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大阪市長選挙とグローバリズム

2011年11月24日 11時27分11秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
今ダブル選挙が行われているが、大阪市内に住んでいて、盛り上がっているという雰囲気は感じられない。

以前から市政に関する方向性は持っているが、改めてゼロベースで候補の主張を見て判断しようと思った。
そこで、主張を調べていくうちに隠れていた基本的な政治姿勢の違いが明らかになった。

これまでは、維新の会の主張する都構想に注目が集まっていた。
ダブル選挙の論点の中心はそこにあった。
その都構想の元になる物は、維新の会の掲げる「大阪再生マスタープラン」である。
マスタープランの細部については、大阪府中小企業家同友会アンケート回答として、やや詳しく述べられていた。

大阪再生マスタープランの立脚する立場は明確である。
その方向性の要点と思われる点を、回答中から抽出した。(以下参照)
「私たちは、製造業を典型とする旧来型のビジネスモデルが最早通用しないグローバル経済の中にいるという認識を共有する必要があります。したがって、公の役割もグローバルエコノミー、成長戦略に挑戦する中小企業の支援を柱にするべきであると考えます。」(維新の会「大阪再生マスタープラン」)より

この文面を見る限り、維新の会はグローバリズムの中で積極的に伍して行くことを目指しているようだ。
今の日本経済は、好むと好まざるとにかかわらず、貿易する限りグローバリズムの影響を避けられない。
その意味で、維新の会の政策は、効率・競争中心、自己責任、規制緩和・自由化といった小泉内閣の時の政策と共通する側面を持っているのではないかと思われる。
教育改革をなぜ推進するのかという疑問も、グローバリズムによる効率化の視点を考えれば、うなずける。

日本は、資源も無く貿易経済に頼る以上、経済は必然的にグローバル化しなければならないことは、自明である。
既に、経済大国の日本はすべての面でグローバリズムの影響を受けているし、企業は盛んに海外進出し、産業の空洞化も叫ばれているが、技術流出等や現地の賃金上昇や労働紛争やそれ以外の問題もあって、反省し見直しも行われている。
今も様々な要素が絡み合いつつ、TPP問題も含め複雑な形でグローバリズムを受け入れざるをえない状態だ。
ところが、どのような形でグローバリズムの弊害を無くし、必然的に発生する国際競争を見据えつつ、国さえ破綻に追い込むマネーの暴走や新自由主義的経済を受け入れ制御するか、国民的合意や結論は出ていない。

その意味で、今回のダブル選挙では全く強調されないが、論点の基本にはグローバル経済への対応の問題があるのかもしれない。
その視点で見れば、橋下候補と平松候補の選挙で訴えている姿勢は、構造的にはっきりしていて明快である。
大阪府は、一本化し独自にオール大阪でグローバリズムの経済に対応し、そのため大阪市は廃止して区を再編し区単位で住民サービスを受け持つようにするのが、橋下陣営の主張のように見える。
一方、(グローバル経済への大きな対応は国又は関西圏(関西州?)の広域行政に任せ、)大阪市・大阪府は、それぞれの独自性を守りつつ協力し合い、市民・府民の生活・サービスの向上や、地域経済を活性化(地域経済を支援し底辺からグローバル化に対応できる経済力をつけようとする)するのが、平松陣営の主張のように見える。
( )内は候補者の今までの報道での話からの推測ですが、私の勘違いの可能性もありますので要注意。

具体的政策や細部については各候補が詳細に述べているが、グローバリズムという大きな視点で見た場合、(あくまで私の勝手な見方であるが、)その違いがより鮮明になっているように感じている。

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纏向型前方後円墳と古墳時代の始まり

2011年11月23日 12時46分34秒 | 考古学・古代史・歴史・文化人類学
先週「古代を偲ぶ会」の例会で寺沢薫氏の「「纏向型前方後円墳」再論」というテーマでの講演会があった。
講師の寺沢薫氏は、出現期の古墳研究(前方後円墳の始まり)の第一人者として有名である。

講演会のテーマと大きく関連する、纏向遺跡は、以前から邪馬台国時代の遺跡、遺構、遺物の発見が続き考古学では非常に注目されていた。
ここ数年遺跡から、整然と配置された宮殿クラスの建物遺構が次々と発掘され、邪馬台国女王卑弥呼の宮殿ではないかと、大きくマスコミをにぎわしている。
現在も発掘が断続的に継続されていることもあり、今後とも、考古学ファンのみならず、国民の注目を浴び続けることになるだろう。

(以下講演会での話の内容になりますが、これは私が講演会を聞いた話の記憶をもとに再構成しているもので、寺沢氏の話を再現している物ではありません。また私の記憶違い等の誤りも考えられます。そのため引用等の利用は固くお断りします。正確な内容は、寺沢氏の著書を参照してください。)

講演会は、テーマの「纏向型前方後円墳」とは何かという話から始まった。
古墳時代には前方後円墳を頂点として、前方後方墳や円墳や方墳等多くの古墳が築かれた。
古墳の形や大きさは、階級を表している可能性が強いとされている。
古墳の頂点に立つ前方後円墳は突然広がりだした。
初期の前方後円墳の始まりは?箸墓といわれているが、専門家からいろいろ意見が出ている。
(参考:箸墓は纏向遺跡のそばにある。http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai05.html)

最古の前方後円墳の前によく似た形の「纏向型前方後円墳」が存在した。
纏向型前方後円墳も前方後円墳同様に様々な墳丘に分類できる。
従来の箸墓から始まる前方後円墳は、纏向型前方後円墳が定型化したものと捉える。

寺沢氏が古い古墳を調査したところ次のことが判明した。
初期纏向型前方後円墳の年代は、庄内3から布留0式である。(土器の形や製造方法による編年上の分類で、庄内式土器の後に布留式時が発生する。後ろのナンバーは小さいほど古い)
しかも、南九州から東北南部まで分布している。

