毎日新聞朝刊に毎月第2土曜日に掲載される「井上英介の喫水線」は、物事の「喫水線」(水に浮く船の側面と水面が交わる線)やその下にも目をこらしつつ、日本のいまを地方から眺めたい――。という思いがこもった井上英介記者のコラム。「被災者を背後から撃つ者」(2025/1/11) ・「現金給付の阿南市その後(2024/12/14)・「石丸伸二氏という「劇薬」」(2024/11/9)などいつも読みごたえがある。
特に今日の「悪夢阻んだ寺への感謝状」は心にしみた。能登半島北端にある小さな集落、珠洲市高屋地区にある円龍寺(浄土真宗大谷派)院主、塚本真如さん(79)を昨年12月初めに訪ねて書かれたものである。
50年ほど前に関西、中部、北陸の電力3社が共同で、高屋地区と少し東の寺家地区に珠洲原発の計画が浮上した。保守系議員が占める市議会が1986年に原発誘致を決議すると、地元の高屋や寺家を中心に反対運動が激しくなった。
塚本さんは、原発について勉強し、スリーマイル島やチェルノブイリの事故も踏まえ、人間は原子力と共存できないと強く思い、円龍寺は反対派の拠点となった。当時の高屋は75戸前後で、賛成と反対を鮮明にした家が13戸ずつ。残りは様子見で沈黙し、強い方につく雰囲気だったという。紛糾の末、電力3社は2003年12月に珠洲から撤退した。
計画浮上から撤退までの20年余りの推進派と反対派のせめぎ合いは熾烈を極めた。その中で塚本さんは、「原発に反対だが、賛成の人間を攻撃、排除しない」という1つの信条を崩さなかった。そのことが本音を隠し、屈託のない笑顔や会話が消えていた集落が撤退後以前の状態に戻ることができた大きな要因となった。
昨年元日の能登半島地震で、円龍寺は壊滅した。今は最大1.8m隆起した海岸部に建てられた仮設住宅で妻と暮らす。塚本さんは「電力会社はぼくら反対した住民に感謝状を出すべきだ。彼らもほっとしているだろう」と笑って言った。「パイプだらけの原発があの揺れや隆起で無事なわけがない」と続けた。
地震後、高屋の住民は次々離れていき、世帯数は地震前の約半数27戸ほどに減った。「みな戻ってくるでしょうか」と井上さんが不安を口にすると塚本さんは「地震が来なくても、ここはもともと消えていく運命にある。地震で時計の針が多少進んだだけ。だから、寺はもとの規模で再建しません」。近くの土地に、ごく小さく建て直すつもりだという。
井上さんは記事を次のように締めくくる。
【それにしても、珠洲原発ができていたらどうなっていたか。悪夢のような事態に至る可能性もゼロではない。考えるだけでも腹の底が冷えてくる。電力会社が感謝状を出さないなら、私が出したいぐらいだ。
原発を拒み、結果としてふるさとやこの国を守った小さなお寺は、遠くない将来、人口減で集落ごと消えかねない。集落の過去から導くべき教訓も、薄れていくのだろうか。
私が塚本さん方を辞して数日後の昨年12月17日、日本の中長期的なエネルギー政策を定める政府の「第7次エネルギー基本計画」の原案が公表された。そこでは、福島の原発事故以来うたわれてきた「原発依存度を可能な限り低減する」という表現が消え、「原子力を最大限活用していく」と明記された。】
AI開発が激化する中で、データーセンターで必要とされる電力使用量はうなぎ登りになっているとも聞く。前々から電気自動車の普及にも電気の確保はどうなるのだろうという危惧を抱いてきた。悩ましい問題だが考え続けなければいけない。
特に今日の「悪夢阻んだ寺への感謝状」は心にしみた。能登半島北端にある小さな集落、珠洲市高屋地区にある円龍寺(浄土真宗大谷派)院主、塚本真如さん(79)を昨年12月初めに訪ねて書かれたものである。
50年ほど前に関西、中部、北陸の電力3社が共同で、高屋地区と少し東の寺家地区に珠洲原発の計画が浮上した。保守系議員が占める市議会が1986年に原発誘致を決議すると、地元の高屋や寺家を中心に反対運動が激しくなった。
塚本さんは、原発について勉強し、スリーマイル島やチェルノブイリの事故も踏まえ、人間は原子力と共存できないと強く思い、円龍寺は反対派の拠点となった。当時の高屋は75戸前後で、賛成と反対を鮮明にした家が13戸ずつ。残りは様子見で沈黙し、強い方につく雰囲気だったという。紛糾の末、電力3社は2003年12月に珠洲から撤退した。
計画浮上から撤退までの20年余りの推進派と反対派のせめぎ合いは熾烈を極めた。その中で塚本さんは、「原発に反対だが、賛成の人間を攻撃、排除しない」という1つの信条を崩さなかった。そのことが本音を隠し、屈託のない笑顔や会話が消えていた集落が撤退後以前の状態に戻ることができた大きな要因となった。
昨年元日の能登半島地震で、円龍寺は壊滅した。今は最大1.8m隆起した海岸部に建てられた仮設住宅で妻と暮らす。塚本さんは「電力会社はぼくら反対した住民に感謝状を出すべきだ。彼らもほっとしているだろう」と笑って言った。「パイプだらけの原発があの揺れや隆起で無事なわけがない」と続けた。
地震後、高屋の住民は次々離れていき、世帯数は地震前の約半数27戸ほどに減った。「みな戻ってくるでしょうか」と井上さんが不安を口にすると塚本さんは「地震が来なくても、ここはもともと消えていく運命にある。地震で時計の針が多少進んだだけ。だから、寺はもとの規模で再建しません」。近くの土地に、ごく小さく建て直すつもりだという。
井上さんは記事を次のように締めくくる。
【それにしても、珠洲原発ができていたらどうなっていたか。悪夢のような事態に至る可能性もゼロではない。考えるだけでも腹の底が冷えてくる。電力会社が感謝状を出さないなら、私が出したいぐらいだ。
原発を拒み、結果としてふるさとやこの国を守った小さなお寺は、遠くない将来、人口減で集落ごと消えかねない。集落の過去から導くべき教訓も、薄れていくのだろうか。
私が塚本さん方を辞して数日後の昨年12月17日、日本の中長期的なエネルギー政策を定める政府の「第7次エネルギー基本計画」の原案が公表された。そこでは、福島の原発事故以来うたわれてきた「原発依存度を可能な限り低減する」という表現が消え、「原子力を最大限活用していく」と明記された。】
AI開発が激化する中で、データーセンターで必要とされる電力使用量はうなぎ登りになっているとも聞く。前々から電気自動車の普及にも電気の確保はどうなるのだろうという危惧を抱いてきた。悩ましい問題だが考え続けなければいけない。
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