とにかく日記

とにかく何でもいいから書く日記。3人の子へは仕送り、更新頻度は下がり、書き続けられるのか?(コメント等は承認制です)

4歳の娘と父の会話

2006-01-06 10:12:30 | 育児
我が家の4歳児(2番目、女、仮称リリ)と亭主の会話を二つ。

その1。
車での移動後、ルル(末っ子、2歳)を抱っこして車から降ろそうとした亭主。
ルルが「おかーさんがいい!」と怒鳴り、私がルルを抱き下ろした。
その亭主の所にリリがやってきて言った。

「おとーさん、だっこしたいならリリでガマンしてね。」

・・・自分が父親に抱っこしてもらいたいだけじゃないのか?リリ!

その2。
亭主の頭は月に1度、バリカンで丸刈りにしている。
家族ででかけた、ある風の強い日。

リリ「おとーさん、おとーさんは風で髪がくしゃくしゃにならなくていいね」
亭主「うらやましいだろう」
リリ「ぜんぜん」

・・・以上。
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知恵

2006-01-02 04:31:16 | 育児
楽しく過ごした元旦の夜。
10時になり、もっと遊びたい!と騒ぐ子供たちを寝室に連れて行った。

しかし、興奮して寝付かない子供たち。
いつもの子守歌を歌ったが、なかなか寝そうにない。
そうこうするうちに、リリ(仮名、四歳女)が咳をし始めた。
咳はだんだんひどくなり、喘息の発作のようだ。
これではリリは眠れない。
喘息発作の薬を吸入させてもらいなさい、と亭主が起きている部屋に行かせた。

リリが去ってしばらくしてから。
弟のルル(仮名、二歳)が咳をした。
すごくわざとらしい、いかにも作り咳という風に私の耳には聞こえたが、本人はうま
く咳ができたと思ったらしい。

「おかあさん、ルルもセキがでる、おとうさんのところにいく!」
・・・仮病かよ!(笑)
眠りたくないので、二歳児なりの知恵を絞ったのだろう。
しかし、母をだまそうなんて、十年早いぞ(笑)
ララ(仮名、長女六歳)も笑いながら言った。
「かわいいセキだね-、ルル」

結局二人とも、リリが吸入を終えて寝に戻って来るまで布団の中で起きていた。
まあ、楽しい正月を迎えられて、めでたいことではある。

   お正月 寝たくない子の 作り咳

本年もよろしくお願いいたします。

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子供の目から見ると

2005-12-16 12:23:52 | 育児
職場の忘年会に着物で行こう、と思い立った。

まず、近所の呉服屋で安物ポリエステルの着物と帯、足袋を買った。
それから10年以上前に通った着付け教室のカバンを押入れの奥から出した。
中に入っていた長襦袢の衿が黄色く変色していたので、付け替え用の半衿も買ってきた。
古い半衿をはずし、夜のうちに新しいのを縫いつけるつもりで。

しかし、子供たちを寝かしつけようとしたら自分も一緒に朝まで寝てしまった。
忘年会は今夜。なのに長襦袢に半衿がついてない。
亭主が朝食を作り、子供たちがねぼけてぼーっとしている間に少しでも、と裁縫道具を出して半衿をつけ始めた。
朝食の支度ができたというので、途中だったが、そのままにして食卓につく。

今日の朝ごはんはパン。
食べているうちに目が覚めたリリ(次女、4歳)が最初に食べ終え、私が出しっぱなしにしていた長襦袢の所に行った。
私はルル(末っ子にして長男、2歳)に食べさせるのに忙しく、食卓を離れられない。
針も糸も出しっぱなしだが、リリが下手に触らなければいいなぁ・・・と心配していたら、リリの声がした。

「おかあさん、おかあさんの針、とってもきれい」

何のことを言っているのだろう?と思ったら、ガラス玉が頭についた待ち針のことだった。
「どうして、おかあさんの針、ピンク色なの?」
針山にも、縫いかけの長襦袢にも、ピンクや白、緑色といった色とりどりの待ち針がついている。
「わかりやすいように、色がついてるんだよ。触らないでよ、見るだけにしてね」と声をかけると、リリはうなずいた。

私にとっては、ごく当たり前の裁縫道具でも、子供の目には新鮮なのだろう。
ガラス玉の待ち針を「きれい」と感じる子供の心。
あわただしい朝の時間が、そこで一瞬、止まったような気がした。

子供たちを保育園に送り出し、半衿をつけ終えてから出勤した。
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自分でする!

