いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

あいまいな記憶

2004年04月20日 | 考える
最近記憶があいまいなことが多い。

ここで言いたいのは何かの行動を起こしたことにより、
なんらかの印象を受けるのだが、
その心の中に焼き付けられるイメージというものが
きわめて薄くなっているという感じがするということだ。

10代、20代のころには
体験したことは鮮やかなイメージとなって心に
焼きついたような気がしているが、

今はなんだか心の受け皿から流れ落ちてしまい
あまり印象に残らない。

同じ体験をしても、心が柔軟なうちは吸収率も
よいが、歳をとるたびにしなやかさが失われていくのだろうか、
心に吸収されずにただ流れていくようになってしまった。

それは「とらわれのない心」とも言えるのかもしれないが、
感動や、驚きといったものも薄くなってしまったようである。

順調に大人の階段を登っているのか、
人として堕落しているのか最近わかんなくなってきた。

ただ、
心が澄み切る日はまだまだ遠い
ということだけはわかっている。
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飲み会の挽歌

2004年04月19日 | その他
最近飲み会がやばい。
どうやばいのか言うと、

1.途中からの記憶がない
2.相手かまわず説教をしてしまう

自分は記憶力はよいほうで、
結構メモとか取らなくても覚えてしまえていたのだが、
最近本当に記憶力がなくなっている。
ましてや飲み会に行って、記憶をなくすなど言語道断
であるはずなのに・・・

記憶はないものの、一緒に行った人から後日談を
聞くと、確かに覚えているので
全く記憶が失われているというわけではないようだ。

しかし、顔に出ないので相手はずーっと
こちらがしらふだと思うらしく、
非常にまずい状態である。

しかも、なぜか説教をしてしまう。
きっと根本は説教好きなのでしょう。
説教聞くのは大嫌いなんですけどね。

まだ、苦労話や自慢話をしないだけましなのかも。
でも、もしそういうことをし始めたら
きっともう若くはないのだろうな。

酔って夢を語るような人になりたいのだが・・・
老いとは恐るべきものですね。
三十路にまさに入ろうとする今、
そんなつまらないことで実感してしまった。
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不動産と恋愛

2004年04月18日 | 考える
とある事情で引越しをしなければならず
部屋を探している。

なかなか条件にあう物件が出てこない。
2口コンロ、トイレ・バス別、フローリング。

いいと思ったら、賃料が高い!
いいと思ったら、畳だった!
いいと思ったら、コンロが電気!

うーん、これはまるで恋愛みたいなものだなぁ。
性格はいいけど、顔が・・・
スタイルはいいけど、性格が・・・

いくら住みたくても、条件が合致しなければ
上手くいかない。

自分が何を一番重要視しているか、
こういうときにはっきりするものだなと思う。
しかも、何軒もまわっているうちに
部屋探しの公式は恋愛における公式に近いものがあると
ますます考えてしまった・・・・。
自分の容姿、生きる姿勢(性格)生まれ=出せる賃料
相手の容姿、生きる姿勢(性格)生まれ=賃貸料金、築年数、立地条件
部屋探しをすると、自分の給与などを見直さざるを得ず、
俺はこの程度の部屋にしか住めないんだ!
とへこんでしまう・・・

残念ながら、人は平等ではないと思う。
好むと好まざるとに関わらず、
自分の持って生まれたもの(才能、家柄、運)
を最大限に駆使して生きていくしかない。

結局身分(自分の実力、運など)相応を見つけた人が
幸せになるのかもしれないなぁ。
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無愛想のバランス

2004年04月17日 | 考える
今日、無愛想な人に会った。

驚いたことに自分より無愛想であった。

無愛想のメリットを考えてみると・・・
何を考えているか悟られない。
そっとしといてもらえる。

うーん、なんかあんまりメリットが思い浮かばない。

デメリットは
他人から不気味がられる。
話しかけてもらえない。
意味もなく敵とみなされる。

いいところないなぁ。
確かに無愛想な人がグループにいると
敏感な人を緊張させるようなところがある。
気をつかわせてしまうのだ。

自分自身が無愛想なくせに、
無愛想な人はやっぱり苦手だったりする。

かといって愛想いっぱいの人は
調子がよすぎて信用できないし・・・

結局ここでもバランスが必要なんだろうな。
その人を見て、
ちょっとは愛想良くしようと思った。
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気にするなよ

2004年04月16日 | その他
一人で生きてゆければ・・と思う。

こんなに切ない気持ちを感じず、
坦々とした日々。

メールを何度も確認してみる。
君からのメールは来ていない。

どうしてしまったのだろう。
一人でやって行けると思っていたのに。

こんなに君のことが気になるなんて。
どうせ手が届かない存在なのだから、
君の記憶を切り取って、
そのまま捨ててしまいたい。

抱えるには重すぎて
僕のバランスが崩れてしまう。
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君を思い出すとき

