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昨日記160229月(私の人生の経済波乱メモ 副食製造)

2016年03月01日 23時52分36秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =12.0  1.5
昨日は、閏日だった。
サラリーマン時代なら月給制の場合一日損した気分になるが、年金生活の今は、そんなことも考えなくなった。
そして、生活のメリハリもなくなった。
自分で意識してアンカー的なポイントや目標を作らないと、惰性に流される。
それだけ強い意志が必要となる。
しかし、年金生活者の生き方は自由なので、本当は自分の考え方次第で多様で自由な生き方ができるはずである。
ただし、そのためには経済的裏付けが必要となる。

経済的問題といえば、以前にも何度か昨日記でも記載したが、改めて今後の戒めの為にも、波乱の多い私の経済状態を中心とした過去を振り返ってみたい。

私は、若いころはからサラリーマンを辞めた前後までは、経済的に余裕があった。
会社に新卒で入った時から給料の2割から半分を家に入れていて、それを母親がほとんど私の名前で貯めていて、それ以外に自分で余ったお金をためていたので、若いころはお金に困らなかった。

若いころの経済的な消費の実態は、今振り返ると次のようなものだった。
20代前半は、近所の友人と遊んだり、区役所が主導している青年会の中のフォークダンスサークルで活躍したりしていたが、仕事も忙しくなり始めると、多少同僚と飲みに行ったりしたが月に数回程度で、普段から、お金を使うこともなかった。
お金のかかる、車やメンズファッションには興味がなかったし、飲みに行くこともあまりなかった。
そのころの趣味といえば山歩き・ハイキングや古寺巡礼や映画鑑賞と読書程度で、ほとんどが単独行だったので、お金は使わず残った。
ハイキングに関しては、ハイキングの本や地図を購入し、ルートをチェックし遠くまで出かけた。
例えば金剛山や葛城山や六甲山や京都の北山は、ハイキング地図に載っているコースは、ほとんど回り、金剛山や六甲山は散歩感覚で行っていて、金剛山は50回以上登り記念バッジを持っている。
多分、20代後半から30代前半にかけて、最もお金を使ったのはスキーだろう。
スキーについては、高い道具も買いそろえたし、スキースクールにも休暇をとって参加したこともある。
それでも、年収の中から見れば、お小遣いの範囲だった
それ以外に、野鳥の会や自然史博物館友の会や古代史の会に入りよく参加し楽しんだ。
これらの活動については、お金はほとんどかからなかった。
出費で大きいのは家賃だが、現在まで、住居は変わっておらず、両親が昭和10年から今の長屋に住んでいて、家賃は両親が払っていたので、両親が亡くなるまでは、家賃を払っている意識もなかった。
更に、最初に勤めていた会社の一株50円の未公開株を持っていて、それが上場されしばらくして売却しそれなりのお金を得ることができた。
(その会社の株は、会社がまだ中所企業の時に、会社の資金繰りに困り、ボーナスに自社株を発行して従業員に支給し、それを後日会社が買いすもので、会社に売却せず個人持ちも自由で、株の追加購入も歓迎していた。その会社に古くから務めていた人は、億近いお金を得た人もいるという噂も聞いた。多分現在の価値にすると1.5倍程度の貨幣価値はあった可能性がある。)

この様な状態で、出費が少ないので自然に余剰金が発生し、余ったお金は自分でも郵貯の定額に預けた。
当時定額預金は、10年すると倍になって戻ってくるというのが売りで、定額預金の限度額まで預けた。
その後、定額限度まで預けたので余ったお金は、銀行の定期預金にしたが、定期預金で寝かすのはもったいないので、株式投資をし始めた。
新聞の株式の裏情報を見て、会社の昼休みによく証券会社に電話を入れて株を指値で売買し、時に数百万円単位の株も電話で売り買し、それなりに儲けたこともあった。
多分今だったら、デイトレーダーになっていたかもしれない。

30代後半になると、管理職から会社の幹部社員になり、技術の総責任者となり、仕事はさらに忙しくなり、開発からサービスまですべて管理するようになった。
休みはほとんどなくなったが、年収もそれなりに増えた。
(その当時、最初に勤めていた会社の一年後輩が年収600万円を超えたという話を聞いて、私より少し高い年収になっているので、多少悔しかったことを思い出す。)
そのころの、出費といえば飲み会に行く費用だった。
一番多い時で、6本程度別々のパブやスナックや炉端焼きの店にボトルや一升瓶をキープしていた。
チャージだけで6000円の店(ピンク系のいかがわしい店ではありません)にも、友人や同僚たちが行くので、週1-2回行っていたことも数年続いた。
40代になったころは、一般的な新築マンション(4000万程度)を現金で買って少し余裕があるだけのお金は持っていた。

