は切り替わっていなかった。「交野みらい・・・」という5文字で、新しく開校する「交野みらい学園」と脳が判断してしまったのだ。

 4月に旧交野小学校敷地に開校する「交野みらい学園」への統合に伴い今年度末で閉校する「交野みらい小学校」(旧長宝寺小学校)では卒業生や地域の方に向けての学校の公開というのが正解だった。妻は広報レポーターとしての仕事なので急いで移動していったが、私は長宝寺小学校には、40年ほど前に学童保育の保護者会の対抗ソフトボール大会で行ったきりで何の思い出もないので、幻の見学と終わった「交野みらい学園」の写真をフェンス越しに撮って帰宅。開校までに見学会があることを期待。
   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星田山手新春安全祈願祭2025

2025年01月12日 | 日記
  今日、午後1時からふれあい広場で、新春安全祈願祭2025実行委員会主催、星田山手自治会、星田山手東自治会協賛で「星田山手新春安全祈願祭2025」が開催された。

 13時から5年ぶりに再開された子どももちつき大会があり、6うすの餅をたくさんの子ども達でつきあげた。 餅つきが初めての子どもも多く大人がついている様子を不安げに見ていたが、いざ自分の番になると掛け声に合わせて上手についていた。
   

つきたての餅はきな粉餅やノリ巻きにして振舞われた。  
 14時から星田神社佐々木宮司の先導で安全祈願祭が厳かに執り行われた。
   
 15時からぜんざいを食べながらの懇親会とビンゴ大会で楽しんだ。ここ数日の大寒波による冷え込みも少し緩み600人を超える老若男女が参加して大いに盛り上がった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする