散歩者goo 

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カルチャーラジオ落語の楽しみと上方落語

2011年11月17日 12時34分24秒 | ネットSNSマスメディア・情報マスコミ
先ほどNHKラジオ第二の「カルチャーラジオ 芸術その魅力「落語の楽しみ~昭和の黄金時代を語る~」」(講師:演芸評論家 矢野誠一)を聞いていた。
カルチャーラジオは、朝の間に、昼、夜、朝の三食分の料理をするときに、暇つぶしに聞き始めた。
これが結構面白くてはまってしまった。
カッルチャーラジオは、各テーマでごとに毎週一回3ヶ月間ある。
今、特に興味を持って聞いているのが「アメリカ先住民から学ぶ~その歴史と思想」と、この「落語の楽しみ」だ。

「落語の楽しみ」のテーマのほとんどが、江戸落語中心で、上方落語についてのテーマが「上方落語の発見(1)三遊亭百生、桂小文治」と「上方落語の発見(2)四代目 桂 米團治 五代目 桂文枝」の2週しかないのが大いに不満である。

それでも、この講座で古い音源も使用されて、当時の高座の様子を聞く楽しみがある。
無論、講師の落語にまつわる四方山話や分析も面白い。
前回は、全く聞いたことのない落語家の音源だったので興味深かった。
今回は、米朝師匠の師匠にあたる四代目米團次の落語を始めて聞いた。
正直言って、米朝師匠のほうがうまいように思った。

五代目文枝は、聞いたとたん懐かしさがよみがえってきた。
五代目文枝の落語はいろいろ寄席で聴いている。
一番好きな落語家の一人だ。
特に囃子の入るハメモノは雰囲気があって、あれだけ明るく艶のある話を出来る人はほとんどいない。

落語に関しては、20代のときに友達に連れられて千日前のホールで毎月行われていた、若手芸人・落語家の演芸会を何度か見に行ったのが、きっかけだった。
当時の駆け出しの、芸人や落語家の多くが、今や中堅ベテランや大御所・名人になっている。
その後、数十年前、島之内寄席が話題になり、一度行って見たいと思っているうちに、会場がいろいろ変わり、京橋ダイエーで行われるようになった。
通勤経路だったので、毎月寄るようになった。

そのとき会場では、上下の区別無く下足番をしていて、先代松鶴師匠に靴札をもらって感激したことを覚えている。
そのダイエー島の内寄席では、たまに長い話もあったり、怪談話もあったり、名人芸をたっぷり楽しませてもらった。
その頃の師匠連中は、まだ若く油が載っていた。
今は故人となった、六代目文枝や松鶴や露の五郎兵衛は、そのときからいずれ劣らぬ大名人と思い、噺は実に面白く人情話では涙を誘い、聞惚れていたしかった。
怪談話は本当に怖かったし、大ネタでは、たっぷりとその世界に浸らせてもらった。
そのほか、枝雀・春蝶・林家小染・・・数え上げれば切がない。
彼らはすばらしい噺を聞かせてくれたし、力を入れて演じていて、時にただならぬ気迫を感じ話芸の確かさを実感させてくれた。
無論今も現役で活躍している師匠方の油の載った噺や、まだ若い時の噺を聞けたことは、本当に良かったと思っている。
その当時、それ以前から江戸の落語も好きで、ラジオやTVで聞いていたが、(円生や志ん生は特にお気に入りだった。)それでも江戸落語に勝るとも劣らぬ上方落語のよさを当時から確信していた。

偶然だが今日の夜7時から、東成区民センターで「市民寄席」がある。
この催しは毎年行われている。
トリは桂春団治だ。
演目は何だろうか。「代書屋」か?

実は、落語の「代書屋」は東成区役所の横にあった「代書屋」の話しをもとに作られたという。
記念の市民寄席に関連して、代書屋関係の記念碑が区役所の前に立てられ除幕式も行われた。
数年前のその東成の市民寄席で、襲名間もない桂米團次の「代書屋」を聴いた。
「代書屋」は多くの落語家が取り上げているネタでもあり、春団治の得意ネタでもあるが、米團次の演出はそれぞれの落語家とも多少違ってた。
米團次の代書屋では、原点を意識したようなところが見受けられた。
とにかく、今日の市民寄席は楽しみだ。
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風邪の引き始めの対応

2011年11月16日 17時06分08秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
ここ数日急に寒くなった。
昨日は、体調は悪くなかったがくしゃみが何度も出るようになった。
再び咽に痰が絡むようになった。
机でパソコンを打っていても寒く感じるので、上下重ね着した。
どう見ても、経験的に風邪の前駆症状に思えた。
このまま、6月に起こした軽い気管支炎の状態になるのではないかと心配した。

しかし、心配したところで風邪の前駆症状がよくなるわけでない。
さて、どうするか考えた。
風呂にでも行って、体を暖め早く寝て、これ以上風邪が進行しないようにするのか。
それとも運動をして、体を刺激し、免疫力を高め風邪の進行を防止するのか。
その二つのことを考えたが、そのとき風邪薬の服用は頭の中には無かった。
昨日の、咳や、くしゃみは、ひどくなかったし熱もなかった。

市販の風邪薬はあくまで対症療法で、病状を緩和することで、体力の消耗をや不快感によるストレスを抑え、体の免疫力により治そうとする。
早く治したい場合は、細菌による風邪症状の場合は医師に抗生物質を処方してもらうことで、早く治療出来る。
インフルエンザの場合は、近年タミフル等の抗ウイルス薬が治療に使われている。
昨日の、風邪の前駆症状は、医師にかかる以前の兆候の状態だ。
ただし、この状態から悪化することは、何度も経験している。

風邪や病気に対する体の抵抗力である、免疫に関して普段から興味を持っていて、本もいくつか読んだ。
免疫力もいろいろあるが、最終的には化学反応である。
例えば、抗体から出す過酸化水素や活性酸素が菌を殺し、ウイルスに犯された細胞を破壊する。
(ウイルス<細胞破裂>と細菌<毒素>では細胞の破壊の仕方が違う。)
一般に、すべての化学反応は、温度により指数関数的に変化する。
生命活動は、化学反応でもある。(生化学・有機化学)
例えば、酵母の働きを見れば分る。
醸造では温度管理が非常に重要である。
多分抗体の働きも同様であると類推できる。
現に体の抵抗力は、体温が下がると落ちるといわれている。
同じ意味で、細胞の再生産に関係する新陳代謝も温度については同じ原理である。
温泉や風呂が新陳代謝を高めるのも同じ理由だ。