2005-11-14 09:44:15 | 育児
「自分でする!」「自分で!」
最近の末っ子(2歳2ヶ月、男、仮称ルル)の口癖。

パジャマのボタンをとめようとすると「自分でする!」
クツをはかせようとすると「自分で!」
チャイルドシートのバックルをとめようとすると「自分で!」
トイレでお尻を拭くのも「自分でする!おかあさん、やるな!」

今朝も、玄関でクツを履こうとし、左右が間違っているからすかさず交換したら
「自分でする!」と怒り、一度元に戻してからまた正しく置き、履いた。

まぁ、クツやパジャマのボタンは時間がかかるが、かろうじて、できるからまだ、よい。
チャイルドシートのバックルは自分ではできないのにやりたがるから、上手に
手伝って「自分でやった」という気分にさせるのが大変。
トイレは・・・まだ一人ではきれいに拭けないので、説得して私も拭いている。

もちろん、親がやったほうが早い。
だが、究極的には何もかも自分でできるようにすることが育児の目的だ。
ここでとりあげてはいけない、ここで見守るのが育児だ、と親もガマンする。
「自分でする!」という意欲は、尊重してやりたい。
・・・こっちの堪忍袋の緒が切れない程度で、だが。
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食事のしたく

2005-11-06 22:49:21 | 育児
最近、末っ子(仮称ルル、2歳、男)が料理や食事のしたくに興味を持っている。

亭主が朝食を作っていると(我が家で朝食を作るのは亭主である)台所に行く。
「タマゴ、タマゴ」と騒いで、卵を割らせてもらっているようだ。
訓練の甲斐あって(?)最近は黄身を崩さずに上手に割ることができる。
スクランブルエッグを作らせてもらったりもしているらしい。

朝食ができると、食卓へ運びたがる。
熱い料理が載った皿は持たせられないので、空の皿、箸、匙を配ってもらう。
特に箸を配るのが楽しいらしい。
一本ずつ「はい、これはおとーさん、はい、これはおかーさん」と食卓の周囲を
ぐるぐる歩き回りながら、置いていく。
既に自分の席についている4歳の姉は「1本ずつ渡されるのはめんどくさい!」と
苦情を言うが、ルルはメゲない。

もちろん私は「おてつだいありがとうの歌」を歌ってあげる。
・・・この調子で、ずっとやってくれるといいなぁ。
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子供に敢えてつく嘘

2005-10-31 10:00:33 | 育児
私は、自分の子供の一人に、ずっとつき続けている嘘がある。

3人の子の真ん中、リリ(4歳)と二人っきりになると、私はその嘘をささやく。
「お母さんがいっちばん好きな子供は、リリだよ。子供の中でリリが一番かわいい。
 でもこれは、ララ(姉)とルル(弟)には言っちゃダメ。絶対内緒にしてよ。」

これのどこが嘘なのか、というと、私にとっては3人の子、どの子もそれぞれに
かわいくて、いとおしくて、大好きなのだ。
誰か一人のことだけが特別に好き、ということはない。
自分が親になる前は「そんなことってあるのか?親子といえども人間だし相性も
あるだろうから、親でありながら自分にとって可愛い子、可愛くない子というのが
できるんじゃないか?」と思っていたが・・・親になってみたら、何のことはない。
いとも簡単に博愛主義者になれた。
子供それぞれの生まれながらの個性、成長とともに新たに出てくる個性が、それぞれに愛らしい。

