集団的サイコパスによる法の執行がなされる社会。
テメェ、そりゃ人治だろwwww
小難しい言葉で誤魔化しちゃいますけどさ。
ようはさ、他人に全く共感しないサイコパスに善悪を判断させるという形式の社会から、社会の構成員全体としてそれが善か悪かを判断させ、その結果で裁く社会に移行するってことですよね?
ようは民意で善悪が判断される社会。
基準がハッキリしないじゃないかw
そういうのを人治って言うんですよ!w
(同義語:中国式法治)
脚本書いてる側もそのツッコミを予想してたのか
「個人としてはクリアでも、社会集団全体がそうであるとは限らない」
とか
「かつてない魔女狩り社会が訪れるかもしれない」
とか、先手を打って問題点をあげて誤魔化そうとしてましたけど。
それ、明らかに前の社会より恐ろしい社会ですよね?
前のは他人に共感しない奴らの脳に判断させてたから、まだ公平でしたけど。
これからは集団的な価値基準で判断すると。
そのときそのときの集団的判断基準で、そいつの思考形態、精神状態が気に喰わないとなると、即犯罪者になる社会。
最悪じゃないですかw
たまにさ「社会全体が許すなら、気に喰わない人間を甚振り殺しても構わないのでは?」と、人治バンザイな言葉を平気で言う人いますけどさ。
これの何が問題かといいますと、集団全体の判断だから正しいなんてこと、全く何の根拠も無いからですわな。
例えば、実例あげるのはちょっと気がひけるのですが、こんなことありましたよね。
とある老人ばかりの過疎の村で、住人の男が突如凶行を起こして、住人の老人を多数殺傷した事件。
この事件、事実関係だけ見たら
「頭のおかしい男が、突然発狂し、哀れな老人を多数殺傷した」
って風にしか見えませんけど、後で背後関係が分かってきて
「実は凶行を起こした男は、村の老人に総出で苛められていた」
という理由が明らかに。(しかも、老人同士口裏を合わせて事実を隠蔽してた事実も発覚)
ここまで分かると、事実は「苛めに耐えかねた男が、追い詰められた末にやってしまった悲しい事件」と分かるわけですが。
もし、老人側の隠蔽が完璧で、世間にこの事実が全く洩れていなかった場合、この男はただの大量殺人犯ですわ。
(世間の人だってそう見るはずですよね)
ただの大量殺人犯と、苛めの被害者の一矢報いとなると、世間からの目も全く違ったものになるわけで。
真実がどうかなんて、それこそ神様にしか分からない。
だからまあ、人を裁くことを感情的に多数決で決めるようなことを肯定するのはアカンわけですわ。
だって、目の前に出てきてる事実が、本当に真実そのものなのかなんか、人には分からないんだもの。
だからこそ法を定め、法を犯した者を徹底的に糾弾する側、全力で弁護する側に戦わせて、第三者にそれを判断させる、という方式を現実の日本社会はとっているわけで。
このときの人を裁く根拠は「だって、こういうことをしたらこういう処置をするよと、事前に決めてたでしょ?」ってことですわな。
(だからこそ後で作った法で過去の罪を裁くようなこと(遡及処罰)はアカンのですけどね)
法ってのは、平等に、なるべく神の意思に近づけるように、と、作った人の願いや祈りが込められているわけです。
で、それを、集団的サイコパスで運用。人治バンザイ。
素晴らしい!!
法を大切に考えてきたはずのアカネちゃんがそれを肯定。
素晴らしい!!
視聴後、これまで録画してた分のデータ全部消去しましたw
テメェ、そりゃ人治だろwwww
小難しい言葉で誤魔化しちゃいますけどさ。
ようはさ、他人に全く共感しないサイコパスに善悪を判断させるという形式の社会から、社会の構成員全体としてそれが善か悪かを判断させ、その結果で裁く社会に移行するってことですよね?
ようは民意で善悪が判断される社会。
基準がハッキリしないじゃないかw
そういうのを人治って言うんですよ!w
(同義語:中国式法治)
脚本書いてる側もそのツッコミを予想してたのか
「個人としてはクリアでも、社会集団全体がそうであるとは限らない」
とか
「かつてない魔女狩り社会が訪れるかもしれない」
とか、先手を打って問題点をあげて誤魔化そうとしてましたけど。
それ、明らかに前の社会より恐ろしい社会ですよね?
前のは他人に共感しない奴らの脳に判断させてたから、まだ公平でしたけど。
これからは集団的な価値基準で判断すると。
そのときそのときの集団的判断基準で、そいつの思考形態、精神状態が気に喰わないとなると、即犯罪者になる社会。
最悪じゃないですかw
たまにさ「社会全体が許すなら、気に喰わない人間を甚振り殺しても構わないのでは?」と、人治バンザイな言葉を平気で言う人いますけどさ。
これの何が問題かといいますと、集団全体の判断だから正しいなんてこと、全く何の根拠も無いからですわな。
例えば、実例あげるのはちょっと気がひけるのですが、こんなことありましたよね。
とある老人ばかりの過疎の村で、住人の男が突如凶行を起こして、住人の老人を多数殺傷した事件。
この事件、事実関係だけ見たら
「頭のおかしい男が、突然発狂し、哀れな老人を多数殺傷した」
って風にしか見えませんけど、後で背後関係が分かってきて
「実は凶行を起こした男は、村の老人に総出で苛められていた」
という理由が明らかに。(しかも、老人同士口裏を合わせて事実を隠蔽してた事実も発覚)
ここまで分かると、事実は「苛めに耐えかねた男が、追い詰められた末にやってしまった悲しい事件」と分かるわけですが。
もし、老人側の隠蔽が完璧で、世間にこの事実が全く洩れていなかった場合、この男はただの大量殺人犯ですわ。
(世間の人だってそう見るはずですよね)
ただの大量殺人犯と、苛めの被害者の一矢報いとなると、世間からの目も全く違ったものになるわけで。
真実がどうかなんて、それこそ神様にしか分からない。
だからまあ、人を裁くことを感情的に多数決で決めるようなことを肯定するのはアカンわけですわ。
だって、目の前に出てきてる事実が、本当に真実そのものなのかなんか、人には分からないんだもの。
だからこそ法を定め、法を犯した者を徹底的に糾弾する側、全力で弁護する側に戦わせて、第三者にそれを判断させる、という方式を現実の日本社会はとっているわけで。
このときの人を裁く根拠は「だって、こういうことをしたらこういう処置をするよと、事前に決めてたでしょ?」ってことですわな。
(だからこそ後で作った法で過去の罪を裁くようなこと(遡及処罰)はアカンのですけどね)
法ってのは、平等に、なるべく神の意思に近づけるように、と、作った人の願いや祈りが込められているわけです。
で、それを、集団的サイコパスで運用。人治バンザイ。
素晴らしい!!
法を大切に考えてきたはずのアカネちゃんがそれを肯定。
素晴らしい!!
視聴後、これまで録画してた分のデータ全部消去しましたw