いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

耐える力

2004年10月22日 | 考える
困難が現れたとき、
簡単にくじけてしまう人と
そうでない人がいる。

その違いはどこにあるのだろうか。

くじけない人、耐えられる人というには
「自己肯定イメージ」と「好調時のイメージ」
を持っている人のような気がする。

現実は好ましくない事象が現れているけれども、
いつかは好転するだろうし、一時のものだ。
と考えられるかどうか。

くじける人は、ひとつの物事に囚われて
柔軟性を失ってゆく。

最近自分が思う「価値があるもの」が変わっていっているような気がしている。
若いころに抱いていたある意味純粋な想いというものが
現実世界で通用しない部分も見えてきた。
少しずつ、自分も変わっているのだろう。
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8割

2004年10月21日 | 考える
最近、満足度が8割に変わってきた。
昔は何が何でも100パーセントでないと気がすまなかったのに、
今は「8割できればいいや」
と考えられるようになっている。

私はどちらかといえば完全主義者で
とことんやらないと気がすまない主義だったのだけども
最近は肩の力も抜けてきて、物事を進めていく中では
予想外のハプニングが起こるし、それらすべてに
対策を立てていると本業がおろそかになるしで、
ある程度はやはりあきらめが必要なのかなと思うようになった。

その結果他人にもそこまで「完全」を求めなくなったような気がする。

自分の小さな器では
すべてをコントロールできるわけでもないし、
すべてを理解することもできないし、
すべてが思い通りにいくわけでもない。

これは諦めではなく、身の程を知るということなのだろうな。
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一人コーヒーがぶ飲み大会

2004年10月20日 | その他
朝10時に某駅集合。

何の事はない。仕事だ。
しかし、こんな台風が来るかという日に隣県まで行かなくても・・・

しかし、待ち合わせは10時なので遅れるわけには行かない。
ちょっと早めに着くように家を出て、雨の降る中、電車を乗り継ぎ乗り継ぎ
なんとか集合場所前の最後の駅の乗換えポイントへ。

「ここから先は田舎だからきっと店がないだろう。
 早めに家を出たことだし、お、あそこにドトールがあるじゃないか!
 優雅に(?)コーヒーでも飲むか。仕事のできる男は急いだりしないものだ・・・」

「フフフ、ミラノサンドとブレンドコーヒーください!」

不敵に言い放ち、注文したものを受け取り、
禁煙席に座り、「さて、どれくらい休めるのかな・・・」と
あらかじめプリントしておいた検索結果を見ると・・・
「なになに、9時30分にこの駅で乗ればいいのだな・・・
 さて、今は・・・・




・・・・9時28分。

なにぃ!ば、ばかなぁ!
その後は、一人早食い大会で、何とか待ち合わせにには間に合ったのですが。

ドトールの滞在時間 → 約5分。

最短記録つくってもた。

度重なる乗換えでの、乗り越し精算や電車待ちで
早めに出てきた時間をすべて使ってしまったのでした・・・

すごいね!人って切羽詰ればホットコーヒーがぶ飲みできるんだね!(違
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はまる場所

2004年10月19日 | 考える
「しるこ」は悪なのだろうか。

たとえばこんなシチュエーション。

砂漠で喉が渇いて死にそうな人がいる。
それを発見して、「み、みず・・・・」
と言っている人に、ほっかほかの「しるこ」を差し出す。

もし、雪山の遭難者であれば、ありがたくいただけるであろうほかほかの
「しるこ」も、砂漠では存在はむしろ疎んじられる。

逆に雪山で水気たっぷりのメロンはむしろいらない。

自分自身はどういう場所にいるのだろうか。
今、はまっている場所なのか。
それともむしろ今の環境にそぐわないのか。

環境と性格はせめぎあう。
環境が合わないと感じたのなら、
飛び出すのもひとつの手かな。

「はまる場所」にたどり着けたら、
もっと幸せになるのかもしれない。
いや、既にたどり着いているのかも?
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軋んだかけら

2004年10月18日 | 考える
軋んだかけらを握り締めて今日も生きている。

次に出会う人は、ひょっとしたら
この軋んだかけらにぴったりと合う人かもしれないと
いつも期待しながら。

僕のかけらを君のかけらと合わせてみるけど、
やっぱり今回も合わないのだね。

僕の軋んだかけらと合うかけらを持っている人は
どこにいるというのだろうか。

ひょっとしたら、二度とは会えないのかもしれない。
でも僕はこれしか持っていないから、
たったひとつのかけらを握り締めて、
今日も生きてゆく。

いつかこのかけらとぴったり合うかけらを
持っている人に会うために。
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同情と同調を

2004年10月17日 | カウンセラー勉強記
長い間通ってきたこの産業カウンセラー養成講座も、
はやいものであと2回となりました。

今日は長年の謎が解けました。

それは何気ない台詞でした。

「共感によく似たものに、同調、同情があります。
 これらは非常に似ており、見分けにくいものなのです」

そうだったのか。あのとき両手から愛情を離し
その手に同情を掴んだのだと、いまさらながらに理解しました。
「この人を救わなければならない」
「人は変わるはずだ」
今にして思えば、愚かな選択でした。
しかし、自分はその選択こそが正しい道だと信じていた。