少し脱線したが、話を戻して、結果的に運動して、汗を流すことでどうなるか様子を見ることにした。
それで、いつものようにジムに行った。
汗を流し、体温を高める為にランニングを中心にすることにした。
ただし、あまり体力を消耗すると体の抵抗力が落ちるので、軽い目にすることにした。

体調はよかったので、トレッドミルで走っていいるうちに、いつものようなうなランニングになった。
30分で4.8km走った。

汗はたっぷりかいた。
シャワーを浴びた後も汗が出ていた。
疲れは無かったので、これならヒートショック細胞が働いてくれるのではないかと期待した。
そして今日、朝から快調で、昨日の朝に出ていたくしゃみや軽い咳もなくなっていた。
効果があったのかもしれないと思った。
しかし、実際に効果があったのかどうかは、厳密には比較試験でもしない限り明確に言えないだろう。
(たまたま風邪の引き始めで、放って置いても治っていた可能性もある。)
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恋愛感情と性

2011年11月15日 23時41分47秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
友人がSNSで、ペットの兎の性に関しオモシロイ表現で触れていた。
その話を言い換えると、オスの兎がご主人様を恋愛対象と勘違いすることがあるというのだ。

その冗談めいたオモシロ話に刺激され、恋愛とか性について少し考えてみた。
かなり前に、NHKでも科学番組として性の特集をしていたこともあり、参考になったが、科学的な話はそのときの記憶の断片である。

人間の場合恋愛感情というと基本的には男女間が前提だ。
ただし最近では同性愛関係も多くなっている。
しかし、森鴎外の自伝的小説を見ると、寮生活をしている学校では、上級生が下級生を愛したり、性的に襲ったりするといった問題が描かれている。
それを読んだ時は、巷間の噂では様々な形の(師弟、僧侶、武将、芸術家・・・)そのような話を聞いていたが、昔は実際に日常的にあったと知り驚いた。
更にクラシック番組を聴いても、クラシックの大作曲家にその傾向のある人が何人もいるという話に遭遇した。
どうやら古今東西同性愛は存在したし、現在も存在しているということらしい。
だが私には、その気は全くないので、理解できない世界だが、別に差別するつもりも毛頭ない。

恋愛感情と性とは、現代では性と結びついていると誰でも思う。
しかし、私が学生時代の頃は、プラトニックラブというのが普通であった。
つまり女性は結婚までバージンを守るというのだ。
だが古代は逆で、性と恋愛には、おおらかだったようだ。
日本でも、万葉以前に歌垣の風習があったと言われているし、奄美、沖縄地方の地域紹介番組で、歌垣に近い風習が最近まであったような話を聞いたような気がする。
恋愛とは関係がないが、江戸時代は大衆浴場では男女混浴で性に対しおおらかだったようだ。
また、地方では戦前まで、夜這いが普通だったといい、ユーモア小説にもそんな話が登場する。
明治以降、西洋文化とともにキリスト教文化が入り、性に厳しくなったといわれる。

一般的恋愛感情の前提として性が存在するのは明白だ。
現代の科学によると、恋をするとお互いに、脳内にドーパミンが出て、快楽をつかさどるところの脳も活発に働くという。
お互いの脳が快楽を感じることにより、二人に共通の快感すなわち恋愛感情が生まれるのだろう。
恋人関係にある人の顔写真を見せるだけでも反応するという。
恋愛感情があっても、男と女で脳が活発に働いている部位が異なるという。
動物もオスとメスの間で相性があるのはよく目にする。
小学生の頃から20代になるまで文鳥を飼っていた。
文鳥を、つがいで飼っていても、相性が悪いと大喧嘩するが、相性が良いと多くの雛をかえす。
仲のいい文鳥のオスが、突然止まり木から落ちて死んだ時、メスが必死にオスの羽を引っ張り上げて、止まり木に上げようとしていたのを見たとき、こちらも悲しくて泣いた事を覚えている。
その時ペットでも人間でも似たような、感情を持っているのだと感じた。
その他の動物も相性は重要で、オスはメスの気を引くためにさまざまな事をする光景は、動物番組でもよく取り上げられている。
その場合、脳の恋愛に関する働きが、各動物間の脳の発達でどのように違うのかは興味ある。
アフリカの類人猿のノボノの生態が詳細に科学番組(多分ダーウィンが来た?)で紹介されていた。
そこでは性が集団の挨拶となっている。
そのため争いがないという。確かサルに共通な強いボスもいなかったのではないか?と記憶しているが。
日常のことでありながら、タブー視される傾向がある恋愛と性や、夫婦のあり方に関しても考えると奥が深いようだ。
ただし、私は夫婦間のことに関しては、経験がないので分らない。
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原発事故の発生直後の証言 なぜ今頃

2011年11月15日 17時15分10秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
ツイッターに「原発事故直後の現場」に関しての記事に関するコメントがあり、リンクを張ってあったのでリンク先を開いた。
電気新聞の「事故直後「瞬時に靴溶けた」 福島第一作業員が証言」という記事だった。(http://www.shimbun.denki.or.jp/news/main/20111114_01.html)

そこには、事故後ベント作業の為、命がけで原子炉建屋に入った時の様子が生々しく語られていた。
作業員の間でも、中央操作室に残る意味で議論になったという。
わずかな、報告の一端であるが、緊迫した原子炉作業に従事する人の、本当に命がけの作業状況が伝わる。
ほんとに断片的情報だが、貴重な情報だ。

この情報は、「第三回東大エネルギー・環境シンポジウム (2011年11月4日)」の中で報告されたという。
そのプログラムには、第三部のプログラムに「福島第一原子力発電所の事故と対応について」というテーマで、東京電力株式会社 代表取締役副社長 相澤善吾氏の報告があるので、多分その中で報告されたようだ。