では、なぜ、敢えてリリにそんな嘘をつくのか、というと。
リリが間の(上と下がいる)子であることと、自分自身の子供時代の記憶による。

当時、私は5歳だった。
「お父さん、お父さんは子供の中でボクが一番好き?」と問うた弟に、父が「うん」と答えたことがある。
その後は、しばらーーーーーくそのことで父を責めた。
「お父さんは△△(弟)が一番好きって言った!どうして!どうして!」
父はその問いに答えずに「××(私)も大好きだよ」と言うだけだった。

子供心にはたいそう不満であったが、今の私なら、父の気持ちがわかる気がする。
弟は、5人兄弟の真ん中だった。

一番上の子は、親としても初めての子なので、成長と共に遭遇するすべてが親に
とっても初めてということで自然と手がかかり目が届き真剣になる。
一番下の子は、小さいというだけの理由でどうしても甘くなる。
だから、間の子は、放っておかれたような状況になりやすいような気がする。

自分が愛されているかどうかわからない、というのは、子供にとって不安なことでは
ないだろうか。確かに愛されている存在として、自信を持ってもらいたい。

だから、私は今日もリリにささやく。
「お母さんは、子供の中でリリが一番、好きなんだよ。
 ララやルルに言ったら『なんでリリだけズルイ!』って怒るはずだから、内緒。
 お母さんはリリと離れている時も、一緒の時も、いつでもリリが大好きなんだよ」

・・・嘘はどこかで破綻するものではある。
まぁ、破綻したらその時はその時だ。
「ゴメンね、お母さんがどんなに子供一人一人が好きか解ってもらいたかったから、
そんな嘘をついたんだ」とでも言おう。
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キリキリする~

2005-09-26 09:48:34 | 育児
最近、末っ子(仮名ルル、男、2歳1ヶ月)のお気に入りは「キリキリ」である。
食後などにゆっくりしていると「おかあさん、キリキリする~」とやってくる。

「はい、はい」と私が提供するものは、ハサミと毛糸だま。
ハサミで「切り切り」するのが面白くてたまらないらしい。
毛糸を伸ばしてあげるとハサミでチョキン、チョキンと切っていく。
細かく切られた毛糸の山ができても、飽きずに切り続けている。
ハサミを開き、毛糸を間にいれ、ハサミを閉じる。
毛糸をうまく刃の間にはさむことができず、ルルがいらだつこともあるが、
テキトーに手伝ったり励ましたりするとまた気を取り直すようだ。
(手助けすべきではない、という考え方もあるらしいが、まぁテキトーに。)

これくらいの年頃の子供が行う無限反復作業(とでもいいたくなるような
同じ作業の繰り返し)、とても面白いと思う。
大人にとっては「子供のいたずら」で片付けてしまいそうな、単純作業。
これを「子供にとっては大切な、自然からの宿題(成長のための課題)である」と
位置づけた、マリア・モンテッソーリの発想もすごい。(注)
おかげで私は「ま~た同じことやってる、いつまでやってるんだろ」と思わずに
子供の反復作業につきあい、興味深く観察することができる。

まだ、今のところは一回の「チョキン」で切れる幅のものしか与えていない。
最初は家にあるリボンやテープを切らせていたのだが、いくらでも切り続けるため、
とってあった古いリボンは切りつくし、今は毛糸だまを切っている。
ハサミは子供用の文房具売り場で買った、先の丸い、切りやすいものである。

ルルが切っていると、姉たちもそれぞれのハサミを持って「やらせて~」と寄って
くるので、毛糸を分けてあげる。
ララ(長女6歳)はすぐ飽きたが、リリ(次女、4歳)は「髪切り屋さんですよ」
と言いながら毛糸をずっと切っている。
おかげで、大量の毛糸くずをゴミとして出すことになった。

