堀尾さんが11月3日午後3時半ごろ79歳で亡くなられたという情報が、昨夜FBで知った。
たまたま、寝る前にスマホのリンクの調子が悪いので、確認の為普段スマホでは見ないFBに接続した。
その時、スマホで最初に表示されたFB記事は、堀尾さんのご冥福を祈るという書き込みだった。
驚いてすぐにPCを起動させてFBを見た。
そこにはいくつかの堀尾さん死亡記事の投稿がされていた。
夜10時前の神戸新聞デジタル版がリンクされている記事も投稿され、詳細を知ることが出来た。
情報は昨夜初めて伝えられたらしく、すべて1―2時間前に発信されたものだった。
昨日は「宝塚現代美術てんてん」に行き、会場にスマホを落としたことで、出品者の方に迷惑をかけてしまった。
出品者の方たちは顔見知りの方々で在席していて、堀尾さんと親しいグループの人達だった。
その時、堀尾さん死亡の話は出なかったので、親しい人たちさえ、昨日6時前までは情報が伝わっていなかったのかもしれない。
堀尾さん死亡のニュースは、大きなショックで、そのことが頭から去らず寝付けなかった。
今日お通夜で6日葬式とある。
昨日まで、お通夜か葬式に出席するつもりだった。
しかし、よく考えると私にとっては、いろいろ影響を受けた偉大な人であったが、堀尾さんから見ると、堀尾さんは、世界で活躍し、多くの美術関係者・ギャラリーや美術館関係者とも深い関係があり、更に多くの美術家が堀尾さんを尊敬し交流していて、更に堀尾さんを中心に創作活動を行っている旧ぼんくらグループの人達やその後継のアートグループの人達や関係者だけでも多分100人を超えるだろう。
こうしたことを考えると、私の場合ギャラリーを始めてしばらくして、一度だけ堀尾さんの個展をしていただいたご縁があるのみで、それ以外は、私がギャラリー経営をしている時に、たまにギャラリーを訪問していただいた程度だ。
それでも阪神大震災前の一時期、居酒屋・おでんの店「ぼんくら」で毎月開かれていた作品発表会に、作品も作らないのに何度か手ぶらで参加したことがある。
大震災で「ぼんくら」がつぶれた後、参加者が手弁当で集まって建築にも加わってぼんくらを再建し、再建後のぼんくらで開かれた例会にも数回参加したことがある。
ぼんくらでは、堀尾さんを囲んでグループの作家がテーマに沿った作品を展示説明して堀尾さんに見てもらい、みんなで評価していた。(その後作品は1か月間ぼんくらの壁面を飾ることになる。)
その時の全ての例会の様子を山下さんが写真に撮りモノクロの冊子を作り、次のぼんくらの例会の時に出席者に配布していた。
私がギャラリー廃業後は、堀尾さんの個展を観に行ったときに、たまに堀尾さんが在席されたときに話をさせていただく程度の関係だったが、話をするときには「今何をしているのか(仕事しているのか)」と、いつも私の状況を気にかけていただいていた。
そうしたこともあって私としては是非、通夜なり葬式に行ってお参りしたいと思ったが、上記の様に客観的に見ると堀尾さんとの関係は、どう見てもワンノブゼムで、私は多数いる堀尾ファンの一人にすぎないと認識した。
即ち、葬式やお通夜に出席するには、おこがましいと思い、静かに堀尾さんのご冥福を祈ることにした。
例えワンノブゼムであっても、いろいろ思い出はある。
そもそも、」ギャラリークルセで個展を開いていただいた時から、いろいろ思い出があるし、それ以前に展覧会開催の打ち合わせに来られた時も、今から思えば無知のなせる怖いもの知らずで冷や汗ものだった。(後日書く予定)
追
FBでの投稿が事実なら。・・・
私が、堀尾さんの死を知ったときに、即心に浮かび秘かに危惧していたことが現実となったのかも。 病? 人の定めである老いと衰え行く心身の機能。日々休みなく創造する苦悩。膨大な人間関係人のつながり。時は文化の日、美術界での世界的評価と日本社会一般に評価されないギャップに対する苛立ち。いいろいろ考えられるだろうが・・・・・
堀尾さんを偲びつつ、安らかなご冥福をお祈りするのみ。
参考(神戸新聞NEXTより)
戦後日本を代表する前衛美術集団「具体美術協会(具体)」の元メンバーで、神戸を拠点に国際的に活躍した美術家、堀尾貞治(ほりお・さだはる)さんが3日午後3時30分、神戸市内で死去した。79歳。神戸市出身。自宅は神戸市兵庫区。通夜は5日午後8時から、葬儀・告別式は6日午後0時45分から
「1960年代に具体の会員になり、72年の解散まで活躍。三菱重工神戸造船所で定年まで働き、仕事と創作を両立させた。80年代からは「あたりまえのこと」をテーマに、即興性の強い抽象画やオブジェを発表。多いときには年100回以上も個展やグループ展、パフォーマンスを行った。
身の回りの品に毎日1色ずつ絵の具を塗る儀式のようなアート「色塗り」や、作品を1分で作る「1分打法」で知られ、横浜トリエンナーレではユニークな「百均絵画」で注目された。
紙を破る、絵の具や墨を塗りたくる…。自由で遊び心に満ちた作風と、生きることそのものをアートにするスタイルを貫いた。」
参考
「あたりまえのこと 堀尾貞治論 」 山本淳夫