前方後方墳が前方後円墳より先に発生したという学説も存在する。
この詳細を調査したところ、すべての前方後方墳は纏向型前方後円墳より古いものはない。(時期は庄内3まで)
従って前方後円墳が前方後方墳から派生したということはいえない。

弥生時代が終わり前方後円墳が発生して古墳時代となるのが定説であったが、纏向型前方後円墳の位置づけをどうするのか。即ち古墳時代の幕開けの捉え方。
纏向型前方後円墳の分布に特徴がある。大和・筑紫・吉備・関東に固まっていて、前方後円墳発生後も存続する。前方後方墳も前方後円墳発生後も存続する。
出雲には四隅突出型墳丘墓のみである。又出雲や中部内陸には、纏向型前方後円墳が存在しないが、中部には前方後方墳が存在。その意味で「魏志倭人伝」で邪馬台国と対立関係にあったと書かれている「狗奴国」の意味も注目される。
このような古墳の分布のあり方と時代別の変化を見ると、墳形も含め、連合王権としての王統(後の大和の豪族?)と地域政権の絡みや地域祭儀の集約といった関係も解明できるのではないか。

以上のような講演会の説明を聞いて、これから箸墓以前の弥生時代から古墳時代への移行期の政治状況に関し、考古学的アプローチが進むのではないかと期待される。
(弥生時代末には、銅鐸や銅剣、銅矛等が一斉に埋納されている。等様々な謎かある。)



参考
【全国遺跡報告総覧とは】
藤原京右京九条二・三坊 瀬田遺跡の調査(飛鳥藤原第187次調査)(ダウンロードをクリックすると現地説明会資料<左下のタグをクリックすると表示される>が表示されます。日本最古クラスの円形周溝墓です。)

歴史・考古学・民族学
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睡眠障害になる足廻りの冷えと防寒対策

2011年11月22日 17時03分07秒 | 私的医療・健康・運動・保険環境(ポリオ関連含む)
今朝は冷え込んだ。
昨夜は寝る時に足が冷たくて寝られなかった。
足がスースーした感じなのだ。
別に冷え症があるわけではない。
多分直前まで、机に向ってPCを打っていて膝が冷えたのが原因と思い、そのうち足も暖まってくるだろうと思っていた。

しかし時間がたっても一向に暖まらない。
どうも足の熱収支と布団からの放熱の収支が、放熱のほうが大きくなっているのだろうと考えた。
要するに布団やマットが周囲の温度に対し薄いのだ。
しかし室温14度で、掛け布団が羽毛布団2枚に毛布と夏の掛け布団で、それなりの対応をしていると思っていた。
そんなことを考えながらも寝ようとしたが、やはり足がひんやりして寝つけないので、更に毛布を上に掛けようかと思ったが、そのとき足元の冷えでここ数年やっていた方法を思い出した。

それまでは、外気が下がり冷え込むと、カイロや湯たんぽ等をコタツ代わりにしていた。
また、ある時は敷布団を増やしたがそれでも、何か熱が奪われる感じがした。
そこで輻射による放熱の影響を考え、床にアルミ箔付きの断熱シートを敷いてみた。
すると即、寝床の冷たさを感じなくなり、輻射熱が関係していると思った。
それ以来寝るときの床面の防寒には、断熱シートを使用するようになり、背中に敷いたカイロは不要になった。

それでもたまに、つま先あたりが冷え込むことがあり、つま先のカイロは必要だった。
あるとき、布団の中で寝返り等で体を動かした時に、布団の間から足元に外気が侵入して冷えることに気がついた。

その対策として去年は、足元をアルミ箔付きの断熱シートで布団とマットを外から、C型に包んだ。
先ず、断熱シートの熱反射面(アルミ箔蒸着面)を上にしてマットと床の間に差し込む。(差し込んだ分だけ、床から断熱される。)
つぎに、残りのシートを折り返し、睡眠中蹴って剥がれないよう掛け布団の間に差し込むみ、足元を外からC型に包み込む。
こうすることで、足元の布団のスキマから呼吸する空気も遮断でき、放射冷却も遮断し保温効果が高くなる。
これで足元のカイロも不要になり、暖房器具やカイロ湯たんぽもなしで、眠れるようになった。

昨夜は、上記のことを思い出し、夜中に起きてこの処理をした。
断熱シートで足元のマットから掛け布団を包むと、即刻冷えを感じなくなり、ぐっすり眠れた。

参考 我が家の寒さ対策
我が家は、戦前からの古い長屋なので風通しはすこぶる良いが、冬は非常に具合が悪い。
そのため隙間風対策は、徹底的におこなう。
ほとんどの隙間はガムテープで目張りをする。稼動部分はスキマテープを使う。

我が家ではストーブ類や電気コタツや電気毛布やホットカーペット等の暖房器具を一切使っていないので、熱源は電気ポット程度なので室内は冷え込む。
そのため、厚着をし、居間の畳の上にアルミ箔付き断熱シートを2重3重に敷いているので室温は10度ぐらいでも、それなりに暖かくほとんど寒さを感じない。(物に触れると冷たいが)
ただし、馴れるまではアルミ箔のギラギラ感が異様なので、落ち着かないが、その場合は断熱シートの上に、好きなカーペットを敷けばよい。

フローリングの三畳間や台所と炊事場は、座ることはないので何も敷いていないが、暖かいスリッパを使用しているので、机での読書やPC作業とか、炊事場での調理作業も寒さを感じない。
ただ室温が10度以下になると机の面が冷たく感じるので、指先を切った手袋を使用する。

以前は、コタツや電気ストーブやガスストーブや電気カーペットを使用していたが、コタツや電気カーペットで温まると眠くなるため、コタツやカーペットから外へ動かなくなり、TVばかり見ては、ごろ寝する生活に退化したので、すべて止めた。(最初は経済的な問題もあったが、今は経済的理由で続けているわけではない。)

無暖房の為、厳寒時の朝の室温は6度程度になる。
従ってここ数年、家の中では真冬はダウンジャケットにオーバーズボンで過ごすが、家の中の行動はコタツや電気カーペットを使用したときと比べ、非常に活動的になり健康にもプラスに作用していると思う。