注)モンテッソーリ幼児教育法の本はたくさんある。
とりあえず一冊を、ということであれば「ママ、ひとりでするのを手伝ってね!
(相良敦子著、講談社)がお勧め、かな。
Webではこんなサイトも。
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学研の科学

2005-09-24 11:15:56 | 育児
長女(仮名ララ、6歳)のために「1年の科学」を定期購読している。

親バカの入った、ささやかな英才教育である。
何しろ、ララが小学生になるのは来年なのだから。
いわゆる早期能力開発プログラムなどの通信教育の類には一切、手を出さないと
決めているのだが、これだけはちょっと違う・・・ということで。

亭主(理学博士号を持っている)は子供の頃、定期購読していたそうだ。
私自身はとっていなかったが、2歳上の兄が親に与えられていたのは憶えている。
その「おふる」を、私は読んでいた。
古い号でも面白かったのは記憶している。「かたつむりの飼い方」とか。
学研の科学は小学校の学年別になっているが、内容的にはあまり関係ないのだ。
付録は兄のものなので触らせてもらえなかったが、とても羨ましく思っていた。

さて、ララは5歳でひらがな、カタカナがほぼ完璧に読めるようになった。
(これは保育園がそう教育したのである、親が教え込んだのではない。)
科学的な質問(どうして○○は××なの?とか)も増えてきた。
で、学研の科学をもう読めるだろう、と4月から定期購読を始めた。
4月号の付録が顕微鏡だった、というのも始めるきっかけになっている。
(かなりチャチではあるが、子供でも操作できる実体顕微鏡であった。)

予想通り「1年の」と銘打ってあっても、1学年下のララには、まったく
抵抗なく受けとめられている。
毎月、届くのを楽しみにしており、特に付録には興味しんしんである。
子供の心を捉えるような工夫が多いのだろう。
最初は一緒に読んでいたが、今ではもう、一人で勝手に読んでいる。
沖縄の気候風土とズレている付録もあるが(ミニトマトの種が届いた頃、
こちらではとっくに種まきの時期が終わっており収穫期に入っていたため
植えても花は付いたが実はならなかった、など)まぁ、よしとしよう。

ささやかな英才教育、と上では書いたが・・・
親としては、本人の嗜好を把握した上で長所を伸ばすのに役立ちそうなものを
提供しているつもりである。
(両親の年少時の体験が関係している、というのは否定しないが。)
好きなものと楽しくつきあい、教養(というのは大げさかも)をつんでくれれば、
・・・と願っている。
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丈夫になった

2005-08-05 21:58:01 | 育児
台風9号接近。我が家がある地域は暴風域に入らなかったが、風はかなり強い。
喘息もちの下二人の喘息予防のため、しばらく切っていたテオドールを再開させた(ステロイド吸入は継続していた)。
低気圧が来ると喘息発作を起こしやすくなるのだ。
科学的な根拠があるかどうかは知らないが、ウチの二人は少なくとも、そういう感じがある。

しかし、何度も入院して大騒ぎだった去年を振り返ると、今の子供たちの健康状態は夢のようだ。
この1ヶ月発熱した子はおらず、薬は予防のためだけ、治療のための服薬はない。
末っ子も保育園に入園して1年半、今月末で2歳になる。
昨年11月に退院して以来、入院はない。
病気を繰り返すうちに免疫がついて、強くなったのだ。
良い主治医のおかげで、適切な予防と早期治療がなされている、ということもあるのだろう。

保育園に小さい子を入園させると、発熱を繰り返し、ウチの子たちのように入退院を繰り返すことも珍しくない。
集団保育における最大のデメリットともいえる。
(デメリットだけ書くのは本意ではないので、メリットも書いておこう。
集団保育最大のメリットは「孤立した家庭ではなく社会の中で育児ができる」こと。)