この情報を更に詳しく知ろうと、ネットで資料を探したが、すべて電気新聞と同じ出所の資料しかなかった。
この状況を知って、疑問に思った。
よく考えると、今まで事故当時の作業担当者の証言が、どのマスコミからも出てこなかった。
これは、マスコミの取材能力の低下なのか、それとも政府か東電から厳しい箝口令がしかれていることによるものなのだろうか。
政治的影響やテロに利用されることへの配慮による箝口令とも考えられる。
同時に、必要なことかもしれないが、原子力産業特有の閉鎖性を表しているようにも感じた。

通常、大事故が起これば、マスコミは事細かに事故の詳細や原因について速報する。
それが国民の関心を高め世論を動かし、再発防止へ国会や行政に世論のバイアスをかける力となっている。

しかし、原発事故では、歴史的大事件であるにもかかわらず、現場から隔離されたという側面もあったが、マスコミは政府の大本営発表を流し続けた。
そのとき、アメリカを始め、海外メディアはメルトダウンの可能性を、科学的根拠も示し報じていたようだが、日本では問題ないという政府発表がまかり通り、国民は日本の政府とマスコミを信じた。

原発が、次々に水素爆発を起こし始めて、国民は事の異常さ重大さに気付いた。
その後も、国会では枝葉末節な政府の対応を追及していた。
こんな緊急事態に国会は、政府の事故対応の足を引っ張っていた可能性があるのでは。
緊急事態には、緊急事態としての国会対応の仕方があるであろうに。
大きな緊急事態の対応に関して、政府・国会・与野党のあり方については、今後検証すべき問題ではないか。
その間、原発現場では、現場作業員が、命がけで対応に当たっていたのだ。


津波襲来から、原発爆発事故の瞬間及び冷温停止に近づくまでの過程が、検証詳細なレポートとなって出るであろうが報道関係でも、出来るだけドキュメンタリーとして、国民に報告して欲しい。
今後の大事故での緊急時対応や、原発を考える上でも必要な作業だろう。

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原発被災地の動物の報道されない実態

2011年11月15日 11時39分33秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
ツイッターを読んでいて、池田香代子さんがりツイートした内容が気になった。
そのリツイートしたHOSHI_FAMILYのツイートには、「「希望の牧場」ついにオフサイトセンターから圏外から餌を持ちこむことを禁止されました。囲い込みを命じ餌の搬入を禁ずる。牛が死んでしまうと抗議したら、「仕方がない」というような回答だったそうです。オフサイトセンター原発推進の本性を表したようです。日本は過去世界最悪の動物虐殺国家です」とあった。

常識的に、動物の救済に少し経費がかかるかもしれないが、何か手立てがあるのではないかと思った。
更にHOSHI_FAMILYのことが気になってそのツイートを見た。
その自己紹介には「第一原発警戒エリアの動物保護活動&違法潜入を4月から毎週しています。原発の見捨てられた動物に愛を!メディアが報道しない真実を提供します。弱者を見捨てない新しい日本を造ろう。」とあった。

そのツイートの中身を見て更に驚いた。
自己紹介どおり、動物の話以外、報道されない現地の情報が多くもちりばめられていたのだ。

例えば
「某、記者からメールが来た。「20kmは抜け駆け報道しない協定ができました。」皆で行って、皆で同じことを書く、これが自由報道なんですかね。???都合の割い事は排除のようです。」
「なんかおかしくないかな。アメリカのプラ使用の粗悪なバルーンで動物被害を出していながら日本製のプラもビニールも使用していない風船を批判している。動物誤飲の現認は人間が食べた残り袋が原因。カモメが食べたのはプラの部分です。被害妄想での批判は慎んでいただきたいな。」
「いい加減にしろよ、工事までペット業者から下請けに発注!義援金垂れ流しの構図、福島の悪徳町長どもが、東電から得た財源でやる公共工事を身内の建設業者に回して一儲けと同じ構図が救援本部にはびこっている。首謀者は、お前と!お前だ!」
「ある福島県双葉の住民さんとの会話「町長も議員も皆原子力に目が眩んだ人たちなのよ、その証拠にあの人たちの本業は皆建設業よ、甘い汁吸っていたからね」なるほどと思った。金が動くほど住民が困るようにできているな。動物助けるよりも懐の方が大事なわけでしょうか?」
以上HOSHI_FAMILYさんのツイートより


私は、もともと政治経済問題に関しては、感情的過ぎるコメントは好きではない。
そこには誇張が入り、時に必要な情報(反対意見が指摘する論拠・事実)、恣意的誘導が入り込むことが多い。
経験的に見た場合,このようなことはイデオロギーとか保守やリベラルに関係なく起きている。
事実、政治的主張の芸術表現は、ステレオタイプ化し、プロパガンダに多く利用されている。
ナチス、共産主義、北朝鮮、軍国主義・軍歌 等等

又、「何々の言うことを信じるな」、という文言は、思考停止させ、自分たちの都合の良い意見を植えつけるための道具として、あらゆるところでよく用いられているフレーズである。
(ただし、相手が問題に対し関係した知識や能力がない場合、詐欺的に専門用語や知識を駆使し、専門家として見せ掛け、信じ込ませようとする場合もあるが、<宗教や似非科学商法や投資話等>その場合は要注意)

本来、正しく議論する場合は、あらゆる事実と意見を包み隠さず出しあって議論が進行させるのであって、思考停止を誘導するような議論の仕方をしたり、タブー(暗黙の了解も含む)を設定したり、相手を決め付けたり(ステレオタイプ)するときは、保守であれリベラルであれ議論の中身を疑うべきだと思っている。
だから、激しい表現には、いつも疑いを持った眼差しで、その議論や主張を検証している。

しかし、今回の場合そのような視点を差し引いても、様々な事実による構造的な仕組み(利権も含む)の問題が存在するようだ。
利権に関係のある人達が、恣意的に民主的選挙を通じて、そういる構造を作り出したのかもしれない。
お金に最も価値を置く住民も少なからず存在するであろう。
民主社会では、様々な価値の人が存在していて、お互いを全否定したり、悪と断じることは、出来ない。(法令違反や公序良俗に反する場合は別)