追記
2018年1月現在 フローリングの上で寝ているが、その時の寝具の状態。
フォローリングの上に、5mm?のウレタンフォームの断熱シート(片面アルミ反射)を2枚反射面を上にして敷く。(毎回居間に敷いている物を、フローリングに移動)
その上にマットを敷き、更に敷毛布をマットの上に敷く。
掛け布団類
毛布又は、夏掛布団を敷き、その上に春秋用羽毛布団2枚と毛布を重ね、その上に、掛け布団2枚を重ねる。



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晩秋のイチジクと新しい実

2011年11月22日 11時10分04秒 | 趣味娯楽・園芸・探鳥・山・海・観光・グルメ

イチジクの新しい実。


アロエの花のつぼみとゼラニウム(いずれもシスコさんからのもらった苗が育ったもの。)

昨夜、いつもどおりの遅い夕食を済ませた後で、昼ごろに収穫したイチジクを食べた。
晩秋の季節はずれに近いイチジクである。
枝に近いほうがまだ青かったので、甘味が少ないだろうと思い込んでいた。

ところが食べてみると、モチモチしていて店で売っているイチジクにない食感に驚いた。
甘味も適度にあった。

これなら上出来だ。
しかし、なぜモチモチ感のある食感になったのか。

その理由を知りたくなり、思いをめぐらした。
水が少ない。肥料をたっぷりやった。日当たりが悪かった。ゆっくり育った。
その程度のことしか思い浮かばない。
はっきりした理由は不明だが、とにかく予想以上に美味しいイチジクを味わうことが出来たので満足した。

まだイチジクは3個残っているが、小さいイチジクが、かすかに色付き始めていた。
それが成熟するまで後何日、イヤ何週間かかるやら。
冬はそこまで来ていて、今日も寒かった。

ところが今日、残りのイチジクを見ていて、枝先に新しい小豆より小さなイチジクの実を見つけた。
イチジクの実は再び4個になった。
この枝先の豆粒以下のイチジクは、冬越しのイチジクになるのか、それとも冬の嵐に負けて枯れるのか心配になった。
このイチジクの赤ちゃんにはなんとしても、この冬を乗り切って欲しいと願った。


参考
11月12-27日 塔本シスコ展(http://www.selfsoart.jp/exhibition/index.php?no=79)
       セルフソーアートギャラリー(京都)


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大阪市長選での橋下氏・平松氏の戦術の違い

2011年11月21日 19時57分21秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
大阪市長選挙のニュースのなかで特集しているのを見た。
選挙情勢は、橋下氏が優勢で、平松氏が追う展開と報じていた。
そのニュース映像を見ると、二人の戦い方に明らかな差があった。

二人とも、無党派層を意識しているという。
その選挙戦での取り組み方が対照的だった。
橋下氏の選挙参謀は選挙の演出がうまいように思った。
平松氏側は、既成政党に乗っているため、選挙戦術が従来どうりで、陳腐なように感じた。
そういう意味で、橋下氏がマスコミ業界にいただけあって、人の心の掴み方を知っているようにみえた。

例えば、同じ無党派層の掴み方にしても、橋下氏は若い無党派層が多く集まる場所で、橋下節を展開している。
平松氏も同じく無党派層の集まる場所を歩いていたが、同じ無党派層でもいわゆる客層が違うように見える。
歓楽街+商業地区中心の町と、ビジネス+商業地区のどちらの場所のほうが政治意識の高い人が多いか、土地の風土からある程度推測がつくかもしれない。
政治意識が高ければ、無党派層であっても問題を感じれば選挙に行くだろう。
しかし、始めから政治に無関心の無党派層では、選挙にいかない人が多かったり、政治に興味を全く持てない人も多いかも知れない。

今までの、主張の仕方にも二人に大きな差があった。
橋下氏の手法は、どちらかというと、国民に圧倒的支持を受けた小泉氏に似たところがある。
橋下氏の訴え方は、小泉元総理の選挙手法と似ていて、敵を明確にし、象徴的な言葉で細部にこだわらず相手を攻撃しつつ、橋下氏の窮状を訴えることも含めて、支持を求めるやり方だ。

あの当時、優勢選挙で国民は小泉氏の言う新自由主義による改革の本当の意味を理解していなかった
小泉氏の、反対勢力をぶっ潰すと言う、改革をする正義の味方のようなキャッチフレーズに酔った。
しかしその改革の真の正体は何だったのか、後になって国民は知った。
その結果セフティーネットのない規制緩和で、正社員の切捨てが始まり、貧困層が急増し、日本は大きな格差社会になったし、更に100年安心年金は既に破綻し始めている。
それを是正すべく、民主党政権になったが、期待された成果は思ったほど上がっていない。
単純な言葉で敵を攻撃し、改革ムードだけが先行するのは要注意とであることを大人は身をもって知ったが、経験の少ない若い人には受ける可能性はあるだろう。

その意味で、演説内容は別にして、知名度が高く、ターゲットや問題点を絞り簡単な言葉で明快に演説し分りやすく説得する橋下氏の選挙スタイルは、若い人の集まるところでは、聴衆を魅了し非常に威力を発揮しているのだろう。
対話でなく、演説は、一方的メッセージの為対立相手の反対意見が入らない分、単純化する程分りやすく、聴衆の心を捉えやすく、説得納得させるのに非常に効率的だ。
これは誰にでも言えるが、意識して演説するのと、なんとなく主張するのとでは、与えるインパクトが違う

一方平松氏の選挙手法は、橋下氏と同様無党派層をターゲットにしているが、一人ずつ握手をし、できるだけ多くの人と触れ合う戦術を取っている。
これでどれだけ、選挙に関心を持たない人の関心を呼び覚ますのか疑問に思う。
選挙の争点を知らないで、無関心であった人でも、橋下氏を見て立ち止まり演説を聴くことで関心を持ち選挙に行こうと思う人の割合は、演説を聴くことも無く、一人ずつだだ握手された人より大いに違いない。
使い古されたプロの選挙手法がどれだけ効果あるのだろうか。