発熱と通院、投薬、入院を繰り返していた子供たち。
その子供たちが、時期が来れば、こうやって丈夫になるのだ。
病気が多い時期をどうやって乗り切るか、の問題なのだろう。
小さい子供を持つ親にとっては、子供が病気になった時のサポート体制が必要だ。
それと「将来、きっと丈夫になる」という希望。

我が家の子供たちは本当に、丈夫になった。
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七夕の願いごと

2005-07-02 00:04:38 | 育児
リリ(3歳10ヶ月)が夜、肌を掻きむしるので、今日、皮膚科に行ってきた。
待合室は混雑していて、1時間半くらい待っただろうか。
小児の患者も多く、子供用に絵本もたくさん置いてあったのだが、リリは飽きてきた様子。

ふと、箱に色とりどりの短冊とペンが入れてあるのに気づいた。
「たなばたの願いごとを書いてね」と書かれている。
まだ七夕飾りはされていないが、来週にでも飾る予定なのだろう。
箱の中には、小学生くらいの子供が書いたと思われる、願い事が書かれた短冊もあった。

退屈しのぎに、リリに短冊を選ばせて、ペンを渡した。
まだ字を書けないリリは、丸や三角、四角をかいていた。
「ねがいごと、お母さんが書いてあげようか?」と声をかけたら、うん、と言う。
何を書く?と尋ねたときの、リリの返事。

「はやく じ が かけるようになりたい、ってかいて」

・・・確かになぁ。
リリはまだ字も読めない。自分の名前の文字である「り」は認識しているようだが、書けない。
書けるのはまだだいぶ先だろう。
ピンク色の短冊の裏側に「早く字がかけるようになりたい リリ 3才」と書いた。

そうしたら診察に呼ばれた。
リリの肌のかゆみは、じんましん だそうだ。
確かに、かゆがっている部分は膨れ上がっていて、しかも放置していたら消える。
原因は不明だが喘息の予防薬(オノン)を今週始めから切っていることが関係しているかもしれない、と言われた。
かゆみどめの飲み薬を処方された。
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日本脳炎の予防接種はいつ受けられるの?

2005-06-20 00:44:15 | 育児
またまた日本脳炎の予防接種について。
18日が地域の集団予防接種の予定日だったのだが「中止」の知らせが保育園でも配布された。
「特に接種を希望する方には公費にて接種できるよう調整していますのでお問い合わせ下さい」と書いてあったので、電話して尋ねたら該当児の氏名、住所、電話番号を聞かれ「折り返し担当者から連絡します」と言われた。15分後くらいに担当者から電話があり「希望者は、18日に集団接種が予定されていた会場に来て下さい、そこで同意書などの手続きをします」とのこと。

もしかして「集団」ではないにせよ、予定通りに実施するのか?と期待してリリ(3歳次女、日本脳炎1回目の接種を5月に済ませたばかり)を連れて指定された日時に会場に行ったら、ただ住所と名前を書いて終わりだった。
「後日、説明書と同意書などの案内を郵送します」と言われた。

・・・何のために会場に行かなくちゃいけなかったんだろう。
接種の「希望」は電話では不十分ということか。
公費接種のハードルを高く、高くしようとしているように感じられてしまった。
例年の状況からすると、沖縄ではブタの体内で日本脳炎ウイルスの増幅が始まっている時期である。
できるだけ早めに受けさせたいんだけどなぁ。

厚生労働省が言う「より安全なワクチンの供給」というのも、いつ始まるのかわからない。
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受ける?受けない?日本脳炎の予防接種

2005-06-10 13:56:53 | 育児

日本脳炎予防接種を「積極的に勧めない」ことを厚生労働省が決めた。
早速、全国各地で日本脳炎の予防接種が中止されているらしい。
我が家のリリ(次女、3歳)が先月1回目の定期接種を済ませた時点で、この決定がなされた。

という訳で他人事ではないので、いろいろ調べた上でウチではどうするかを考えてみた。
70万回から200万回の接種に1回と言われている副反応が重篤になった症例が1例出たことを重視し(日本脳炎ワクチン接種との因果関係が科学的に証明されている訳ではない)、より安全なワクチンの開発まで予防接種の勧奨を一時見合わせる・・・ということだそうだ(乱暴な要約)。