それでもなお「HOSHI_FAMILY」さんのツイートを読んでみて、原発被災地の現状に様々な問題を感じ、感情的には共感するところも多い。
まず、多くの人に、このような事実を知ってもらい、その意味を本当かどうかも含め客観的に検証して背景にある構造を明らかにし、隠されたり歪められている問題点を合理的に洗い出すことが必要と思う。
その上で、正しい事実・情報を元に、構造的に今までの仕組みや方向性でよいのか、考え直すことが必要だろう。

こうした問題は、政治的問題なので、個人の立場により全員が一つの方向になることはありえない。
我々は、原発に関連するような複雑な問題は、問題の中身を充分知り、反対する人の意見や立場も理解し、妥協できるところは妥協した上で、結果的に多数決で結論を導き出すしかないだろうと思う。

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カーネーションを仕事の目で見ると2倍楽める

2011年11月14日 22時25分41秒 | ネットSNSマスメディア・情報マスコミ
10月29日のブログにも、一部同じ事を書いたが、今まで朝ドラは見なかったが、今回の「カーネーション」は、岸和田や大阪が舞台なので、少し興味があって見始めて今に至っている。

途中から見だしたが、実話を基にしたドラマだけあって、時代背景も作りこまれていて、だんじりの引き回しのシーンもニュースになっただけあって迫力もあった。

ストーリーの展開もテンポよく、商店の経営の仕方や営業や集金のこと等、私も画廊経営失敗後は、営業をしたり、自営業もしたおかげで、ストーリーにまつわる仕事の話も身につまされるところもある。

倒産しかけの時代遅れの呉服店と、母方の実家の芦屋の資産家の家との対比や、住む世界の違いも描かれていて話に変化を与えている。

ラジオの導入初期の状況や、庶民の洋服への対応といった時代の流れや、当時の心斎橋と岸和田の地域的違いもよくわかった。
当時は、百貨店ですら制服が和装だったのも驚いたが、それを洋服に切り替える為に、スポコンドラマのような試行錯誤をした営業の話も面白かった。

主人公が時折つぶやく、独り言のせりふも面白い。
大阪が舞台のドラマをすると、中に必ず変な関西弁を使う人がいるが、今回はそれがないのも安心して観ていられる。

やはり前回も書いたが、このドラマを見るときは、私の場合、産業史や風俗史や営業の仕方、会社の規模による変化、会社が発展する要因、そして危機の時の対応や人間関係、といったことも関心を持ってドラマを楽しんでいる。
そのようなビジネス的観点を頭の片隅に置きながらドラマを観ると、ドラマが2倍楽しめそうな気がする。
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従軍記「太平洋戦争」を読んで

2011年11月14日 17時07分49秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
相葉利夫氏の「太平洋戦争」―中国およびブーゲンビル島 従軍記―を読んだ。
約40ページほどの従軍記だ。
相葉さんが、昭和16年2月入隊から昭和21年2月28日帰国までのことが綴られている。
ご本人は、戦後にお亡くなりになっているとの事だ。

この戦記は、同人誌「豊中文学」31号 2010年3月豊中文学の会が発行した文集の末尾に掲載されている。
私は、この本を同人誌「豊中文学」編集委員の一人であり、現代美術作家でもある、久保田益弘氏からいただいた。
この本をいただいた時に、久保田氏が、友人の祖父相葉氏のこの原稿を預かったいきさつを話してくださった。

その後、私はこの従軍記を少し読んで、他の事に気を向けている間に、続きを読むのを忘れていた。
8月前に、盛んになる原爆や戦争関連の番組を見てこの本を思い出し、最近になって一気に読んだ。

中国戦線の詳細についても興味あったが、この従軍記では余り詳細には書かれていなかった。
うちの父も中国戦線に2度従軍したらしい。
何かの時に話を聞いた覚えはあるが、ほとんど断片的なことしか覚えていない。
馬賊に襲われたり、戦友たちが金持ちの家を物色したりしたというような話もしていた。
父は、結局マラリアに罹り国内に送還されたという。
今になって思えば、生きている間にいろいろ聞き出せばよかったと思っている。

相葉氏の従軍記では、上海から南方転戦そしてブーゲンビル島での戦闘については、詳細に記述されている。
ブーゲンビル島まではパラオ島経由でトラック島に行く。
そこからブーゲンビル島へ行く途中で潜水艦の魚雷攻撃を受けて海へ脱出した。
その翌日の午後救助されたが、その間に一緒に漂流した兵が死んだ事などが、淡々と語られている。
救助された後、トラック島からラバウル経由でブーゲンビル島に上陸する。

その後の、ブーゲンビル島での詳細な戦闘状況が語られるが、飢えに苦しみ戦場を逃げ回る。
地獄である。
戦場の様子を想像すると、涙が出た。
詳細は図書館に、もし「豊中文学」31号があれば、読むと南方戦線の厳しい実態の一端を知ることが出来る。

この従軍記を読んで、先人達(民間人や将兵そして現地の罪のない人達も含む)の尊い血と涙の犠牲の上に、今の日本の繁栄があることに感謝しなければと思う。
そのことを思うと同時に、改めて軍事独裁体制を作り上げ、民衆を騙し、産軍複合体と一緒に戦争指導し、自分たちの自己保身や利益を追求した、旧日本軍幹部や戦犯たちに強い憤りを感じる。


「豊中文学」印刷所 株)きたがわぷりんと 豊中市岡町  06-6841-2021  「豊中文学」31号 800円
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正倉院展で思ったこと

2011年11月13日 23時21分53秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今日正倉院展に行った。
正倉院展には、ほぼ毎年行っている。
奈良公園には多くの行楽客がいた。
紅葉はまだほとんど色づいていなかった。
奈良国立博物館前は15分待ちの行列が出来ていた。
会場内も例年どおり込み合っていた。

