いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

差が埋まるとき

2004年04月10日 | 考える
変化があるときに、
進行中に
過程に
楽しみを感じるようになっているのだろうか。

知らない人と出会い、
その人を知っていくうちに
いろいろなことが分かり、いろいろなことに気付き
成長できるような気がする。

友人からどこかの本で読んだ言葉を聞いた。
「差が埋まるときに価値をもつ」
それはすべての事象に当てはまるような気がする。

たとえば電車。
近くの人と遠くの人が同じ場所に
通う場合、遠くの人は移動手段を使用することにより
同じ場所に通うことが可能になるが、
このとき、「距離」と差が埋まっている。
その対価が運賃となる。

たとえば悲しみにくれている人を
慰めるときには、「悲しみ100」から
「悲しみ80」くらいに減ることもあるだろう。
そのときに感情に差が生まれる。
その対価は感謝になる。

人間のつくりとして、
「差を埋める」ということに喜びを見出すように
なっているのかもしれない。
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タイミング

2004年04月09日 | その他
スポーツをしていると
タイミングって大事だなと思う。

人の体は不思議なもので、
各部分を連携させることにより、
爆発的なパワーが出せる。

テニスをやっていると、明らかに
自分より腕力は弱い人でも
打つ球は鋭く、強いこともある。

また、わざとタイミングをはずしたり
空いている箇所にボールをコントロールすることによって
球威がなくても試合に勝つことができる。

心も同じかもしれない。
他人との連携、自分自身の心の連携をとりながら
タイミングを見計らって効果的な言動、行動を行えば
もっと力が出てくるのかもしれない。

ただ、見えないので
感じるしかないのだが・・・
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無限の可能性

2004年04月08日 | 考える
子供のころ先生から
「君たちには無限の可能性がある」
という話をされた。

今大人になってそれを考えると
「そんなことはない」
と思う。

人にはそれぞれ独自の行動基準、価値基準のシステムを持ち
それに即して行動する。
道は無限かもしれないが
時間的な制約、運、めぐりあわせ、
タイミングなどなどが作用し
実際にその人が歩ける道はそう多くはない。

でも、子供ができたらきっと言うのだろうな。
「お前には無限の可能性がある」と。
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土のにおい

2004年04月07日 | その他
会社のあるビルが工事中だ。
木立のような場所をパワーショベルで掘り返している。

通勤時にそこを通ったとき、
懐かしい気がした。

久しぶりに嗅いだ土のにおいだった。
あれは子供のころ、
遊び場でにおったのか、
あるいは実家の庭の草むしりのにおいだったのか
それとも校庭でサッカーをしていたときの
風のにおいか。

一瞬にして意識は過去へともどり、
思い出の中へと入っていった。

香りや、音楽には
それを体験した当時を思い出させる
何かがある。

もう戻らない過去は
忘れているだけでこころの中で眠っているのだろうな
と思った。
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バランス

2004年04月06日 | その他
バランスがとれない。

感情のままに動いてしまう。
それを押しとどめようとすれば

抑えたい感情だけではなく、
その他の感情も減衰する。

冷たい人間になりきるほうが
今の状態は楽だし、乗りきれるような気がする。

ただ、徐々に心が死んでゆくような気がする。
コミニュケーションはあくまで感情的に行い、
一人のときは考え込むことなく冷静に。

そんな器用なことできそうにないような
気がしている。

バランスをとりたい
君との関係に
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愛想

2004年04月05日 | 考える
愛想がないと言われる。

でも自分はそれでよいと思っている。
愛想のある(ありすぎる)人間は、
どうも信用できない。

愛想よくすることができないのは
不器用だからなのか、
サービス精神がないのか、
面倒くさがりだからか。

どれもが当てはまりそうだ。

ポーズではなく
愛想に誠意をプラスできれば
すばらしいことだと思う。

どっちもできないのだが・・・。
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温度差

2004年04月04日 | カウンセラー勉強記
寝不足だった。
外は雨。4月だというのに
寒かった。

のろのろと起きだして
開講式の会場に向かう。

駅から遠かった。
吐く息は白く、かさを持っている手は
震えた。テンションはさらに下がった。

理事の話があった。
「みなさん緊張しているおもいますが・・・
「みなさん、大丈夫ですから・・・
全く、自分の心情とは違う。
早くも違和感を感じていた。
なぜかわくわくしなかった。
緊張もなかった。

講堂でのオリエンテーションが終了し、
各教室に分かれてのグループでの実習。
人数は生徒15人に対し、講師が3人。

自分の所属したグループは感受性の高い人たちが
多かったらしく、「感動した」だの
「満たされた空間」だの、
理解可能だが共感はできない。

地方には地方のルールが、
都会には都会のルールがある。

都会暮らしのルールを理解し、
バランスをが取れるようになった。

自分を変革し、一人で戦ってきた。
それなのにここに来て
自己開示だの、繋がってるのと言われても
そうそう器用にできるはずはない。

ブレーキが利いても
しばらくは惰性で走る。

実習のなかでのやり取り、
否定を全くしないというやり方のほとんどが
偽善に見えて仕方がなかった。

健康な人に薬は不要だ。

ただ、
いろいろな人に出会えたのは収穫だった。
また、自分がバランスを求めている
ということも分かった。

温度差がある。

疎外感を感じていた。
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癒される?