だが、ワクチンによる副反応のリスクと、日本脳炎を発症するリスク、どちらが高いのか。
前者はワクチンを接種した場合70万分の1から200万分の1(厚生労働省によるQ&A)というのだから、まぁ、はっきりしている。
しかし、後者(日本脳炎を発症するリスク)は、単純な話ではない。
まず日本脳炎がどうやってうつり、うつった場合(ウイルスが身体に入った場合)どの程度、発症するのか、ということを考えなくてはならない。

日本脳炎ウイルスはブタの身体の中で増殖し、そのブタを刺した蚊にヒトが刺されるとウイルスに感染し、感染した場合(予防接種なしでは)100人から1000人に1人くらいが発症する、という。
かつて予防接種がなかった頃、ブタに日本脳炎ウイルスが蔓延している地域でヒトの患者が多かったという報告がある。
だから日本脳炎ウイルスを持っているブタが地域にいるか、ということを国立感染症研究所という所が、毎年きめ細かく調査した結果を公表している。

で、これが、地域差が極めて大きい。
平成16年度の最終報告ではこんな感じである。
他の年もみてみたが、沖縄は毎年早い段階でレッドゾーンだ。
ウチの周囲は感染危険地域、と理解してかまわないだろう。

あとはもう超・乱暴な計算である。
1日1回、蚊に刺されると仮定する。
年間100日くらい日本脳炎ウイルスを持った蚊が地域に出ていると仮定する。
どれくらいの比率でそういう蚊がいるのかはまったくわからないので、ウイルス保有蚊を1000匹に1匹と仮定する。
そして、日本脳炎ウイルスを持った蚊に刺された場合の発症率が100分の1から1000分の1。

これを元に計算すると、予防接種せずに沖縄に住んで日本脳炎を発症するリスクは、千分の1から1万分の1、ということになる(計算あってます?)。
副反応の発生率とは桁がだいぶ違う・・・。
まぁこれはすごい仮定の数字で計算しているので(特にウイルス保有蚊の比率はいいかげん)単純に比較する訳にはいかないんだけど。

近くに豚舎があるか、というのは大事な要素という気がする。
海外(主に東南アジア)でも都市部では流行が少ないそうだが、豚舎が近くにないからだろう。
沖縄でも都会(那覇の街中とか?)には豚舎はないはず。
でも、ウチは半端な市街地にある。
つい去年まで家のすぐ近くに豚舎があった(今はアパートになってる)。
生活圏の近くに豚舎があるんじゃないかなぁ。
それに子供たちを連れて豚舎がありそうな、のどかな地域に行く機会は多いぞ。
厚生労働省がお勧めする「蚊に刺されないように注意する」なんて、沖縄で普通に暮らしていたらとてもじゃないが徹底できない。

日本脳炎は特効薬がない。
発症した場合、1/3が死亡、1/3は後遺症、1/3が完治する、と言われている(これも乱暴な要約)。
早期発見や早期治療でなんとかなる病気ではなく、予防が一番、なのだ。
そして、従来の定期予防接種が日本脳炎の予防に有効なのは明らかである。
まれな副反応を恐れたために日本脳炎を発症するような馬鹿馬鹿しいことになってはならない。
少なくとも自分の子供たちにはそんなことになって欲しくない。

同意書を書けば、今後も公費で予防接種を受けられるらしい。
リリには今月、2回目の日本脳炎予防接種を受けさせることにした。

あと、この件に関してもう一つ。
鳥インフルエンザにかかった鳥たちは皆殺しになってしまったけど、日本脳炎にかかったブタを危険視したり抹殺したりするような日本、というか、そんな沖縄には絶対になって欲しくない。
人間の日本脳炎は予防接種で完璧に予防できるのだから。