正倉院展では毎年自分なりに新しい発見があることが多い。
今年もいくつか発見があった。

戸籍の展示物を見ていた。
小さい字で見難い。
すべて漢文なので内容は分りにくかったが、よく見ると簡単なことしか書いてなかった。
そんなことを考えながら見ていたら、近くで見ていたおばあちゃんが、「何であんなに字が小さいんやろ」とつぶやいていた。
多分その理由は、紙が非常に貴重だったから、書くスペースを極力小さくし紙を節約したのだろうと思う。
事実、ほとんどの紙は裏表に書いている。

お経を見たが、当然意味は理解できない。
ただ、非常に美しく書いてあるものが多い。
その中でも、文字が美しいなと思って見とれていたお経があった。
ところが、注意深く見ると、文字が真直ぐな行と、よく見ると極微妙に曲がっている行があるのに気付いた。
ちょっと見ただけでは、分らない。
これは面白いと思って更によく見ると、なんとなく曲がっている行の字は、字にかすかな乱れがあるように見えた。
真直ぐの行は、字が堂々として格調高く見えた。
気のせいかもしれない。
しかし、写経する書生も書いていて睡魔に襲われる時があるのではないかと思う。
私は、サラリーマン時代に、設計をしていてよく睡魔に襲われ苦労した経験がある。

領収書や、作業するのに、必要物資や各種支給品請求や人夫賃の請求らしい物や税金等の台帳があったりして興味深かった。
最近古文書の本を読んだことが影響したのか、1―2割程度でも内容が見えるような気がした。
正倉院展を見た後、久しぶりに博物館の旧舘の、仏像常設展を40分ほど駆け足で見た。

帰り、思わぬ失敗をした。
うっかり寝過ごし、難波まで行って気付いた。
奈良発三宮行きだったので、早く気付いてよかった。
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ギャラリズムから画廊めぐり20111112

2011年11月13日 21時24分48秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
昨日ギャラリズムファイナルに行った。
出品作家の多くが顔見知りや、よく知っている作家でそれらの人と話をした
各作品は、力がこもっていて見応えがあり堪能した。
このように、ギャラリーも作家も、気合を入れて開催するギャラリズムもこれで終わるのかと思うと残念だ。
府の文化行政と美術関係者とのきしみ音も聴こえてくるが、今後政治も絡んで大阪市・府の文化行政も政治で左右されるのだろうか。

ギャラリズムを見終えて、すぐに西天満に向った。
昨日は兵庫県立美術館まで足を伸ばそうと思っていた。
実は、一昨日いま美術館で開催中の榎忠さんの情報を見ていて、ついでにフェイスブックを見ていると、それと関連した怪しげな催し物(BAR)のチラシが掲載されていた。
そのBARの場所は美術館の近くだ。

榎忠さんの噂もいろいろ聞いていて、ご本人からも聞いていたが、展覧会は小規模な物しか見たことが無い。
それを見て是非行きたいと思い先を急いだが、西天満の画廊街をみて一度自転車を置いて、兵庫県立美術館までいくには、その時間ではとても間に合わないと途中であきらめた。

そのまま、いつもの週末のように老松通りの行きつけの画廊を見て廻った。
東端から見て廻るか、西から廻るかで、最後は番画廊の時とギャラリーHOTの時がある。
昨日は最後が番画廊で、番画廊を見るついでに、乙画廊も覗くことが多かった。

乙画廊では、木口木版の作家の個展を開催していた。
木口木版は懐かしいので、会場に入った。
作品も、よく見るとなかなかすばらしい作品だった。
狭い会場には何人ものお客が来ていた。
作家らしい人が声をかけてきたが、それが作家の二階武宏氏だった。

話をしているうちに、二階さんの師匠に相当する人が齋藤修氏だと分り、お互い驚いた。
齋藤氏もやはり木口木版の作家で、鉱物の結晶や宇宙といったテーマをよく扱っていて蔵書票も作っていた。
齋藤氏とはギャラリーを始めた頃に展覧会をさせてもらったことがあった。

当時ギャラリー経営のいろはも分ないまま、とりあえず初めて行った個展が、美術家として知り合いになった齋藤氏だった。
その頃、直接話しの出来る美術家は数人しかいなかったし、個展の開催の方法もわからなかった。
実は、画廊を始める前に、貸し画廊を借りて直接アメリカの画廊から輸入した版画(シルクスクリーン等のインテリアアート)販売をしたことがあったが、画家の個展はしたことが無かった。(このいきさつも後日思い出話として書く予定。)

とりあえず個展のお客さんを呼ぼうと、案内ハガキを作って、大阪や奈良の高級住宅地に、正月から一人で寒さに震えながらポスティングして廻った悲しい思い出がある。
いい作品は、ハガキでも見てもらえば分ると信じ込んでいたが、現実はそんな甘くは無かった。
今から、20年近く前の話だが、二階さんと出合って、思い出された。

そうした話は別にして、二階さんの木口木版は非常に魅力的だと思う。

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植物状態で意識存在の人間が、意思表示可能になるか

2011年11月12日 22時46分43秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
「植物状態でも言葉に反応」という記事がアサヒコムに出ていた。カナダやベルギーの大学チームが、「植物状態の患者16人に脳波を測る装置をつけ、言葉の指示に対する反応を調べたところ、3人(19%)が正常な人と同じ反応を示した。」というのだ。

この件に関しては、よく似た話があって、確かブログに感想を書いた記憶があった。調べてみると2010年の「村ぶろ」にブログ「植物状態の人の意識の存在」(下記参考参照)を書いていた。そのときはMRIを使った検査だった。

上記二つの事実を見ても、植物状態の患者さんの中に少なくとも1割以上の人に正常な人と同じ意識を持っている人がいるということが分る。(資料数が少ないので、割合の数字には誤差の幅が大きいので要注意)

脳が正常な意識を持っていて、すなわち心=魂が生きていて体は、植物状態になっている、ということを想像するだけでも恐ろしい。本人からすると、最も過酷な拷問と同じに見えるかもしれない。
人間にとって、会話が出来ない、意思表示が出来ない事は、もっとも耐え難いことに違いないと思う。

ここ数年、脳波により、考えていることを抽出したり、ロボットで脳波又は脳からの筋肉への信号によりロボットを使って体を動かす装置の研究が進んでいて、時折ニュースになっている。

