いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

オルゴール

2004年10月12日 | その他
知り合った女の子が、
オルゴールを持っていた。

その音色を聞かせてくれた。
「友達もオルゴールを持っているんです。
 その友達も、小樽で誰かに、一人でも多くの人にオルゴールを聴かせているはずなんです。
 そう思うと、なんだか力が出てくるんです。」

飲み会の席で酔っていた人々に唐突に出された透明な箱に入ったオルゴール。
酔っていたこともあり、なんだか素直に聴いてしまった。

言っている意味がわからない。
でも、きっと彼女には意味のあることなのだろう。
いろいろと疑問があったが、何も聞かなかった。

正確には、聞けなかった。

その彼女は、そのオルゴールに何か思い入れがあるらしく、
真剣なまなざしであった。

「この子にとっては何か重要なことなのだろうな」
そう考えたがしかし、

さて自分にはこういう大切なものがあるのかどうか。
たとえば友情の証の品物など。
何にもないなぁ。

物にこだわらないことがこだわりの自分にとって、
そういう思いのこもったもの、証というものが
ないということがうすら寂しく思えた。

大切なものは目に見えないものだし、
孤独の道を選んでいるのは自分だろと、
グラスに残った酒を飲み干した。

青春は遠くになりにけり。

いつもより酒が苦い気がした。
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あっという間に

2004年10月11日 | その他
なんだか知らないうちに、
3連休が終わってしまった。

1日目:台風で家に缶詰。小説三昧。
2日目:昼過ぎ起床。夕方からやっと外出。
3日目:やはり天気悪く、一日中家にいてPCのセットアップなど。

うーん、なんだか納得いかないままに連休が嵐のように
過ぎ去ってしまった。

振り返ると、山のような洗濯物が・・・
晴れてくれないから選択できなかったよ・・・

時間がたくさんあると、どうでもいいことに時間をかけてしまうなぁ。
というか、3連休で話した人が一人ってのはどうよ、俺。

なんだか、自堕落すぎた気がする。
明日からの生活がちょっときつそうである。
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規則的な生活

2004年10月10日 | その他
この3連休は思いっきり自堕落にしようと思って、
一日目が終わった。

今日は起きたの昼過ぎである。

はっきり言って「損した」感がぬぐえない。
しかも、今日の朝5時まで
「竜馬がゆく」を読んでいた。
初回目ならまだしも、もう5回目くらいなのに。

なにも昨日読むことないのに。
自由になる時間がたくさんあるのに、
どうしてこんなことをしてしまうのだろうか。

こういうことをやると、
規則的な生活って意外に大事なのだな、と思う。

朝はあんなに、このまま眠ってしまいたいと思うのに。
万事、そうなのかもしれない。

サボりたいと思う心に負けた場合は、
意外に有意義に過ごせないものかもしれない。

あれがしたい、これがしたいと思いつつ、
できない状態で進んでいくのが、
案外幸せなのかもしれない。

限度はあるにせよ、
忙しい、という状態は幸せなのかもしれない。
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行動の裏に

2004年10月09日 | その他

気づくものと気づかぬものは
差が開いている。

行動の裏には思惑がある。
その思惑まで思いが至らないときは
相手の行動の意味が見えない。

人間関係には絶えず勝負が行われている。

どうしてあなたがやさしいのか。

「利」だ。

人は「利」で動く。
そのことに再び気付かせてくれた。

世の中、甘くはない。
再び、神経を空間に張り巡らせ、
立ち向かう。
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2004年10月08日 | 考える
孤独だったのだ。
だから、自分自身を「価値あるもの」だと、
思うしかなかった。
みんなはわかってくれない、と。

周囲に受け入れられない、
かといって「自分」を曲げ、
周囲に迎合できるほど器用でもないし、
プライドも高かった。

存在してもよいのかと問いつづけ、
答えとして特別であるからだと
自分自身を正当化していたのだろう。

人と違う、異なる特別な存在であるから
孤独でいるのだと。

しかしそれは間違いであった。
孤独であったのは自分の器の小ささ。
周囲を認めると、自分自身の小さな、小さな自信が吹き飛んでしまうから。

今は、どうだろう。
相変わらず自分は小さい、特別な存在でもない。
「何かの役に立たないのならば、生きている意味がない」
という気持ちは相変わらずだ。

人に、あなたがいてくれてよかったと
言われなくもない。
でも、自分自身の存在価値は自分自身で
認めたい。

理由は知らない。
ただ、唐突に自分が存在している。
それを受け入れて、今日も行くしかない。
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地震のとき持って逃げるものは

