素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

どんどん評価が低くなる。

2014年12月12日 19時00分49秒 | 日記
今週のサイコパス2ですが。

机上の空論乙。

「全能者のパラドクス」ってワードでクソ真面目に語ってましたけどさ。
法の執行者が、論理的に本当の意味で完璧である必要なんか無いだろ。

だって、全てを見通し絶対に間違わない神様なんか絶対に現世に出現しないのと同じように。

完全完璧であるシステムなんか作りようが無いんだから。
(どんだけ頭のいい奴でも、良い物は作れても完璧なものは作れません。だって不完全なのが人間なんだもの)
そこにこだわることを語らせて、なんか作品的に意味あるんですか?

他にも、シビュラに無視される=世界に無視される、だの。
誰にも気づいてもらえないだの。
だからシビュラを破壊したい、だの。

全く心に響きませんね。
面白いとも思わない。

やっぱさ。
メインの部分に机上の空論持ってくるのはダメですね。
机上の空論がメインだと、テーマ部分が偽者になりますからな。
そんなもので、どう感動したり、深く考えたりしろと?

前作は違ったんだけどさぁ。

シビュラシステムという、現実では絶対に採用されないって一言で斬って捨てられる設定はあくまで小道具。

メインは「現行法でカバーできない悪が出現した場合、どうするのが正しいのだろうか?」ってこととか。
「自分にしかできないことを追求する。それは一見素晴らしく見えるけどさ。それを追い求めて周りの迷惑考えないで突っ走るってのはどうなんだろうね?」ってこととか。
「法を盲目的に、傅くように守るのは正しくない。法を自らの意思で人が守ることが正しいんだ」ってことで。

メインの部分に血肉があったといいますか。
フェイクじゃなかった。

免罪体質という、サイコパスが絶対に濁らないせいで、どんな犯罪を犯しても、現行法では犯罪者扱いされないという恐ろしい男マキシマ。
そんな男を前にして、コーガミさんは「罪を償わせるために殺害する」道を選び、アカネちゃんは「それでも、法は理想の世界を作ろうと考えた人の祈りだから、守らなきゃだめだ」と、なんとか殺害以外の解決法を出そうと模索。
で、結末は殺して終わってしまったわけで。
表面上は丸く収まったけど、コーガミさんは殺人犯。
マキシマを殺すことによって正義は守られたかもしれない。けど。
法はないがしろにされ、言葉には出さなかったけど、彼との恋も終わってしまった。
で、一言「バカ」って。

この一言、ものすごくグッと来たんですよね。前作。
好きだけど、法の守護者として彼を認めるわけにはいかないから。
本音では「ありがとう」と言いたい自分だってあっただろうに(友人をマキシマに殺されましたからね。アカネちゃん)
それでも。

この高い自制心と法に対するまっすぐな思いが、見てる側としては「ええもんを見せていただきました」という思いにつながったわけで。


あと、マキシマ。
自分の免罪体質の有用性を、彼は決して私利私欲で使ってなかったわけですけど。
(例えばアクションゲーム感覚で人間狩りをやってみたりとか、公衆便所感覚でレイプをやってみたりとか)
その根底にあったのは何かというと「自分だけがこの世界を否定できる」という。

ようは自分探しをこじらせて、とんでもない方向に行ってしまったという。
そういうもの。

現実にもいるよねぇ。
周りの迷惑も顧みず「こんなの本当の自分じゃない」「もっと俺がやるべき何かがあるはずだ」とか行動起こしちゃう人。

自分ひとり破滅するのは勝手だけどさ。
周りを巻き込むなや。

で、見てる側がそういう風に思うことで、これまた「ええもんを見せていただきました」という思いに。(2回目


そして全てが終わったとき。
昔は自動車の操縦を全部自動運転で、機械に任せっきりだったアカネちゃんが。
自動車の運転はマニュアルでやるようになってて。

「ああ、彼女はこの物語で、盲目的に法を守るのではなく、考えて守る、ということに本当の意味で気づくに至ったんだな」と。

これまた「ええもんを見せていただきました」という思いに。(3回目

……まぁ、今、決め付けるのはまだアレだと思うんですけどね。
多分、おそらく、そういう思いを最終回で感じることは無いでしょうね。
サイコパス2(仮)