このような技術を応用して、出来るだけ早く意識のある人を見つけ出し、植物人間状態から離脱してもらい、適切な人間として尊厳を持った扱いや介護を受けることは、国の責任ですべきではないかと思う。

すなわち、誰でも最低限の基本的人権は、保障されなければならない。
植物人間で、意識を持っている人の意思表示が、少なくとも今の科学技術では、ある程度可能になりつつあると思われる。(表示装置の価格も一般化させるためには重要な要素になるだろうが)
そうであるなら、植物状態の患者さんの中で意識を持っている人の意志表示をさせないのは、その人の表現する自由を奪っていることになるのではないだろうか。

今後、出来るだけ早く研究が進展するよう国が支援し、まず植物状態の全患者さんを検査して、意識のある人を見つけ出す。
同時に国が意思表示できる機器の開発も支援し、実用化させる。
そして、国は、該当する人は誰でも、開発される意思表示装置を使用できるようにするべきではないかと思う。
更に、こうした技術は、最先端の技術として他の分野へ応用できる可能性が大きい。



参考
「植物状態の人の意識の存在」(村ぶろ 「散歩者」2010年2月10日)
今日のネットニュース(アサヒコム)の記事によると、54人の植物状態又はそれに近い「最
小意識状態」と診断された人のうち、5人は脳に障害がない健康な人と同じ反応を示し、
意識があるらしいことがわかったという。

実験ではfMRIを使い脳の活動を調べたという。患者に口頭でテニスを打つとか、家の中を
歩くといったことをイメージする指示をし、脳の変化を調べたという。更にいくつかの質問
をし、その結果5人から正確なYes,Noの反応が得られたと言うのだ。

この問題は、脳死の問題や臓器提供や安楽死の問題にも関連する話だ。脳死等は厳密に定義
されているのだろうが、今回の研究の成果をきっかけに更に、意識の存在の判定や命につい
ての研究が更に深まり、厳密化されることを期待したい。

周囲から見て、意識が無いと思われていた人の中に健康な人と同じ意識を持っている人が
いることが分った意義は、死刑の判決を受けた人が、裁判で冤罪判決を受けるのと同じほど
大な意味があると思う。欧米では尊厳死を認められる国や州もあるが、この事実は判定に
影響を与え、意識があるのに誤って尊厳死の名の下に命が絶たれることを防止できる効果が
ある。

こうした研究が発展して、一見植物状態の人が、自由に意思表示が出来るようになれば
もっと画期的である。以前脳の活動状態をコンピュータで検出し、その人のイメージした
画像を、表示する実験に成功したことが報道され、その画像も表示されていた。このような
研究も今回の植物人間状態の人に応用できるのかもしれない。

生前兄が入院していた時に、同じ部屋に交通事故で瀕死の重傷を負い、植物状態になった
青年が、同室にいた。そのとき私は始めて植物状態の人を見た。時折うめき声は発するが
問いかけに対する反応は無かったが、多少わずかに手足が動いた。毎日彼のお父さんが見舞
いに来て長時間付き添っておられた。その後その状態のまま自宅療養するということで退院
された。彼のために家を改造し電動ベッドや吸引器も買い、流動食を入れたり、接続口を
消毒するトレーニングもされたそうだ。そのとき彼のお父さんは、「息子は一生面倒見る。
彼の意識はあると信じている。」と話されていた。彼のような人が、コミュニケーションを
取れるようになるだけでも、彼のご家族は嬉しいと思うだろう。研究の進展を期待したい。


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「霞ヶ関文学」に劣らぬ「野田文学」

2011年11月12日 13時07分58秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
国論を二分するTPP問題が、一夜結論を先延ばしした翌日には、野田総理の会見ですべて丸く収まった。
TPP反対派の先頭に立っていた山田前農水大臣も。にこにこ顔で「総理はよく参加と言わないでくれた」という意味のことを言った。

これには、こちらが驚いた。
「野田文学」も「霞ヶ関文学」に劣らず、多大な威力を発揮する物だと思った。
今回の「野田文学」は演説に定評のある総理自身で考えたのでなく、民主党執行部が鋭くこの問題で二分され党分裂の危機さえ孕んだ状況を打開すべく、相当知恵を絞ったのではないか。

その、前触れとして考えられるのは、藤村官房長官の「藤村長官は「個人的には、交渉に参加するということに関しては党を二分するほどの話かな、と思う。いよいよ協定に調印というときは、党を二分する話になると思う」と述べ、交渉への参加の是非ではなく、協定を国会承認する段階で議論が行われればよいという認識を示しました。」(NHKニュースより)という発言だ。

この考え方に沿って、国内の議論を先送りして政局にならぬよう時間稼ぎしつつ、対外的には、交渉に入る前に外交交渉の条件闘争をしようという、巧妙な案を政府と民主党執行部の間で編み出され、反対派の関与する余地をのこすことで説得したのではないかと想像する。

結果的に、APECへ総理が出発する前に政局になれば、国際的信用は失墜し、日本の国際的発言力は小さくなっただろう。その意味では非常にうまく難問を切り抜けたと思う。

今後政府の方針通り、参加可否に関し詳細な情報を入手したうえで国内の議論を重ね、国内体制や問題点を整理しその対応策を整備して(零細農家の救済策等<補助金他>皆保険制度の維持・・・)国益にかなう方向で、加盟国との間で攻めの外交交渉を積極的に進めるべきだろう。

外交交渉の結果と国民の意見が異なる可能性も大いにあるだろう。その場合は、韓国のようにFTAで二国間交渉をすればよいと思う。(ただ将来的には、APECを巻き込んだ自由貿易協定に発展する方向で動いているので、事は単純ではない。)

このTPP問題の別の側面として、指摘されているのが、安全保障上の観点だ。(政府は否定しているが)地政学的な観点と、現実に起きている国際的緊張関係(例中国の海洋進出―南沙諸島問題等)と参加国の構成を見れば、正式には表面に出てこないが、暗黙の了解事項として、現実的には安全保障上の観点も含まれるような感じにもとれる。そのことで、現実に中国当局は神経を尖らせ、談話も出したりしている。