ここで気になるのは、争点を明確にした訴えが、お互いきっちり出来ているのかどうかだ。
選挙民は、それを一番知りたがっているのだろう。
例えば
二重行政の実態と問題点、 水道、図書館、美術館、交通局、港湾、道路、大学・・・
大阪都構想の実態と区に分割した場合のメリット・デメリット
教育行政
福祉行政
経済活性化策
道州制(関西州)との関係
独裁的の意味
といったことを、一つのテーマだけでなく、橋下陣営、平松陣営がそれぞれ具体的に分りやすく訴えるべきである。

支持勢力の背景も影響しているかもしれない。
橋下氏は、維新の会だけなので主張も、運動の仕方も一本化され明快だ。
平松氏は、各党が支援しているので、それがどのように影響しているのか、もたれあいで勢力が分散しているのか分らないところがあるような気もする。
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晩秋のイチジク色付く

2011年11月21日 12時42分00秒 | 趣味娯楽・園芸・探鳥・山・海・観光・グルメ


家の前の鉢植えのイチジクは、昨年5月ごろに30cm程の苗木を買って鉢に植え替えた木だ。
今は成長し、1m程の高さになり大きくなった。
去年は数個の実がなったが、まともに食べたのは1個だけだった。
その他は、イタチ?に実を落とされたり、完熟しなかった。
冬に1個残った小さな実が大きくなり、早春に色付いたので食べようと思っていたが、ある日突然無くなった。
多分、やはりイタチの仕業ではないかと思っている。

イタチのいたずらには、過去いろいろ悩まされていて、今年も被害にあった。
今年も夏の終わりに、ブドウがたくさんなり、さて収穫と思っていた頃に、ねずみがブドウを食べ始めた。
ねずみが塀やブドウの枝を走っているのは、確認している。
ネズミの食べ方は、一つずつまばらにブドウを食べるので、ブドウの房が歯抜けになった状態になる。
時には少しブドウの皮が残っている場合も多い。
ネズミの口のサイズを考えれば理解できる。
ネズミ以外に、スズメや、ヒヨドリも来るが、夜には食べないし一日に食べる量も知れている。

このようなネズミの被害にあい始めたので、その翌日に収穫を予定していた日のことだった。
朝起きて、今日は収穫するぞと思い裏庭を見ると、ぶどうの色付いたものは、すべてなくなっていた。
かなりの量である。
一夜で、ブドウの皮もなくきれいに食べられていて、その食べ方や量はイタチしか考えられなかった。
それまでイタチは肉食なので、ブドウを食べないと思っていた。
その頃、イタチがブドウの枝や塀を行き来しているのをたまに見ていたが、ネズミをとるのにパトロールしているのだと思い安心していたが、裏切られた感じだった。

イタチは、好奇心旺盛で、庭に生えていたきれいな花をつける球根性の草「玉すだれ」をすべて引き抜き横に並べていたこともあった。
新芽の生えた球根を引き抜いて横に並べるという行為ができる能力に驚いた。
ただ、その行為は夜中に行われた為、その現場を確認していないが・・。
こんなイタチなのでイチジクを持ち去る可能性が強いと思っている。要注意だ。

今回色付いたイチジクは、ここ1-2週間で急に大きくなった。
まだ一部が青く完熟ではないが、今日は収穫し食べようと思う。
それでもまだ3個のイチジクが、成長せず青い実のまま残っている。
イチジクが一個だけ選ばれて成長し色付いたことに、イチジクの意志が働いているように感じた。
無論植物なので、神経細胞はないし、動物と同等のような意志は考えられない。

これから冬になるが、残りの3個のイチジクが今後どのように成長し完熟するのだろうか。
今後の冬の成長に興味がある。
多分冬の間は成長の動きがないか、又は実が枯れ落ちるのではないかと予想している。
今後のイチジクの適応を観察したい。

それにしても、今回のイチジクのように、植物の営みや対応力に感心することも多い。
例えば、ゴーヤやトマトの実のつけ方を見ていても、冬が近づくと、いらない葉を自分で枯らせてその養分を実に送り込んでいるように見える。
このようなことを見ていて、植物は自分なりにコントロールしながら、実をつける順番を考えているのではないかと思ったりした。
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11/20日記 三条の画廊めぐり&時計バンド修理

2011年11月21日 02時00分16秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今日、昼に投稿したり、後洗濯物の片付けとか家事をしていて、時間がとられた。
その後、メールを打ったりして時間をとられたので、とりあえず昼は外食にして、京都に行くことにした。
更に、今日はダイコク(ディスカウント薬店)の特価日だったので、サプリメントの購入品を確認したりした。

身支度を整えて、時計をはめようとすると、腕時計のベルトが半分切れていた。
もう時間は午後1時になる。
個展の最終日は5時に終わるので、間に合わない可能性もある。
ポケットに、ベルトの切れかけた時計をねじ込み、自転車を飛ばしてJRの玉造駅近くの牛丼店に駆け込んだ。
急いで牛丼を食べ、今度はJR玉造駅近くの、駐輪場へ、そしてせかされるように京阪三条へ向った。

京阪三条駅からは、徒歩で三条通を神宮道に向って急ぎ足で歩いた。
途中ギャラリーはね兎によって、ついつい若い作家と話しし、時間を取られた。

やっと目的の、児玉泰展会場のアートスペース東山に着いた。
児玉さんは、数人のお客さんと奥さんを交え談笑していた。
展示された作品を見てから、児玉さんとの話題は、予想どおり古墳の話しになった。