2004年04月03日 | その他
落ち込むことがあった。
こういうときは下手に騒がず
部屋で静かに音楽でも聴いてるほうが
心が落ち着く。

人によっては馬鹿騒ぎするほうが
気がまぎれるという人もいるのだが、
私はそういうタイプではないようだ。

実家から手紙が来ていた。
母と姉の手紙と一緒に
姉の赤ちゃんの写真が同封されていた。

写真を見ると赤ちゃんのアップ。

文面には
「落ち込んだときには赤ちゃんの写真をみて和んでください」
とあった。

はっきり言って和めない。
一見これは私のことを思いやってくれているのようにも
思えるが、なんのことはなく
手紙を書いている自分自身に向けて書かれているような
気がしてならなかった。

親にとっては初孫だし、
姉にとっては自分の子供であるが
私にとっては特になんということはない気がしている。

会ったことがないからなのか、
自分に子供がいないからなのかは
わからない。

年賀状に自分の子どもだけしか
写ってない写真を送ってくる人にも似た
心情が見えた気がして、
その手紙には返事を書いていない。

私を気遣ってくれていることについては
感謝しているし、わかっているのだが。
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心を殺して

2004年04月02日 | その他
こころはどんなものだろうか?
やわらかいもので、辛い記憶は切り離したり、
硬くなったりして、柔軟性を失っているのだろうか?

それともスポンジのようなもので、
カラッカラに乾いたとしても、
愛のしずくでまた潤いを取り戻す
そんなものだろうか?

それとも石のようなもので
少しずつ磨いていくのか、
辛いことがあるたびに削れていくのか・・・

歳をとるたびに柔軟性が失われていくような気がする。

きっと今が一番辛いときなのだろう。
時間をかけて少しずつ心を切り取り、
すこしづつ殺していけば、
この切ない気持ちも消えてしまう。

そうしてしまえばその気持ちは
二度とは戻らない気がする。
たとえ後で相手が自分を
受け入れてくれる日が来たとしても。

でも、それでいいのかもしれない。
一人で生きて行ければ、単調な波のない世界。

喜びもないかわりに深い絶望もない。
心を殺して、その孤独の中に入って行きたい
そんな日もある。

君の望む関係を築いていこう。
心は死にゆくとしても。

君のルールに従う。
君が好きだから。
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脂肪・オブ・ザ・リング

2004年04月01日 | その他
自分は健康だと思っていたが、
気がついたらおなかにリング状に脂肪が付いていた。

なぜだか知らないが、おなかにだけ
脂肪がついてしまう。
ビールを飲んでいるわけではないので
ビール腹ではないはずなのだが・・

それでもまだ気付かないふりをしていたのだったが、
ある日、家でTVを観ていて、
「リモコンどこだっけ?」と思い
周囲を見回したら、後ろのベッドの上に転がってた。
そうして、振り返った瞬間
なんとお腹の脂肪が邪魔して
真後ろに振り向けないではないか!

まえまえから気になっていたのだ!
階段を降りるときに
肉も上下する不快感!

トイレ(小)に行くときに
張り出たお腹で、下が見えず
手探りで用をたさなければいけない
悲しさ!

うぐぐぐ、なんという屈辱!

俺はやせているはずなのだぁ!
という固い決意の元に体脂肪を計ってみると・・・
体脂肪率24パーセント→肥満です
そんな、ばかなぁ!

そこで一念発起して、痩せることにした。
本を買い込み、以下に効率的に痩せるか
ということを考え、
「食事のエネルギー<消費エネルギー」
という公式に基づき「スポーツ」を始めた。
食事も制限して、毎日走った・・・

そうして、なんとか痩せました。
脂肪・オブ・ザ・リング1「肉の仲間」はなんとか終わりを迎えたかに
見えましたが・・・

油断していると、またもや脂肪リングは
「マイプレシャス・・・」ってかんじで
お腹に出現してきます・・・
ということで脂肪を捨てる旅は続き、
現在は脂肪・オブ・ザ・リング2「2つの糖」に突入中です。

病気の人などを除いて、
どうして太っていることについてなんとも思わない
人がいるのか考えた結果、
「最初から太っている人は、
 太っていることを気にしていないのではないか」
という気がしてきました。
世の中にはいわゆるデブ専の人もいるわけだし・・・

昔はスリムだった人ほど、
そのころに戻ろうとするのかもしれません。

なんとかスリムに戻って、
脂肪・オブ・ザ・リング3 「スリムの期間」
で完結したい!と切に願う今日この頃です。
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