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たまたま、寝る前にスマホのリンクの調子が悪いので、確認の為普段スマホでは見ないFBに接続した。
その時、スマホで最初に表示されたFB記事は、堀尾さんのご冥福を祈るという書き込みだった。
驚いてすぐにPCを起動させてFBを見た。
そこにはいくつかの堀尾さん死亡記事の投稿がされていた。
夜10時前の神戸新聞デジタル版がリンクされている記事も投稿され、詳細を知ることが出来た。
情報は昨夜初めて伝えられたらしく、すべて1―2時間前に発信されたものだった。
昨日は「宝塚現代美術てんてん」に行き、会場にスマホを落としたことで、出品者の方に迷惑をかけてしまった。
出品者の方たちは顔見知りの方々で在席していて、堀尾さんと親しいグループの人達だった。
その時、堀尾さん死亡の話は出なかったので、親しい人たちさえ、昨日6時前までは情報が伝わっていなかったのかもしれない。
堀尾さん死亡のニュースは、大きなショックで、そのことが頭から去らず寝付けなかった。
今日お通夜で6日葬式とある。
昨日まで、お通夜か葬式に出席するつもりだった。
しかし、よく考えると私にとっては、いろいろ影響を受けた偉大な人であったが、堀尾さんから見ると、堀尾さんは、世界で活躍し、多くの美術関係者・ギャラリーや美術館関係者とも深い関係があり、更に多くの美術家が堀尾さんを尊敬し交流していて、更に堀尾さんを中心に創作活動を行っている旧ぼんくらグループの人達やその後継のアートグループの人達や関係者だけでも多分100人を超えるだろう。
こうしたことを考えると、私の場合ギャラリーを始めてしばらくして、一度だけ堀尾さんの個展をしていただいたご縁があるのみで、それ以外は、私がギャラリー経営をしている時に、たまにギャラリーを訪問していただいた程度だ。
それでも阪神大震災前の一時期、居酒屋・おでんの店「ぼんくら」で毎月開かれていた作品発表会に、作品も作らないのに何度か手ぶらで参加したことがある。
大震災で「ぼんくら」がつぶれた後、参加者が手弁当で集まって建築にも加わってぼんくらを再建し、再建後のぼんくらで開かれた例会にも数回参加したことがある。
ぼんくらでは、堀尾さんを囲んでグループの作家がテーマに沿った作品を展示説明して堀尾さんに見てもらい、みんなで評価していた。(その後作品は1か月間ぼんくらの壁面を飾ることになる。)
その時の全ての例会の様子を山下さんが写真に撮りモノクロの冊子を作り、次のぼんくらの例会の時に出席者に配布していた。
私がギャラリー廃業後は、堀尾さんの個展を観に行ったときに、たまに堀尾さんが在席されたときに話をさせていただく程度の関係だったが、話をするときには「今何をしているのか(仕事しているのか)」と、いつも私の状況を気にかけていただいていた。
そうしたこともあって私としては是非、通夜なり葬式に行ってお参りしたいと思ったが、上記の様に客観的に見ると堀尾さんとの関係は、どう見てもワンノブゼムで、私は多数いる堀尾ファンの一人にすぎないと認識した。
即ち、葬式やお通夜に出席するには、おこがましいと思い、静かに堀尾さんのご冥福を祈ることにした。
例えワンノブゼムであっても、いろいろ思い出はある。
そもそも、」ギャラリークルセで個展を開いていただいた時から、いろいろ思い出があるし、それ以前に展覧会開催の打ち合わせに来られた時も、今から思えば無知のなせる怖いもの知らずで冷や汗ものだった。(後日書く予定)
追
FBでの投稿が事実なら。・・・
私が、堀尾さんの死を知ったときに、即心に浮かび秘かに危惧していたことが現実となったのかも。 病? 人の定めである老いと衰え行く心身の機能。日々休みなく創造する苦悩。膨大な人間関係人のつながり。時は文化の日、美術界での世界的評価と日本社会一般に評価されないギャップに対する苛立ち。いいろいろ考えられるだろうが・・・・・
堀尾さんを偲びつつ、安らかなご冥福をお祈りするのみ。
参考(神戸新聞NEXTより)
戦後日本を代表する前衛美術集団「具体美術協会(具体)」の元メンバーで、神戸を拠点に国際的に活躍した美術家、堀尾貞治(ほりお・さだはる)さんが3日午後3時30分、神戸市内で死去した。79歳。神戸市出身。自宅は神戸市兵庫区。通夜は5日午後8時から、葬儀・告別式は6日午後0時45分から
「1960年代に具体の会員になり、72年の解散まで活躍。三菱重工神戸造船所で定年まで働き、仕事と創作を両立させた。80年代からは「あたりまえのこと」をテーマに、即興性の強い抽象画やオブジェを発表。多いときには年100回以上も個展やグループ展、パフォーマンスを行った。
身の回りの品に毎日1色ずつ絵の具を塗る儀式のようなアート「色塗り」や、作品を1分で作る「1分打法」で知られ、横浜トリエンナーレではユニークな「百均絵画」で注目された。
紙を破る、絵の具や墨を塗りたくる…。自由で遊び心に満ちた作風と、生きることそのものをアートにするスタイルを貫いた。」
参考
「あたりまえのこと 堀尾貞治論 」 山本淳夫
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