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第一反抗期

2005-04-11 09:44:47 | 育児
ルル(1歳7ヶ月の男児、3番目)がいわゆる「反抗期」に入ったようだ。
何かにつけて「イヤ」という。

朝起きて、オムツを替えようとすると「イヤ」。
そうか、イヤなのか、と(面倒なので)放っておく。
朝食前にお腹がすいた様子で機嫌が悪いので、チーズ食べる?と尋ねると「イヤ」。
そういえばルルは一昨日から昨日の午前中にかけて、胃に何か入れると吐いて、水みたいな下痢も数回、という状態だった。
昨年冬から通算3回目の嘔吐下痢症だったようだが、一日で吐くのは止まり、下痢も減った。
もう治ったかと思っていたのに、まだ治ってなかったのかな?
・・・と、姉たちだけにベビーチーズを渡していると、ルルも手を出してくる。

まったく、このガキめ。
余計な心配させやがって。
とにかく何でも「イヤ」と言って意思表示したいんだよな。

ベビーチーズを出してきて、包みを「むいてあげようか?」と言ったらまた「イヤ」。
はいはい、わかったよ、と手渡すと、時間がかかりながらも自分で上手にむいて、満足そうに食べていた。

まだまだ赤ん坊みたいなナリだが、子供は確かに、成長している。

ちなみに、ルルに「ハイ」と言わせるには「○○したい人~」というような募集質問形式でなくてはならない。
「これ食べる人~」と問えば「ハイ」と挙手するのは、保育園仕込みだ。
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3歳児の心配ごと

2005-04-09 11:59:50 | 育児
夜9時。
ベッドで添い寝して、リリ(2番目、3歳女)と話をするのが最近の習慣になりつつある。

私 「リリ、何か心配なこととか、いやなこととか、ある?ない?」
リリ(小さな声で)「ある」
私 「何が心配なの?何かいやなことがあるの?」
リリ「おかあさん・・・おかあさんがね・・・おかあさんがね、死なないか、しんぱい。」

予想外の答えに、ちょっとドキっとした。

私 「おかあさんが、死ぬかもしれないって心配してるの?」
リリ「うん。」

そうか。そんな哲学的な(?)心配ごとをしていたとは。
そういえば子供は3歳ぐらいから死について考える、と何かで読んだような気もする。
じゃあ、この際「死」について説明しとかなくっちゃ、と話をすることにした。

私 「お母さんはね、年とってから死ぬかもしれないけど、いや、いつか必ず死ぬけど
  (なんて言わない方がいいのかもしれないけど現実はそうだからつい言ってしまった)
  リリが大きくなるまでは死なないと思うよ。というか、お母さんはまだまだ死にたく
  ないなぁ。リリが大きくなるまではおかあさんを死なせないで下さい、って神様に
  お祈りしてるんだよ」

寿命は自分では決められないから、ね。
しかし、リリは別のことを考えていたようだ。

リリ「おかあさんがね、死んだら・・・あたらしい いじわるな おかあさんが くるの?」

これはもう、白雪姫、シンデレラ、ヘンゼルとグレーテルの影響だな。
リリはこれらの絵本が大好きである。

私 「来ないよ。というか、お母さんは、まだ死なないつもりだし。
  もし、もし、お母さんが死んで、新しいお母さんが来たとしても、とっても優しい人で、
  リリもその人のこと大好きになっちゃうかもよ。その人もリリがとってもかわいいから、
  こんなかわいい子にいじわるはできませんって、リリのこと大好きになっちゃうかもよ。
  でもね、お母さんはたぶん、死なないでおばあさんになって、リリが大人になって子供を
  産んだら『まぁかわいい赤ちゃん!私がおばあちゃんよ。リリが子供の頃にそっくりね!』
  って言うはず。リリ、ちゃんと死なないで大きくなって大人になってね。」