まさに、共感と同情を取り違えていた。

相手が自分の意見に同調していたことも見抜けずに。

自分自身に対しての圧倒的な不信感。

あれから、もうすぐ10年になるが、
僕はどれだけ成長できているのだろうか。

相変わらずに幼く、愚かではあるけれども、
上を向いて歩いていきたい。

自分をもう一度取り戻すために。
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ふと立ち止まる

2004年10月16日 | 考える
暗闇の中、ふと立ち止まる。
意識の時間軸を過去へずらす。

僕は何を求めて生きてきたのだろう。
そうしてその結果、何を得たのだろう。

いくつもの叶った想いと、
叶わなかった想い。

自信がなくて消えてしまたいような日と、
すべての空間を支配したような
どこまでも広がる意識、晴れ晴れとした日。

がんばってがんばって、努力が報われた日と、
すべてが徒労に終わってしまった日。

そこに自分がいるが、ここにも自分がいる。
異なる時間に少しずつ異なる自分が存在している。

時間軸を現在にずらす。
どうしてここにいるのか。
現状に満足しているのか。
今後どうしたいのか。
今できることは何か。

流れの中に「現在」をさらす。

このままだとどうなるのか。
劇的に何かが変わることがあるのか。
何を新しく始めるべきか。

時間軸を将来にずらす。

そこにはどういう自分がいれば幸せなのか。
心の境地は進んでいるのだろうか。
幸せだと言えるのだろうか。
がんばってきたと、胸を張って言える自分がいるのか。

答えのない時間旅行をしながら、
今日も何かを見つけたい。

ふと立ち止まって後ろを見る。
足元を見る。
もっと先を見る。

そこには何が見えるのだろう。
いや、見えない。何も見えてこない。
確固たるものは、自分の足跡しかない。
でも、それでもまた明日、自分の一歩を踏み出すしかない。
そのとき、見えないけれども感じるのだ。
自分しか見えない暗闇の中に、
自分と同じように確かな一歩を踏み出そうとする誰かの姿を。
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不条理こそ真理

2004年10月15日 | 考える
会社で、同僚が愚痴っていた。
「すっきりしない」と。

理系の仕事、コンピューターのシステムというものは
数学のようにすべてが計算された世界だ。
例外さえもプログラムの一環に取り込まれ、
予想外の動きはまずない。
もしあったとすれば、それは設計ミスで、
修正すればよい。

しかし、彼が納得いかないのはそんな世界ではない。
「会社の組織」というものだ。
もしくは決め事というか、この世のシステムだ。

実際には管轄でない業務をしたり、
上司が知り合いだからという理由で
まったくその部署と関係のない業務をすることもある。
現実世界は、システマティックな世界とはまったく正反対の
複雑で、不条理で、不公平で、抜け穴がたくさんある、
混沌とした世界だ。

それこそが世界だと思うのだ。
コンピューターの世界は、
特に機器間の通信、仕様などは
一定の決め事を定めた小さな世界でのやり取りだ。
そこにはハプニング、例外はほとんど含まれない。

正常データはいつでも正常で、
エラーはどこまで行ってもエラーで、
0はいつでも、0で、1は1なのだ。

いつも「世の中は懐が深い」と思う。
どんな人間にでも、居場所があるのだから。

世間につまはじきにされる人はいても、
世界に拒否される人はそうそういない。
美しく、醜く、規則正しく、不条理で、
冷酷かつ暖かく、生もあれば死もある。

何がおきても不思議ではない世界。
何も頼るものもなく、
どうしてここにいるのかも知らない。
それでも、そこでつよく生きていかねば。
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字が下手

2004年10月14日 | その他

小さいころから、字が下手だった。
たしか小学校6年生のころだと思うが、
下手を克服しようとして、
ひらがなの練習をして、うまく書こうとしていた。

一向にうまくならない。
そのうちにあきらめてしまった。
「読めればいいじゃないか、下手でも!」
と開き直っていたのだが、書いた字を見せたら友達に
「読めない」と言われたのはショックだった。。。

さて、現在も相変わらず字が下手だ。
きっと一生治らないのだろうな。

しかも、パソコンでしか文書を作ってないから、
いざ手書きで名前、住所をかけみたいな事になったら、
人知れず緊張してしまう。

字が上手い、下手は運動神経みたいなもので、
本人にはどうしようもない。
そう、あきらめて今日もワープロを打つのであった。
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天候と気分

2004年10月13日 | その他
最近雨ばかりである。
なんだか気分まで落ち込んでくる。

でも、雨もそんなに悪いことばかりではない。
気分が落ち着くからだ。

会社の同僚は
「読書は雨の日とか、夜とかがはかどりますね」
みたいな事を言っていた。

閉ざされた世界という条件が、
逆に集中できる環境を作っているのだろう。

天気が悪いと、家に居たくなる。
天気が良いと、外に出たくなる。

人間って単純ですね。
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