ところで、野田政権の動きは、今のところ菅政権の路線の上をそのまま走っているように見える。菅政権のときは、すさまじい菅おろしが吹き荒れた。しかし、野田政権に変わったとたん、批判の嵐は収まった。マスコミの論調も驚くほど好意的になり支持率も上がった。
だが野田政権になって復興が早まったという話も聞かない。
多分震災復興や原発は、問題が大きく、誰がしてもたとえ自民党がしても、結果は余り変わらなかったのではないかと思っている。
それより、野党が抵抗し、政府に協力せず、さまざまな小さなことまでクレームをつけた分、遅くなったのではないかとさえ思う。
それにしても、この違いは何だったのだろうと思う。
ただ大きな違いがあるとすれば、小沢派の扱い方かもしれない。


(まさか脱原発に危機感を持った勢力が意図的に仕掛けたのではないだろうが。そういえば、脱原発依存も再生可能エネルギーのことも、話題が放射能汚染にすり替わりフェードアウトしているように見える。)

同時に菅政権と党執行部のマネジメントには、様々な問題があったのも事実だろう。
例えば、突然大きな提案を関係部署に計らず提案したり、根回し無く様々な事を野党間と交渉したり、自民党の切り崩しをする裏工作をし不信感を醸成したり、大量の会議体を作り指揮統括系統もあいまいであったり、指導力に大きな問題もあったと思う。
こうした問題については、今後の危機管理にも生かすために、マスコミ等でももっと分析して欲しいと思う。
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中高年こそPCやSNSが必要

2011年11月11日 21時42分07秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今日旗谷氏の展覧会に行った。
案内に在廊日が書いてあった。
彼の仕事の都合で画廊にいるのは金曜日しかない。
画廊で、彼は何人かの来訪者と談笑していた。

この日は抹茶も振舞われた。
使われたお茶碗は、彼の友人の作家の作品だという。
風景画を描いたことと、抹茶接待と関係あるのか、今思えば聞きそびれた。



和やかな雰囲気で話も弾み、私も話の輪に入った。
そこで、私がフェイスブックやツイッターやブログの話をしたところ、皆SNSやブログの経験はなく、話が途切れた。
話に参加していた人は、見たところ40代以上だった。

私は、以前ギャラリーをしていた関係で、美術作家の知り合いも多い。
ただ、その人達は40代以上の人が多く、しかも、ツイッターやフェイスブックで検索してみると、私の知人の美術作家で、インターネットやSNSを利用している人は極少数ということが分った。

美術家に限らず、40-50代以上の人は、SNSに縁遠い人が多いように思っている。
原因は40―50代以上の人は、若い時にパソコンや携帯メールに接することが、少なかったためではないかと思う。
同窓会でもパソコンでネットを個人的に利用したり、ましてSNSを利用している人は、ほとんどいなかった。

以前述べたように、パソコンを使用するにあたって、タイピングやパソコンの操作を覚えることは、中高年にとって非常に大きなハードルのようだ。
私もタイピングや、パソコンの操作方法をマスターするのに苦労した経験がある。

しかし、パソコンやSNSを使い慣れると、非常に便利で生活に役立つとともに、人生を豊かにしてくれると思っている。
矛盾した話だが、いまこのブログを読んでいる人達は、PCやSNSの効果を理解している人達で、ブログでいくら主張しても、PCを使っていない人には伝わらず、このような意見を述べることは、無意味かも知れない。

だからこそ、中高年こそPCをマスターしてブログやSNSに親しんでもらい、様々な人やサイトから情報を得たり、交流して意見を交わすことが必要と思う。
そうすることで、友人が出来て孤独が解消され老後が豊かになる。
更に操作を覚えたりタイピングをマスターしたりブログを書くことで、知的活動を促進し認知症予防に役立つ。
知的レベルを維持向上も期待できるのではないかと思っている。
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風邪と熱と運動

2011年11月11日 15時54分11秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
先日外国人の風邪をひいた場合の民間療法を取り上げた番組を見た。
その中で面白かったのは、ホットビールを飲むとか運動をして汗を出すといった回答だった。
日本であればさしずめ玉子酒であろうか。
風邪を治すのに、汗をかくとか、暖かくして寝るとかは、いくつかの国で共通していたように思った。

風邪を治すのと、暖かくするというのは関係があるらしいと思ったので調べた。
人間が病気になって発熱するのは、熱で病原菌の活動を抑えるような仕組みになっているとも聞いた。

まず、なぜ病気になると体温が上がるのか調べてみた。
調べてみると、病気にかかって発熱するのは、細菌などが出す物質や、マクロサージ(白血)その他の免疫機構が細菌その他と反応して出す物質により、視床下部が反応し体温を高める防御反応という。
またウイルスや細菌は、体温より温度が上がる程増殖が抑制される物が多いという。
発熱の効果として、ウイキ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E7%86%B1)では次のこと(生理学的意義)をあげていた。
1体内に侵入した細菌類の増殖至適温度域よりも体温を上げ、それらの増殖を抑える
2体温を上昇させることで免疫系の活性化を促す
その他参考:発熱のメカニズム(http://www.terumo-taion.jp/health/temperature/06.html)

ところで最近NHKの「ためしてガッテン」で体温アップで、ヒートショックたんぱく質のことを取り上げていた。
しかもこの話の中には、次のような話があった。(NHK 「ためしてガッテン」HPより)
「白血球の一種、T細胞をまずは35℃で培養して
がん細胞と同じシャーレに入れてみました。
すると、体当たりするようにしてがん細胞を攻撃。
12時間で14%をやっつけました。
次に39℃までT細胞を温めて実験。
すると、12時間でやっつけたがん細胞は
44%と3倍以上にアップしたんです。」
すなわち温度と免疫細胞の免疫力アップの関係である。

ヒートショックたんぱく質と免疫系の作用で体は発熱し、風邪や病気の病原体を攻撃殲滅し、病原体により傷ついた体を早く修理し健康体にしているようだ。
そういう意味では、体は余り冷やさないほうが良いのかもしれない。