若かった昔、現在の亭主と付き合い始めたばかり位の頃は、自分が死んで彼が別の人とつきあうなんて想像するだけでも悲しくて涙が出た。
自分の死への恐怖による涙なのか、次の女への嫉妬の涙なのかは、当時もよくわからなかったが。
それが、20年たった今では何の感情もなく平然と子供にこういう話をしている。
死ぬのは怖いし、死にたくないし、せめて子供たちが大きくなるのは見届けたい。
でも、この人生がいつ、終わりを迎えるのか、は誰にもわからない。
私が死んだら亭主はたぶん再婚するんだろうし、どうせ再婚するんだったら継母と子供たちは童話のようにではなく仲良くしてもらいたい。
・・・ということを、ドライに考えられるようになったのは、歳をとった証拠なんだろうなぁ。

一人目の出産が難産だったので、その最中に、死を意識した時間があった。
「胎児か自分か、どっちが死なないとこのお産が終わらないのだとしたら、どうしよう」と。
まず頭に浮かんだのは「自分はまだ死にたくない」だった。やりたいことがいっぱいあった。
でも、生物学的に考えたら(どうしてだか知らないが分娩台の上でそんなことを考えてしまった)世代交代することによって生物の営みは続いていくのであり、親世代である自分が死に、子世代である胎児が新生児として誕生することの方が意味が大きいはずだ、と思った。

・・・よし、と覚悟を決めた。
自分は死んでもいい。
死ぬ気で「胎児」を「新生児」にしよう。

そして、長時間におよんだ出産は終わった。
子供も私も死ななかったし、その後2年間隔で合計3人の子を出産した。
だが、あの難産を経て生きている私の人生はある意味、余生である。

娘の話に戻る。
リリは、子供は10人欲しいだとか「りんごちゃん」とか「みかんちゃん」という名前にするとか言いながら、眠った。
ベッドから降りて部屋を出ようとしたらララ(長女、5歳)が声をかけてきた。
眠れないらしい。添い寝して欲しいという。
・・・仕方ないなぁ、もう、と思いつつララのベッドに入った。
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愛されている実感を

2005-03-25 18:35:51 | 育児
リリ(次女、3歳)のこと。
最近私も忙しくて子供に優しくしていないような気がする上、リリが特に母を
求めているような感じがするので(私にだけダダをこねる、甘えたしゃべり方を
する、など)、寝かしつけるときに少し話をすることにした。

「リリ、何かお母さんに言いたいこと、ない?」
「おかあさんは、おばあちゃんになるの?」

・・・いきなり何だ?と思ったが、まぁ、答える。

「リリが大人になった時には、お母さんは、おばあちゃんだよ」
「じゃあ、そのとき、おとうさんはおじいさん?」
「そう。」
「リリがおとなになったとき、ララ(長女、5歳)もルル(長男、1歳)もおとななの?」
「そうだよ。」

遠い将来を想像している3歳児の頭の中はいったいどうなっているんだろう。

「でもね、お母さんはおばあちゃんになってもリリのこと、大好きだよ。
 何歳になっても、リリは大事なお母さんの子供だよ。」
「おかあさんは、どうしてリリがすきなの?」
「そうだね~。お母さんに似てるから、かな。
 お父さんに似てるとこも好きだな。リリは左利きでしょう。
 お父さんも左利きだし、お母さんね、左利きってカッコイイ!って思うんだ。(←けっこう本気)
 でも、お母さんは左利きじゃなくて右利きだから、左利きのお父さんと、リリが、大好きなんだよ」

こんな話をしているうちに、リリは寝る。
満足して(というのは親の願望だが)眠っているのだろう。

話がすこしそれる。
バッハのカンタータに「口と心と行いと生活で」というタイトルの宗教曲がある。
(神への)愛は口と心と行いと生活で示すものだ、という曲だ勝手に解釈しているが、
子供への愛情も、そうやって示してやりたい。くり返し、機会あるごとに。
自分は、親に愛されている存在なのだ、と実感できるように。
コメント
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