彼の個展では、特徴的なことがある。
彼は、個展期間中に彼の研究ノートを置いている。
そこには、丁寧に学術資料がまとめられていた。
多くの古墳実測図や考古学関連の実測図があり、丁寧な解説や学説が記録されていた。
このような資料は、調査報告書を図書館まで見に行って、コピーすることもあるという。
成るほど、本格的な考古学論文を出すには、大変な努力が必要なのだなと感心した。
余談だが、私も一時考古学の遺跡発掘の調査報告書を買い込んだことがあったし、学術誌を定期購読もしたが、さすが、にサラリーマンを止めてからは、学術誌の購読を止めたが、今もそれらが本棚を占拠している。
その他、児玉さんは、最近一時体を壊されたことがあったという。
仕事に、考古学研究に、また作品制作に、多分オーバーワーク気味になっているのではと、心配になる。

彼の考古学研究への興味は、作品にも色濃く反映されている。
一つのコーナーに張られた、作品のエスキースに考古学資料から、抜き出したデータらしき図形がはいっているのを見ても分る。
今回の展覧会では、花の美しい写実作品も目を引いた。
4時も過ぎたので、スズキやニジその他の現代系画廊を廻るため、個展会場を出た。

都ホテル近辺のスズキやニジを廻った後京阪三条駅に下っていくと、京都の画廊を廻る時にたまに覗く画廊で川島慶樹さんの個展をしていたので入った。
ギャラリーオーナーと作家と3人でひとしきり話し込んでそのギャラリーを後にした。
ついでに同時代ギャラリーまで足を伸ばしたが、イラストだったのですぐにギャラリーを出て、時計のバンド修理の店を探す為、寺町や新京極を四条に向って歩いた。
その途中、錦市場が気になったので、更に足を伸ばした。
京都の町はいろいろ歩いているが、錦市場は有名なのに、まだ一度も行ったことがなかった。
大阪の黒門市場とは、スケールが違うようだ。
見て歩き回ったので、さすが足に疲れを覚え、一路阪急で梅田に向った。

梅田に着くと、時計バンドの修理で安い所が、ちょっと前まで大阪駅前の地下街にあったが、そこは確かなくなっていたように思いだし、どこに行くべきか思案した。
そこでヨドバシカメラは、時計も扱っていたはずなので、ヨドバシに行くことにした。
確かに時計売り場、そして時計、バンド修理のコーナーもあった。
バンドサイズが分らす窓口に聞いて再度バンドを自分で選んで、修理窓口に持ち込んだ。
一時間余りでバンド交換すると言うので、整理券をもらった。
その時、多分その修理所が地下にあった店と同じではないかと気付いた。

一時間余りの暇つぶしは、咽が渇いたのとおなかがすいたので、JRガード下のマックに行くことにした。
ハンバーグとコーヒーをトレイに載せて二階に上がると、いつものようにほぼ満席だったが、各席を目で追いながら空席を探して座った。
座った席の視線の先に学生と思われるカップルが、キスをしたり、はぐしたり、お互いの体や顔をくっつけあったり気になる行為をずっと続けていたので、見とれた。
私との距離は4-5mもないし、周囲も人で一杯だったが、まだ18歳以下と思える彼ら二人は、カウンター席で、体を向けあり、平然と携帯を持ち一緒に見たりしながら、体を密着させたり離れたり、長いキスしたかと思えば、手を相手の膝に置いたり体をなでたりの繰り返しだった。
そういう行為をたまにチラチラ見つつ、私はコーヒー片手に、考古学の本を読んでいた。
我ながら、奇妙なデバガメに近い構図だと思ったが、隠れて覗き見しているわけでもない。(ほぼ真横)。
こちらの二人席の正面の向こうに彼ら二人の席があるので、こちらからは自然に一部始終見えるのだ。
不思議なことに、向こうにエロスを感じつつ、しっかりと本も読み込んで書いている学説やデーターについて考えをめぐらしていた。

その横にやはり中年男性が近くに来てから彼らは、席を立った。
しばらくして修理の終わる時間が来たので、バンド交換の時計を受け取りに再びヨドバシカメラに行った。

そして帰宅後、大変なことが待ち構えていた。
うっかり、いつもの日曜ペースで、3食分の調理をせずに京都に出かけたのだ。
日曜日は昼を遅い外食にして昼の間に夜と翌朝の調理をするようになっていた。
しかし今日は京都に早く行かなければと思い、すっかり調理を忘れていた。
仕方なく、夜食はご飯と、納豆とバナナとヨーグルトにした。
さばの缶詰を開けようかとも考えたが、150gのさばは、腹持ちが良すぎるので止めた。
今日一日、あわただしい一日だった。
しかも、急ぎや必要でもないこのブログを夜中1時まで打って、その後、昼に投稿したブログで私が犯した投稿設定ミスを修正して午前2時になっしまったという滑稽さ。
なんとなく、今日はドタバタの落ち着かない日だった。
これからゆっくり寝て、明日から頑張ろう。(明日は寝不足??)

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筋肉痛のその後と古代史・考古学の会

2011年11月20日 11時28分19秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
(この日記は11月20日午後11時半頃に投稿しましたが、私のミスで非公開になってましたが、公開します。)

昨日、午後1時にくしゃみと強烈な筋肉痛のブログを書いてUPした後、食事の後片付けもせずに、とりあえず歯だけ磨いてジーンズとジャケットに着替えて、強い雨の中を自転車で飛び出した。
一抹の筋肉痛に対する不安はあった。

その日は、午後2時から天満橋近くの「エル・おおさか」で「古代を偲ぶ会」の11月例会(講演会)があったのだ。
講演会のテーマは「「纏向型前方後円墳」再論」というテーマで、講師は寺沢薫氏だ。
寺沢氏は弥生時代末から古墳時代初期にかけての、弥生墳丘墓や纏向型前方後円墳、出現期古墳に関する研究では第一人者である。
奈良県桜井市の三輪山(大神神社の御神体で神話・伝承も多い)の麓には、卑弥呼の墓といわれる初期前方後円墳の箸墓や、卑弥呼の宮殿ではないかといわれる建物が発掘されて今も調査が続いている纏向遺跡があるが、それが寺沢氏の主な研究フィールドの一つでもある。
この講演会の話しは、後のブログに掲載予定。

