神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

 2025年 元旦

2024-12-31 23:21:40 | 挨拶

  笠取山近くからの元旦の富士山(No.183の採録)

1.カワセミ
    

2.おも・かげ
   

 よいお年をお迎えください。
 言葉の力で世界に平和を!
 
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 富士山暮色

2024-12-31 00:36:31 | 時評
 
       昭島市玉川小南より

  *1月3日まで休止します。4日夜から始めます。

(1)庭のロウバイ     
    
       まだ咲き初めしロウバイの 朝日に映えて見えしとき 華ある花と思ひけり ー藤村風に

(2)今日(30日)の雲
       *飛行機雲ではありません。
    

  武器よさらば 世界に平和を!
 

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No.379 年末・落穂拾い

2024-12-30 00:54:56 | 多謝
(1)みなさん、ご覧くださりありがとうございました。
 年内はこれで終わりとし、年明けは4日からの予定です。 
 なお、毎日のことなので、記憶違い・明らかな間違い・入力ミスもありました。そのうちの一部は直せましたが、多くはそのままです。この点、ご容赦をお願いします。

(2)28日、ネットのオークションで気に入ったのがありました。次の壺です。 
     
 
 どうですか? 写真で見る限りは、なんとも言えず、欲しいと思います。
 見ると、「入札締切時間19:47、入札スタート価格100円、送料無料」とありました。10円刻みで入札です。すでに1人入札していましたから110円になっていました。
 高くなれば諦めることにして入札ボタンを押すと120円になりました。入札締め切りまであと6時間ほど。
 入札締め切り予定時間の25分前頃にパソコンを開けると、まだ私が最高入札者でした。
 気を良くして、しばらくしてからまたみると、締め切り時間の5分前のはずなのに、17分ほど前と表示されていて、入札者が7人に増え、価格も2000円に競り上がっていました。もう写真を撮りましたし、競る気がないので、この時点で入札を降りました。
 しかし、結果が気になりましたから20時過ぎに見ると、終了までまだあと5分ほどとあって、価格は19500円になっていました。
 要するに、競っている間はどんどん時間延長されて終わらないんですね。付き合ってられません。
 それはともかく、壺だけでなく、書籍・古文書なども含めて、いろいろなものが出品されていますから、見ている分には楽しいものです。それで、今日も少し見ました。すると、なんと上の写真がまた出ていました。「入札締切予定1日、スタート価格100円、送料無料」です。
 もちろん、ぽちっと押しましたよ。でも、またきっとこれ一回だけです。

 (3)麻生山東尾根
 つぎの写真は、肝要峠で撮った麻生山です。左方向が金比羅尾根、右方向が日ノ出山です。山の地図は当然のこと持っていますが、写真でルート確認しようとするとなかなか難しいものです。
 実は、上っているときに送電線の鉄塔の脇を通過しました。それで、正面の尾根を登ったのかと思いましたが、この尾根はずいぶんなだらかですから記憶と一致しません。
 そうではなく、尾根にとび出た岩の塊を越えると急登が現われるという連続でした。それからすると、左の鉄塔のある尾根の方が記憶に合致します。
 今はもう通行禁止になってしまいましたが、日ノ出山北尾根も急登が連続する良いコースです。ハイキングではなく、山登りの醍醐味を味わいたい向きにはお勧めです。
 ただし、急登を時間が短いといって下る人がいますが、カミナリでも鳴りだしたというならともかく、足に負担が大きいのでやめましょう。
 登りは急騰、下りは長くても平坦な道、これが足のためです。
 登りも下りも平坦がよいなら、公園の遊歩道か、堤防がおススメです。
    

(4)馬頭観音
 麻生山・日ノ出山の一帯はあちこちで巨岩が顔を出しています。下に降りてからでもそうです。沢なども覗き込むと岩盤の上を削りながら流れているのがよくわかります。ぜひ味わってください。 
 ところで、左の写真の岩の下部に小さく白い四角い石が見えます。電柱のちょっと左です。   
      

 わかりましたか。そこに馬頭観音があります。正確には「馬頭観世音」と書いてあるようです。
 車では気が付かないでしょうし、歩いていても注意しないと見過ごしてしまうでしょう。
 私はこれを見て、書体にも彫りにも感動してしまいました。キレのある力強い書で、彫の腕前もいいと思います。引き込まれる感じがします。どんな人が書いて、誰が彫ったんでしょうね。
     

(5)金比羅尾根の記憶
 金比羅尾根を通過した際の写真を前にも載せました。2時間くらい歩きましたから、いろいろありました。その中から1枚、私の記憶にあるところを紹介しましょう。
    

 いいでしょう? みなさんも出てみませんか?