2004年10月07日 | 考える
昨晩結構大きな地震があった。
酔って帰って一息ついたところであった。

最初自分が揺れているのかと思いきや、
本当の地震だった。

酔っていたので、
「このアパート、倒壊したら死ぬのかなぁ」
などと漫然と考えて、ボーっとしていたら
そのうちに止まった。

昔は地震、火事のときに持って逃げたくなるような
大切なものがあったような気がする。

でも、今は「大切な物」が少ないことに気付かされた。
大切な人、思い出などは増えたが、
大切な物(=物質)は特にない。

物はまた買える。
思い出は買えない。

思い出は自分とともにあり、自分とともに滅びるのだ・・・。
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普段の生活バランス

2004年10月06日 | 考える
今日は会社面接本番でした・・・

やはり普段からいろいろなことに
気を配っていないと、
本番ではなかなか出せないものだ。

しかし、理想の自分になるためには
やはりかなりの部分を「仕事」というものに
投入しなければならない。

そのさじ加減がまだわからない。

あまりに会社、会社になってしまうと、
自分自身も辛いし、定年後は何も残らない気がしている。
かといってプライベートの充実に力を注ぐと
会社生活はあまりいいものではないし。

ここでもバランスを求められているのだろう。
今はまだ答えは出ていない。

なりたい自己像もあるし、それに近づく努力もしているつもりだが
まだまだ足りないらしい・・・
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ちいさな勇気

2004年10月05日 | 考える
小学校の卒業文集に
担任の先生が書いていた文章を時々思い出す。
その先生も、何かの本から引用していたようであるが、
元の本は忘れてしまった。ただ、言葉だけを覚えている。

小さな勇気こそ欲しい。
何かあったときに、振り絞れるような大きな勇気は
それほど、必要ではない。
ただ、日々の生活の中で、
「面倒くさいな、明日にしようかな・・・」
「これはやらなくてもいいかな・・・」
「ちょっと親切をしようかな・・・」
そういう、ちいさな、ちいさな勇気、
それこそが欲しいのだと。

それを読んだときは、まだ私は幼くて「そういうものなのかな・・・」
と、どちらかというと半信半疑だった。
しかし、大人になった今、その言葉を重みをもって受け止める。

最初はささいな事である。
だけど、日々の小さな勝負に勝つ、
自分の怠惰、ずるしたい心、思いやりのない心
そういうものに日々勝っていく事により、
最終的には人生の勝者たることができるのではないか。
そう、思います。

成長には一足飛びはない。
それよりも、日々の勝負、
自分自身との勝負に負けないことこそ、
確かな成長なのかもしれない。
大人になった今は、心からそう思います。
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多角化

2004年10月04日 | 考える
逃げ道は多いほうがよい。
たった一つしかなければ、そこが塞がれたときには
破綻するしかなくなってしまう。

同じく、幸せも複数持っていたい。
もしひとつの幸せが壊れても、
まだ終わりではないから。

同じく、趣味も多いほうがよいし
友達も多いほうがよいのだろうな。

唯一無二というものは確かにあるが、
その数は少ない。

手数は多いほうがよい。
カードは多いほうがよい。

自分自身の飽きっぽい性格がいやだと思う。
でも、見方を変えればいろいろな経験ができるとも言える。

飲み屋で注文した「八角の唐揚げ」を
見ながら、多角化について考えた。
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もうすぐ終盤

2004年10月03日 | カウンセラー勉強記
本日は最後の講義と事例検討の演習。
事例の解釈が人によって違いすぎるし、
模範解答を見てもなんだか納得いかない部分もある。

とにかく10月ですべてが終了し、
あとは11月の試験を待つだけだ。

始まったころと比べてみると、
やはり、レベルは相当に違う気がする。

「人の話を聴くということがどういうことか」がわかった気がする。
いや、わかったのはどう聴けばよいかということではなく
「聴くことはこれほど難しいことなのだ」ということがわかった。

それだけでも、受けたかいがあったというものだ
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