私は、数ヶ月前に分厚い寺沢薫氏の著書「日本の歴史02王権誕生」(講談社)を読んだが、その後立て続けに何冊か弥生末から、古墳時代に関しての考古学関連の本を読み、ニュースの纏向・卑弥呼関連報道だけでなく、その報道の裏づけとなる、現在の日本の最先端の緻密な考古学研究が、朝鮮や中国の考古学の成果を踏まえ、劇的に展開しつつあることを知った。
当然、考古学ファンの一人として、第一人者の研究者の話を聞き逃すことは出来ない。

いつもは、「古代を偲ぶ会」の例会には、自転車で行き、終わってから北区西天満の老松通り界隈の現代美術系の画廊を廻って帰る。
しかし、昨日は大雨だったので、地下鉄で北浜まで出たが、その後少し道に迷ったが、5分遅れで会場に着いた。
晴れていれば、多分超満員であろうが、大雨の為空席が目立った。
講演会は、熱が入り、数十分時間が伸びたが、期待通り新しい話しを聞くことが出来た。

講演会が終わり、外に出ると雨はやんでいた。
昨日は歩いて、老松通りの帰りに立寄る天満橋にあるファストフーズでコーヒーを飲みながら、大川の川面の風景とファストフーズ独特の喧騒感を楽しみながら、本を読んだ。
心配した、筋肉痛は少し感じた程度だった。

帰宅後、寝る前に銭湯に行き、ゆっくりとジェットバスに当たった。
今朝もくしゃみをしたが、全く筋肉痛が無かったので、逆に驚いている。
しかし違うとところが、軽く違和感があるが、これも多分問題ないだろう。

今日は京都へ、ギャラリー時代から懇意にしていて、考古学研究者でもある、児玉泰さんからいただいた、個展「佐紀盾列」(京都・三条通神宮道東入 アートスペース東山)を見に行かねばならない。
彼の作品は、考古学的な意味合いを現代絵画に組み込んでいて、しかも日本画の出身であることによる、日本画の影響も入った、面白い作品である。(茨木市の現代美術展の特集作家にもなった。)
佐紀盾列も奈良市北部の大規模古墳群の名前で、巨大な前方後円墳が並んでいて、王権の移動があったのかどうかで議論を呼んでいる。
最終日なので、ひょっとすると児玉氏と会って、ひとしきり考古学(古墳時代の始まり等)の話しを楽しむことになるかもしれない。
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くしゃみで強烈な筋肉痛

2011年11月19日 13時02分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今朝も、いつものように3食分の調理をしていた。
1kg程の鶏の切り分けもあるので、少し時間がかかるかなと思いながら、調理している途中に、突然大きなくしゃみをした。

そのとたん、背中からわき腹全体強い痛みに襲われた。
すぐに、奥で1分ほど横になった。
なかなか痛みは治まらないが、落ち着いたところで、筋肉痛の薬を持ち出し、背中全体に何度も塗った。
それでも痛い。
近くの鍼灸院に行くかどうか迷ったが、とりあえず様子を見ることにした。

10分もすると筋肉の痛みは治まった。
今朝は、昨日のブログにも書いた痛みはほとんどなくなっていたのだ。
ところが、今日のくしゃみで、筋肉疲労であることに間違いなかったことがはっきりしたようだ。

ただ、この筋肉疲労は、痛みの箇所から見て、深部筋肉が疲労していたようだ。
いわゆる体幹深層筋が疲労し筋肉痛を起こしていたようだが、想像以上に疲労していたらしい。
今日、明日は体を休め、体幹深層筋の疲労回復を図ろうと思う。
疲労が取れた後は、体幹深層筋を重点的に鍛えるトレーニングを始めたい。
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徹底討論TPPを観て

2011年11月19日 07時56分51秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
昨夜のNHKの徹底討論TPPの議論を聞いた。
TPPに関し様々な情報も出ているが、詳細は未だに分っていないし、アメリカあたりから新しい情報(要求?)もいろいろ聴こえてくる。
昨夜の議論は、外務省経験者を含め、賛成派、反対派の意見が激しく衝突した。
当然のことながら、結論は出なかった。
以下この討論を聞いて、自分なりに感想を含めつつ、気付いた点を書いてみた。(議論のまとめとかレポートではありません。)

TPP参加交渉の前提として、まず外交交渉なのですべて明るみに出ることはありえないという。
そういえば、以前TPP参加に関しカナダが条件が合わずに、TPP参加を取りやめたという反対派のもっともらしい意見もあったが、日本が参加交渉に参加表明すると、カナダも参加表明したではないか。

賛成派は、交渉事なので例えば農業問題でもすべて一かゼロかということはありえないというがほんとかなと疑いたくなる。
又TPPを機に農業の改革を進める必要があるという。
確かにその通りだが、米の場合余りにも格差が大きすぎて農業の構造改革でカバーできる限度を越えているだろうと、私は思う。
又米の品質が良いから、高くても買うという議論についても、先日のブログに記載したとおり、品質格差が小さくなっているのでそんな単純な問題ではないと考えている。

米の自由化問題は最終的には補助金の問題になるだろうと思うのだが。
補助金ということになれば、それに必要な財源の問題も心配されるし、必ず非関税障壁の問題を持ち出され、TPP交渉の最も大きな議題になるに違いない。

特にアメリカは、税金はゼロでも、実際には補助金等で支援している非関税障壁撤廃を、強く求めるに違いないだろう。
非関税障壁撤廃の議題には、米だけでなく、郵政問題や、政府調達や健康保険を含む医療や保険問題(自由診療等)も議題に上るだろう。

今回の徹底討論を見ても、最終的には日本の外交能力ととくに交渉力の問題になるというのが、参加者の共通した意見であった。
ところが、元外務省幹部だった榊原氏の話では、過去の交渉実績では、対米交渉は2-8ぐらいの割合で日本が押されているという。

また、この議論では、最終的にASEAN+6の話題も出された。
全員ASEAN+6には積極的に参加すべきだという。
しかしTPP反対派は、先ずASEAN+6を先に進め、その後TPP交渉に入るべきだという。
賛成派は同時に進めるべきだという。

TPP問題については、安全保障上の見方も示された。
賛成派は中国の体質が、日本やアメリカと全く違うので、同じルールで進めるには問題があり、中国がTPPに加入するには時間がかかるという。(同時に安全保障問題にも結びつく?)