 世界に平和を!
 武力でなく、言葉の力で平和を!
 みなさん、どうかよい年をお迎えください。
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No.378 今日(26日)の結果 3

2024-12-29 00:36:38 | 
 今日は、肝要の清水氏宅を辞去してからの行程です。念のために地図を載せておきます。
   

(1)肝要から遡って、「No.371 金比羅尾根縦走 4」の(6)に載せた、切通しのところの「御大典記念」碑を見ました。改めて碑の表と裏を載せておきます。
 裏側を見ると、「大正4年11月」とありました。したがって、この「御大典」とは、昭和天皇ではなく、大正天皇の即位を表しています。これについて、前回の分の訂正をしておきました。
 ちなみに、この碑を建設したのは「大久保村 肝要/松尾/三ツ沢 青年」とあるのが見えます。
       表            裏
        

(2)ついで、さらに遡って、「白岩滝入口」を通過、三ツ沢の「改修記念」碑を見直しました。
 前回は道路から適当に撮ったまででしたが、今回は所有者のお宅に入らせていただきました。といっても不在でしたから、そっと草を踏み倒して写真を撮らせていただきました。なお、これに基づいて「No.371 金比羅尾根縦走 4」に載せた【解読文】の訂正をしました。
 なお、裏面は「寄付者芳名」です。     
      

(3)下って白岩滝に向かいました。バス停から白岩滝まで950mです。
 この写真は、帰りにここを通過したとき(16時頃)に撮ったものです。
       バス停            入り口   
       

(4)白岩滝:
 この写真よりも実際の方がさわやかです。  
     

 右の道を上がって沢沿いに進みます。このあともこのような滝がしばらく続きます。
     1.                    2.ルートが見えます
      

(5)林道に出ました。正面のガードレールの右脇を直進するのが「やさしい道」、林道に沿って左方向へ200mくらい行ってから登るのが「険しい道」です。私は、当然?左へ行きました。
     

(6)入り口:
 仕事をしている人がいました。「どこから来たのか」と聴いてきたので、「青梅の方からトンネルの上を越えてきた」と話すと、「あそこを伐採したのは自分たちだ」といい、この先の情報をくれました。
 このコースは難路ですが、とくにキケンということはありません。いくつか岩場を越えるので、それなりに脚力が要るコースですが、いきなりハシゴと大岩が現れますから、じきに覚悟ができます。
     

(7)ずっと急登で、いくつかの岩を越えて、正面の向こうからたどり着きました。
 左後ろが麻生山、右方向が金比羅尾根(五日市方向)です。
 実は、[No.373」の(4)で書いた「女5人男一人のグループ」と出会ったのはここのすぐ後ろです。
    

(8)麻生山:14時前に到着。向こうに、越えてきた肝要峠のある伐採地が見えます。

    

(9)このあとは、もう遅くなったので日の出山には上がらず、12月3日の転倒事故の下を通過して旧道を降りてつるつる温泉の付近、三ツ沢に出ました。
 その前に、林道に降りたとき、アリバイを作りました。これも「自撮り」ですね。
    

(10)歌碑:
 このあとは、もうバスは行ってしまいましたから、肝要まで歩いて、梅ケ谷〔うめがた〕トンネルを潜って、青梅の稲荷神社バス停に行き返りましたが、その前に、切通しのところで、旧道の方に回ってみました。すると、歌碑がありました。
1.
      
  
 一応の読みです。3句あります。順に:
  山之雨 彼方の葛の 葉を鳴らす
  鯉は口 鳴らして秋の 陽を呑める
  鳶に陽を 残して翳る 枯れ野かな
    詠 松澤美聲 落款  
    書 杉山夢泉 落款
2.
   

 これはまだ自信がありません。とりあえずの読みです。1首:
  阿じさいこむらさよ ふかめ暁の 庭辺さやかに 霧共に雨降る
     詠 松澤美聲 落款  
     書 杉山夢泉 落款

 今日はここまでにしましょう。

    16時頃の西の空
   
 
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No.377 今日(26日)の結果 2

2024-12-28 03:30:24 | 調査
(1)昨日、私が越えた尾根は「肝要峠」という名前でした。トンネルはこの真下を通っています。「肝要峠」の真下を通るトンネルだから、「肝要トンネル」というのかと思いきや、「梅ヶ谷〔うめがた〕トンネル」でした。本来の「梅ケ谷」峠は右下の方のはずです。紛らわしいですね。
 もういちど写真を載せておきましょう。
 1.肝要峠は、尾根の少し陰のある付近。
   
