アメリカ統治下時代の沖縄観光旅行案内の冊子を手に入れました
自分の好きな土地の歴史はメチャメチャ興味ある。
当時は戦後の復興中で観光名所が少ない時代だから、海水浴とか買い物を楽しんだのかもね。
首里城は守礼門しかない日本三大がっかり名所の一角だった時期ですな。
那覇飛行場とか琉球政府とか琉球気象台という呼び方が時代を感じさせる。
国頭村なんて道路がつながってないし・・・。
まず驚くのが当時の沖縄は外国だったんで、旅行するにはパスポートが必要だったこと。
これは、沖縄平和祈念資料館で知りました。
渡航には予防接種証明書も必要。
予防接種の内容は種痘。
種痘ワクチンを受けなければ沖縄には行けなかったんですね。
読んでみると、渡航手続きが書類1枚書くのでも情報量が多過ぎる
たかが旅行するのに、本籍・身長・身体的特徴・職歴・最終学歴などを書く必要性があるのか謎。
ほぼ、仕事の面接に使う履歴書。
でも、これがこの時代の流儀なんだからしょうがない。
記入例で、生年月日が大正に○ってのがすごいんだが。
でも・・・入域予定日に昭和37年ってあるから、大正14年生まれの田中一郎さんは37歳!
令和基準で考えるから驚きを感じるだけで、当時なら働き盛りの年齢だ。
そして、貨幣はアメリカだからドル。
有名な1ドル360円の固定相場の時代。
今日の円安(152円)の2倍以上なんだから恐ろしい・・・。
内地の人が沖縄旅行する時は相当金を持って行かないとダメだったろうな。
あと、道路を走る車の交通方向はアメリカの交通事情に合わせて内地と左右逆。
後に沖縄が日本に返還されて、貨幣や交通方向が統一化されたわけですが・・・。
一つの国の中で、貨幣や交通方向が入れ替わった地域があるって世界でも極めて珍しいだろうね。
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