このような議論の一つの合意点は、先ず政府民主党内でしっかり議論し、意見をまとめること。
その上で、国民にも充分説明するとともに、国内議論をすること、という意見は共通していた。
しかし始めの方でも述べたように、外交交渉で、すべて手の内を見せることは出来ないという制約は必ずある。
従って、最終的には、TPP条約を批准の際、国会での議決で決定するしかない、ということになるのだろう。
同時に、これが民主主義国家の決定方法でもある。

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強くなった背中の痛み(こり?)

2011年11月18日 21時26分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
背中の痛みが昨日より強くなった。
体をひねると軽く痛む。
背中の痛みは、多分一昨日バタフライを数ヶ月ぶりに泳いだことが原因と考えた。
そこで過去のブログに背中の痛みと、水泳のことを書いた記憶があるので探した。
それは、昨年の話と思ったら、今年の6月30日の話だった。

そこには、クロールで早く泳ぐ為に書店で立ち読みしたクロールの解説書には、ローリングの話が書かれていた。
そこで、それを実践しようとローリングをかけて練習を始めたのだった。
初めてのことなので、何度も練習しひねりをつけるのに苦労し、力も入れた。
その結果、翌日以後背中の筋肉疲労が起き、筋肉痛となったことをブログに書いていた。
そのブログには、それ以前にバタフライの練習で筋肉痛になったことも記されていた。
改めてそのことを書いたブログを探すと、2011年2月7日のブログ(村ぶろ)に、背中の筋肉のコリとバタフライの練習のことが書かれていた。

これで、どうやら今回の背中の痛みも、バタフライ練習からきたものらしいと納得した。
逆にこれからは、バタフライ練習を積極的に組み込み、必要な筋肉の強化を図っていきたいと思った。
多分この不快な筋肉痛も数日中になくなるであろう。

それにしても、体調の変化や、記録の増減をしっかり記録しておくことが、自分の体調管理に役立つことがこれで分った。
その意味で、自分の体調や記録や運動量や食事との関係に関しての記録をブログ上に書いていこうと思う。
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原発とテロ、原発問題を終息させるために

2011年11月18日 12時26分22秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
未だに原発問題は収束の気配はない。
いまや問題の核心は、先ず放射能汚染除去対策と、その後の原発の方向性すなわち、脱原発か、脱原発依存か、原発継続、の決定に向っているように見える。

放射能汚染除去対策は、問題が拡散し大きくなるばかりである。
特に低レベルの放射能汚染の科学的許容値が専門家の間でも統一見解が出ていないのが現状だ。
現在その基準が無い為。推測に近い専門家の話があふれていて、国民に不安と混乱を招いている。
早く低レベル放射線の影響を国としてまとめるべきだ。(近く出るという話もあったような気もするが。)
放射性物質を確実に管理できる技術が確立していない事、人類が放射能をコントロールできない事は、原子力発電の将来に致命的な疑問を投げかけている。
そのような現状の原発の将来に関しては、世論は大きく脱原発に動きつつあるのではないだろうか。

喫緊の課題は、放射能汚染の問題だ。
一度外部に漏れた放射能は、半減期の長いものは、長期間環境に溶け込み放射線を出し続け、生物に悪影響を及ぼす。
例えば、最悪の場合を想定すると、原発事故でなく、テロで放射性物質を散布した場合、それが体内に入った場合、体内被曝することになり、最悪その放射性物質による放射線の為、細胞や遺伝子が傷つけられ、癌や発育障害を起こし最悪の場合死に至る。
しかも、環境中に散布された放射能は除染も困難で、除染にも多大の費用と時間がかかる。
現実に土壌や森林や河川や海といった環境に降り注いだ放射能の除去は、未だに有効な手立てが見つかっていない。
今のところは、原始的な人海戦術による除去に頼るしかないのが現状だ。

更に、津波や地震以外にも、現状の原発の安全性についても問題がある。
原子炉をいくら安全に設計したところで、ミサイル攻撃までは想定していない。
ミサイル攻撃で原子炉を破壊した場合、放射性物質が大量に拡散することはいうまでもない。
テロということであれば、別にミサイルで原子炉を狙わなくても、強力な放射性物質(ストロンチューム等)を弾頭につけて、大都市上空で破裂させれば、大都市は、人が住めなくなる。

ミサイル攻撃に関しては、原子力発電の是非問題と少し論点が違うが、始めにも述べたように人類は、原子力即ち放射性物質をコントロールする技術に関しては、現状では放射性物質を残さずすべて集め封じ込めること、しかないのだ。(その過程で放射性物質のみ凝集させるといった工程がある)
封じ込めるとすれば、それを地中奥深く埋めるしかあるまい。
少なくとも原子炉が地上で運転されている限り、事故の危険性がある。
たとえ無事故で運転できても、使用済み核燃料等の高濃度廃棄物は最終処理(保管)さえ目途がついていないのだ。
そういうことを考えれば、原発は出来る限り速やかに縮小廃止すべきではないかと思う。

ところで、日本政府は原子炉を輸出するといっている。
しかし、原子炉から必ず出る使用済み核燃料は、どこかに集め永久に拡散しないよう隔離し完全に封じ込めなければならないのだ。
しかし、世界は核廃棄物の最終処分までを含む原子力システムの、完結したシステムを持っていないのではないか。
少なくとも、日本にはない。
自国でさえもてあましている製品・システムを、他国に輸出してよいのかという疑問がのこる。
そういう観点からすると、輸出は自粛すべきと思う。
どうしてもやむをえない場合は、原子炉使用済み核燃料の処理から廃炉に至るまでのプランも同時に示し、日本政府が責任を持って処理する必要があるのではないか。

