素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

井上靖の言葉「元旦に」

2022年01月01日 | 日記
 1957(昭和32)年1月1日の『日経新聞』へ発表された50歳の井上靖さんの「元旦に」が好きで、学年だよりや学級通信によく使わせてもらった。肩の力が抜けると同時に、よしまた頑張るか!という気持ちになる。

「元旦に」
門松を立てることも、雑煮をたべることも、賀状を出すことも、
実は、本当を言えば、なにを意味しているかよくは判らない。

しかし、これだけは判っている、人間の一生が少々長すぎるので、神さまが、それを、三百六十五日ずつに区切ったのだ。
そして、その区切り、区切りの階段で、人間がひと休みするということだ。

私は神さまが作ったその階段を、ずいぶんたくさん上がって来た。
今年はその五十段目だ。

昭和三十二年の明るい陽の光を浴びて、私はいまひと休みしている。
はるか下の方の段で、私の四人の子供たちも、それぞれ新しい着物を着て、いまひと休みしている。


 さて、私の70段目のひと休みは、娘と孫と一緒に正月気分を近場で味わった。創業65周年を迎える平和堂、Friend Town 交野でコロナ禍のご時世では珍しい「福もちまき」を元旦早々開店前の9時45分から行なった。フレンドテラスから餅や飴が撒かれた。5歳になった孫は小回りがきくので思ったより沢山、餅や飴をゲットして喜んでいた。
 
 10時の開店を待って、福袋を求める人の列ができていた。

 店内では、11時から太鼓グループ”私市っ鼓”による新春和太鼓、獅子舞練り歩きなどで新春気分を盛り上げていた。
   
 獅子舞は孫には怖かったようである。
 午後からは、星田神社へ初詣。
 
 破魔矢を買い求めて元旦の行事は終了。


 他人の事は言えないが、Friend Town交野や星田神社、テレビなどで見る初詣の様子。去年と違い人出の多さに驚く。浅草寺なんか過密もいいとこ、オミクロン株の感染拡大は必ずあると確信した。金閣寺に行ってきた息子は電車の中から見ただけだが伏見稲荷の駅周辺の混雑ぶりに驚いていた。

 

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