40歳で脱サラ以降、アメリカに1年半英語留学し、その後2-3か月かけて中南米を回り民芸雑貨を仕入れた。
このころから、お金の流れは一変する。
その後、喫茶店、中南米の民芸雑貨店、ギャラリーと13年近く事業をしたが、すべて失敗した。
ギャラリーを閉店する2-3年前には、運転資金も底をつき、消費者金融からの個人の借り入れでギャラリーを維持したが、維持できず2000年8月に店を閉めた。
その当時、ギャラリーを経営している途中からは自転車操業となり、昼食も、もらったカップヌードルで過ごしたこともあり、自転車操業になってから自己破産するまでの長い間、一か月に4-5回以上訪れる借金の返済のために、現実に一日に自転車で何軒もの金融機関のATMを走り回っていた悪夢ともいえる悲惨な体験を思い出す。
その後、非正規雇用で生活しながら、借金返済の努力を続けた。
同時に民生委員に生活保護の相談もしたが、借金を返済しないと生活保護は受けられないといわれ、途方にくれたこともあった。
自己破産するにも、弁護士や司法書士に支払うお金もなかったので、自己破産は無理と思った。
その後、本気で路上生活のシュミレーションを頭の中で行い、うまく路上生活する方法を考えたし、大阪城公園の路上生活者の実態も参考のためチラッと観察しりした。
国会で消費者金融関係の利息制限法が成立し、ニュースでも過払い金請求の判決確定の話が話題となり、次々に過払い金請求の広告も出るようになった。
そこで、減らない借金返済を軽減するために、8年前に、司法書士に過払い利息返還の可能性について相談に行ったところ、それなりの過払い利息があり100万円以上戻ることが分かった。
だが、それを差し引いても借金が2-300万円残るが、常識的に見て年齢からすると正社員で就職できる可能性はほとんどなく、今後私が働いて借金を返済できる見通しがないのではないかという司法書士のアドバイスを受け、数百万円の負債を抱え自己破産した。
借入したのは金融機関だけで、個人には迷惑をかけていなかったことがせめてもの救いだった。

この様に、工業高校を出て会社に就職して以来、お金の面でも様々な体験をし、本当に食事に困り、家賃や電気水道料金・電話料金を滞納し、停止されかけた状況の貧乏から、数百万円の現金を株で動かした経済的にゆとりのあった状況も、両方経験しているので、経済的に余裕のある人の物の見方も貧困層の見方もよくわかる。

閏日の損得の話しから、私の経済状況の話にまで極端に飛躍してしまったが、ここで超概略をまとめてよかったとも思う。
当然それぞれの段階で、様々な話が数え切れないほどあるが、この話はそれを思い出す手掛かりに十分だ。

話しを元に戻すが、昨日は9食分の副食作りのため、不足している食材を2軒のスーパーに買い出しに行き、その後9食分の副食を夜完成させた。

その他、メモ、くしゃみ連発・・風邪? 歯ぎしりで始まった歯周病・知覚過敏かなり回復正常化
足のやけど、回復中で手当なし痛み無し。


「思い出・生き方・生活住環境」(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方・生活住環境」ホルダーに収納しています。)(自分のメモとして)
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昨日記160228日(副食 ジム)

2016年03月01日 00時05分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =15.8  5.6
昨日は、前日から継続した副食作りを行った。
11食分を40%程度作り、そのうち翌日の3食分を完成させた。
残りの作業は翌日(本日)に持ち越した。

夜に、ジムに行った。
足の甲のやけどで、ランニングは無理だが、筋トレなら足を使わないので大丈夫だろうという判断だった。
筋トレは、昨年12月の記録より少し落ちていたが運動量を控えた前回よりは良かった。
昨年末の筋トレの記録まで回復するには、2週間程度必要かもしれないが、その間いろんな事情で休みが入ると、又振り出しに戻るので、気を付けなければと思っている。
最後に、ランニングはできないので、足首にはげしいしょうげきのかからないクライム(ステップを踏む運動で階段の上りに相当し、負荷が変えられる。)の運動を7分間おこなった。
6-7年前までは毎回していた運動だが、その後止めたので、結果的に使っていない筋肉を使うことになり、結構きつかった。

ところで、メジロの餌台に置いた餌が夜中に一部食べられた跡があったり、黒い糞のようなものがあったりして疑問に思っていた。
イタチは肉食なので果物は食べないし、ネズミなら丸椅子の上に大きな折りたたみ式のパレットを置いたので、ネズミがそこを天地逆の状態で通過し登れるはずがないと信じていた。
ところが昨日、昼食中に縁側を見ると、メジロの餌台の上から裏庭に降りる、黒い大きなドブネズミを発見した。
もっと広いとっかかりのない平らなネズミ返しにする必要がありそうだ。
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