2004年04月15日 | その他
まだ電話番号を覚えてます。

ときどきふっと思い出すときがあります。
幸せだったころを。

あのころ無知ゆえに幸せだった。
君に迷惑ばかりをかけていたのに、
うまくやっているつもりだった。

思い出は色あせて、
すべてがやさしさにつつまれている。

ふっと、心に風が吹いたとき、
君の笑顔を思い出します。
君の泣き顔を思い出します。

プレゼントしたネックレスをなくしたときのこと。
デートの別れ際に帰りたくないと言ったときのこと。
映画を見に行くときに泣かせてしまったこと。

あれから何人かの人と付き合ったけど、
今にして思えば、やはり君が一番だったよ。

もう何もしてあげられないけど、
君の思い出は僕と共にあり、
僕と共に失われるだろう。

日常のほんの一瞬、
君を思い出す。

たわいない日常だった。
そこにこそ幸せがあった。
今にして分かる僕を許してくれるかい?
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行動の理由

2004年04月14日 | 考える
漫画「うしおととら」で
こんなシーンがあった。
新幹線(飛行機だったっけ?)を妖怪が襲い、
たまたま乗り合わせたうしおがその妖怪と戦うのだが、
戦い、ぼろぼろになったうしおにとらが聞く。
「なぜ、そうまでして戦うのか?」
と。
うしおは答える。
戦う理由はたまたま乗り合わせていた幼子の手を握った感想だった。
「あの子の手が小さかったから」

行動に理由があるだろうか。
理由はあると思うが、それが万人を納得させるものではないのだろう。
真実はその人にとっては真実なのだ。
人から見て、どんなにくだらないことでも、
その人にとっては命をかける価値のあることかもしれない。

それは一般化することはできず、
分かる人には分かるという類のもので、
けっして言葉では理解し得ないものなのだろう。
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考えない時間

2004年04月13日 | 考える
どうやら自分は考えすぎるようである。
何か問題があるとそのことばかりを考えてしまう。
たとえそれがそのときに不適切なことでも、
頭の中がそのことでいっぱいになり考えれば考えるほど
抜け出せない。

そういうときに仕事が忙しいと助かる。
やらなければいけないことが多いと助かる。
考えなくてすむから。

考えなくてはいけないことは確かによく考えなくてはならないのだが、
考えなくてもよいことはそのときに考えない。
そんな当たり前のことがしばしばできなくなる。

体を動かし、考えても仕方のないことは考えない。
そういう風にすればすこしはましなのだろう。

もっと考えない人であればもっと気楽に生きて行けるのだろう。
そういう風に、また考えてしまうのである・・・
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ローエネルギー

2004年04月12日 | その他
感情にムラがある。

考えなければよいのだが、
どうしようもないことをついつい考えてしまう。
そうしてより落ち込む。
いやね、分かってるんだけど。
周囲が許してくれないこと。
親が許してくれないこと。
離れてしまったほうがボロボロにならなくてすむこと。
自分の情熱がすべて無駄になる日が来るかもしれないこと。
君がもとに戻ってしまうこと。

辛くて耐えれないとき、省電力モードのようになってしまう。

何もしていないとついつい思い出して沈んでしまう。
何かやっていると気がまぎれるが大抵は集中していなくて
ポカをやらかす。

そのとき自分のオーラというか
生命エネルギーみたいなものが
限りなく小さくなっているような気がする。
風が吹くと飛ばされそうだ。

不思議とそういう時は腹も立たないし
腹も減らない。

ただただ気持ちが沈みこむ。

まわりのことがどうでもいいように
思えてくる。

期待が大きければ大きいほど
それがかなえられないときは沈み込むものだ。

ただ、沈み込む量が大きければ大きいほど
浮かぶ量も大きいような気もしている。

小さなことがうれしくて
小さなことに傷つく。
それの繰り返し。
もうだいぶ疲れてきました。

気持ちのコントロールを失うわけには
いかないのだが。

そういう時はじっと息を潜めて耐えるしかない。
下手に動かないことだ。

君の思い出を消しながら、
普通の顔で友達で居ること。
みんなの前で普通にしていること。

辛いというのはこういうことなんだね。
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人の心は変わるのか

2004年04月11日 | カウンセラー勉強記
昔、議論になったことがある。
人の心(性格、考え方など)は変わるのか
という内容であった。

私の中では人の心は変わらないという立場だったのだが、
今日の「カウンセリングの原理」という講義を聞いて
やはりそれは間違いだったのだと感じた。

人は変わる。
確かにそのとおりかもしれない。

また、変わらなければ進歩もないし、
日々向上するということはできないのだろう。

でも、変わってはいけないところもある。
結局ここでもバランスが必要なのだ。

実際にカウンセリングを行ってきた人の語る言葉は
力を持っている。

なぜ言葉があり、それを使用するのか?
人との間に関係を持ちたいからである

その言葉が心に残った。

今回は講義が中心でかなり眠かった箇所もあったが
内容はよく理解できた。

すべては人の心次第なのだと
改めて感じた。

その心が他人の心と響きあい、美しい音を奏でるように
よりよく調律する必要がありそうだ。
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