このようなことを考えると、これから日本に必要なのは、原子力関連廃棄物や放射能による環境汚染の処理技術の開発であり、安全に原子炉を廃炉する技術開発であり、核廃棄物の最終処分技術開発といえる。
同時に低レベルから高レベルまでの放射線障害について、世界トップレベルの医学的研究治療の拠点を作るべきだと思う。
このような原子力終息又は無害化のための技術開発に予算を振り向け、早急に世界でトップレベルの技術開発を強力に推進すべきだと考える。
福島原発の地を、そのような技術の世界で最先端の総合研究開発拠点にすることで、今回の原発事故の災いを逆に生かせることが出来るのではないか。
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アフガン戦(2009年)の一断片

2011年11月18日 10時22分38秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
我々はニュースでアフガニスタンのことをいろいろ知った。
しかし、現地の様子は、短いTVのニュース映像でしか知らなかった。
一部の人は、ネットから現実のアフガンの戦場映像や写真を見ているかも知れないが、大多数の国民はそのような情報には、触れていない。
我々は、アフガニスタンに対し極大雑把な情報は知っていたが、当然のことながら、その風土やそこでの戦争の現状についての知識は全く無かった。

今朝何気なくネットのリンク先を探っていると、アフガンの戦場写真に行き着いた。
David Guttenfelderという写真家の撮影らしい。

投稿日が2009年10月30日となっていて、今のアフガニスタンではない。
選挙の映像もあるので、タリバンと米軍が必死に交戦しているなかで、選挙を行っている時のようだ。

いつタリバンに襲撃され、殺害されるか分らない中、過酷な環境と緊張で、休憩の時は死んだように眠る屈強な海兵隊の兵士の姿を見ていると、彼らの多くが帰国後、精神に変調をきたしているということも、この写真を見ると理解できる。
David Guttenfelder in Afghanistan(http://blogs.denverpost.com/captured/2009/10/30/photographer-collection-david-guttenfelder-in-afghanistan/552/)
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市民寄席に行った

2011年11月17日 22時17分01秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
市民寄席に行った。
会場が新しく出来たホールで、席数が多くなった為か8-9割程度の入りだった。
出演者は次の通りだ。
桂咲之輔
露の吉次
桂文昇
笑福亭福笑
桂米輔
桂春團治

春團治師匠の演目は「反魂香」だった。
高座に立つと、年齢を感じさせない
声にも張りがあるし、所作もうまい。
四天王といわれた人が、今もバリバリ活躍しているのは喜ばしい。。

ここ20年程は年1回程度も寄席に行っていないので、最近の上方落語界のことはほとんど分らない。
今回の寄席でも、前の4人の落語は始めて聞いたような気がする。
ただ福笑師匠の現代落語は、親と子の噺で、桃太郎の話で子供を寝かしつけるという噺だ。
枕にも現代の世相を様々な角度からの視点を交えて面白かった。
この噺は、聞き覚えがあるので、福笑師匠の噺は、以前聞いていたかも知れない。
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水泳による筋肉痛?

2011年11月17日 18時40分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今日は、なんとなく背中が痛い。
きりっと痛んだりとか、ずっと痛い訳ではないし、痛みも軽い。
この軽い筋肉痛に、心当たりがあった。
昨日プールに行って頑張った為だと思った。

一昨日は、ジムに行ってトレッドミルで走っことは事は、ブログでも書いたが、そのときジムでは、ウエイトトレーニングや腹筋背筋運動も一通り1セットずつトレーニングした。
腹筋は、18回から20回背筋は35回だ。
ウエイトは、チェストプレス(腕押し)やラットプルダウン(引き降ろし)が45kgで11回程度だ。
それなりに鍛えているつもりだが、ジムでの運動は速筋を使う。
しかし昨日の水泳のように、何分間も休まず泳ぐ場合は遅筋を多く使うようになる。

(筋肉には、遅筋と速筋があり、遅筋は有酸素運動に適応していて、大きな力は出せないが、長い時間運動を続けるのに適していて、特に鍛えなければ遅筋が多くなる。速筋は短時間に大きな力を出す時に使用され、瞬発力を出すのに用いられる。筋トレをすると通常速筋が多くなる。)

昨日の体調は、ジムでの運動の疲れや筋肉痛も無かったし、風邪の前駆症状もなくなっていて快調だった。
それで、多少頑張ってみようと思って、200m単位で泳ごうと思った。
この夏に50mプールでは、200m単位で休まず何度か泳いだことがあったが、そのときは多少疲れた感じだった。
9月末から復帰した家の近くの市立スポーツセンターの25mプールでは、まだ100m単位でしか泳いでない。
連続して泳ぐ時間が短いだけ、持久力は使わない。(その分持久力を鍛えていない。)
そのため200mを一気に泳ぐのは、9月の50mプール以来で、持久力が落ちているのではないか多少の心配はあった。
しかし、今までの9月の実績があるので200mでも問題はないと思い泳いだ。

25mプールを4往復するのは、問題なかったがやはり、多少持久力の低下で体に応えたかなという感じだった。
その結果が今日の背中の筋肉痛になって現れたようだ。
昨日は、クロール以外に久しぶりに、バタフライで25m泳いだ。
バタフライはクロール以上にかなり背中の筋肉を使う。
水泳はどんな泳ぎ方にしても、背骨の筋肉は腕による推進力を支えるため、肩甲骨と関連して、体の軸を維持する為に酷使しているように思う。
背筋が弱ければ、腕の推進力が体にかかる時に、体を真直ぐに支えられないだろう。
また体の後ろが沈むと、抵抗になり前に進みにくくなる。
多分このような関係で、それなりのスピードで泳ぐ為に泳いでいる間、常に背筋を使い疲労したため、背筋に軽い痛みを感じるようになったのだろう、と考えると理解できる。
事実痛みは上部、肩甲骨に近いあたりだ。
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