 私は手前の尾根を降りましたが、降りた尾根の右に、本来の道が九十九折になってあるそうです。確かに、次の写真を見るとそうも見えます。
 
 2.上に行く左の道と、下へ下る右の道がありました。しかし、標識が倒れていましたから、下る方を選んでしまいました。こちらは山仕事でできた道だったようです。
  

(2)肝要に下りると折よく通る人がいて、「報徳会館」の場所を聴くことができました。
  
 
 報徳会館の道を挟んだ向かいは慶福寺です。
  

 しかし、報徳会館は鍵がかかっていて不在でした。立派な建物です。
 実は、この間毎日10回くらい電話をかけましたがまったく通じませんでした。ですから、特定の日にだけ開館するのだろうと思っていましたから、ある意味では予想通りでした。
 そこで、慶福寺の近くで報徳会館の管理者のことを伺うと、「報徳会館」という名前ですが、建物は自治会の建物らしいこと、また管理者はその自治会の会長であることがすぐにわかりました。

(3)自治会の会長は清水氏といい、「梅ケ谷〔うめがた〕トンネル」脇のお宅でした。
 清水氏らは「伊奈石の会」という会を結成されていて、会誌も年1回発行されてきて、活発な活動をされていました。
1.頂戴した『第27号』
 このあと、ザックに入れて白岩滝や麻生山などを歩いたので、下半分が擦れてしまいました。申し訳ないことでした。しかし、幸い中は無事でした。
   
 
2.会誌は、会員の高齢化が進んだことが原因で、次の第28号で廃刊だそうです。
   
 
(4)清水氏に、三ツ沢の「改修記念」碑に「報徳部落」とあったこと、その後ネット検索をして肝要に「報徳会館」があることを知ったこと、『日の出町史』や手許の報徳関係の資料を見ても手掛かりが得られなかったことをお話しして、この地域の「報徳運動」について伺ったところ、残念なことに、すでに記憶すら残っていないらしいことがわかりました。

(5)清水氏は、ご親切にも上記の冊子「第27号」をくださり、あわせて、ほかの会員に照会して後日ご連絡をいただける旨を申し出てくださいました。
 帰りに家の前にある次の「道標」を紹介してくださいました。
1.正面 
 この道標は、下に載せますが、「大正13年1月25日」に後の昭和天皇の結婚を祝して建てられたものですが、注目すべきところがいくつかあります。
 一つは「右岩井停車場」とあるところです。今の武蔵五日市線にあたる路線ができて、そのころ石灰石の搬出駅だった「岩井駅」の名が記されています。岩井駅は昭和46年に廃止になりました。
 もう一つは、「左御嶽神社」とあるところです。上記「第27号」によると、現在の青梅線のもとになる青梅鉄道御嶽駅が昭和4年に開業して、同9年に御嶽登山鉄道が開業するまでは、肝要からの道が御嶽神社の表参道で、青梅からなら肝要峠を越えて来るとか、あるいは、当時の最寄り駅である岩井駅まで来てここから歩くのが、当時の採るべきルートでした。その記憶をこの碑が証言しています。
   

2.さらに、この道標の珍しいところは、下部にローマ字で道案内がついていることです。見えにくいですから、下に拡大して載せます。


 読めましたか?「THE」、「LEFT」、「RIGHT」、「SHRINE」、「ABOUT」、「STATION」、「KILOMETER」と英語が使われています。これは、日本語の地名を「ローマ字」表記したものではなく、本来の英単語で表記したものですから、「英字道標」といった方がよいかもしれません。
 こういう表記が必要と意識されるほどまでに外国人の参拝者や観光客が来ていたということですね。その意味では、現在の御岳神社の門下に並ぶ商店街のような楽しい雰囲気があったかもしれません。

3.そして、今回の調査で注目されるのは、右側面です。上に書いたように、建設日は「大正13年1月25日」で、建設者は「大久野青年会報徳支部」です。言い直すと、大久野に青年会があって、その中に「報徳支部」があったことを記しているわけです。
 これはまだ推測ですが、外国人の来訪者が来るような雰囲気の中で、その前に、近世に御嶽神社の参拝客が往来する中で、「報徳運動」を知る人がいて、あるいは入ってきて広まった・・・。御嶽神社参りの「人の動き」と五日市憲法や報徳がどうかかわるのか、興味が尽きないですね。
   

 わかったのはここまでです。なにかわかればまた書きます。心掛けていれば、なにかに気が付くでしょう。
 おっと、この日の結果はまだ続きます。しかし、今日はここで。

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