又、サウナ等で汗をかくとか、暖かくして寝るとか、運動して汗をかくというのは、科学的にも正しいようだ。
ただ、一般に言われているように、熱の出ているひどい風邪を引いている時に、無理な運動をするのは、(体力を消耗し体の免疫力を弱くする可能性)止めたほうが良いのだろう。

参考リンク
検証!体温アップで超健康の真実http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20110511.html
熱ショックタンパク質(ウイキ)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E8%B3%AA
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風邪?そして子供の咳

2011年11月10日 17時56分23秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
ここ数日、急に寒くなってきた。
寒くなったとたん数日前から、軽い咳が出だした。
また、夏のように悪化して病院へ行くことになるのかと心配したが、今は収まっているようだ。

7月ごろ咳がひどくなり、夜も眠れず病院に駆け込んだ、気管支炎との事で、抗生物質の投与を受けて治りかけた。しかしいつまでたっても軽い空咳が収まらず、そのうち咳がひどくなり咽に違和感もあったので、8月に呼吸器科のある病院にいった。

3つほど病気の可能性を指摘され、それに対応した薬を処方されその後完治した。
そのとき、一つの可能性として喘息もあった。医師は可能性が低いだろうといいつつ、念のため処方してくれた試験薬兼治療薬で喘息でないことが分り安心した。

咽に痰が絡まる違和感については、医師は鼻水が咽に降りている可能性があるといっていた。
その症状については、どうもそのようで今はその症状も無くなった。

それまでは、咳が続いても熱が出なければ医者には行かず、のど飴で治していた。
その後、長く咳が続くなら専門医の診察を受けるほうが良いと思った。

昨日の咳は、今日は出なくなったので問題ないと思う。


ところで、最近は子供の風邪がはやっているようだ。
RSウイルスや、愛子様が感染されたマイコプラズマがニュースになっていた。


以下、咳を伴う風邪に関連した参考資料を掲載。
末尾には、子供の咳どめ情報(アメリカからの2007年のニュースより)

以下の資料は「国立感染症研究所」「感染症情報センター」(http://idsc.nih.go.jp/index-j.html)の
疾患別情報」(http://idsc.nih.go.jp/sakuin/index.html#mami)からのグラフです。

RSウイルス感染症
聞き慣れない病気だが、ほとんどの乳幼児が2歳までに感染する。
症状は普通の風邪にそっくり。乳幼児は重症化のリスクが高く、肺炎や細気管支炎を引き起こす恐れがあるため、家庭や保育園などは細心の注意を払う必要がありそうだ。
RSウイルス感染症  http://idsc.nih.go.jp/idwr/douko/2011d/img35/chumoku02.gif
流行地 大阪 宮崎 東京 http://idsc.nih.go.jp/idwr/douko/2011d/img35/chumoku03.gif
乳幼児が感染   9割近くが2歳以下の乳幼児 8割近くが1歳未の乳児が多い
http://idsc.nih.go.jp/idwr/douko/2011d/img35/chumoku04.gif

マイコプラズマ感染症(肺炎)
最近では愛子様がマイコプラズマに感染され入院されたことが話題になっていた。
マイコプラズマ肺炎急増  http://idsc.nih.go.jp/idwr/douko/2011d/img41/chumoku01.gif
流行地  青森と沖縄 埼玉 愛知 大阪 東京  
感染者  10歳以下の子供に多い。 咳を伴う。


子どものせき止めに、はちみつが効果 米大学チーム
2007年12月05日(時事)のニュースより

 子どものせき止めには市販薬より、はちみつを飲ませる民間療法の方が安全で効果的――。米ペンシルベニア州立大の研究チームが4日、医学誌にこうした調査結果を発表した。

 同大は風邪を引いた2~18歳の子ども100人以上を対象に調査。ソバはちみつ、せき止め薬、ダミーの服用剤の3種類を就寝前に服用してもらい、効果を見た。

 その結果、はちみつを飲用後、せきの頻度が減ったとの回答が最も多かった。はちみつに含有する抗酸化物質がせき止めにつながった可能性がある。ただ、1歳未満の乳児はボツリヌス中毒の恐れがあるため、はちみつを控えた方がいいという。

 食品医薬品局は最近、風邪薬には副作用の恐れがあるとして、6歳未満に風邪薬を与えないよう勧告している。(時事)
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キビタキの飛来

2011年11月10日 11時25分18秒 | 趣味娯楽・園芸・探鳥・山・海・観光・グルメ
裏庭に キビタキ飛来し 冬近し
市街地の 裏塀の空に 赤茶冴え キビタキ飛て 冬の音聞く

 

今朝、裏庭でスズメの声と同時に違った鳥の鳴き声がしているので、裏庭を覗いてみた、すると南の塀にキビタキがいて、その近くでスズメも鳴いていた。
キビタキは、夏鳥として山にいる。

我が家では、いつの頃からか冬になると、たまに来るようになった。
探鳥会では、よく見かけた鳥なの念のため、日本野鳥の会大阪支部の、2010年4月から2011年3月までの20地点の定例探鳥会の観察記録を見た。(2010年度定例探鳥会記録 <むくどり通信214号 別冊付録>)

意外と観察回数は少なく、留鳥としているようではなさそうで、移動しているようだ。
夏鳥として、山の広葉樹林に渡来と図鑑に書いてあるが、大阪の緑の文化園や生駒山系の北のくろんど園地や箕面公園といった山間部では夏に観察されている。
そして渡りの時期の春と秋には都市公園でも観察例が多い。

ただ、冬になるとよく我が家にも飛来するところを見れば、夏は山間部に行き、一部のキビタキは、冬になれば、暖かい市街地や市街地の大公園や市街地近くの里山を飛び廻っているのかも知れないと思った。
そのうち、今年もシジュウカラやメジロやウグイスも来るだろう。
冬になれば、いつものように金柑の枝にメジロの好物のミカンの袋を刺してやろう。

参考
キビタキ   http://www.yachoo.org/book/view/kibitaki
キビタキ動画 http://www.youtube.com/watch?v=5RAcfN6D-ZE&feature=related
日本野鳥の会大阪支部 http://www10.plala.or.jp/birdsosaka/index.html
日本野鳥の会     http://www.wbsj.org/
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