神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.194 落穂拾いをもういちど

2024-06-08 00:02:39 | あそび

    きょうの西の空

(1)結局、きょうは晴でした。どこにも出ず、引き籠って真面目に作業をやってました。ということは、世間知らず。そこで、城山の落穂ひろいの残りをもう一度拾うことにしました。

(2)さて、城山から降りると、一面にチョウが舞う「極楽のような畑」がありました。
 「エッ、極楽に行ったことがあるかって? よく聞いてくれました。それがあるんですよ。
  実は私の居場所の1階はエアコンの危機が悪く、夏は蒸し風呂、冬は霊安室・・・
  要するに1階は地獄。
  2階はそういうことはありませんし、マッサージチェアにでも座るとすぐに極楽です。
  でもね、地獄で居眠りしてても、極楽で夢の中にいても、すぐに追い返されてしまいます。
  日ごろのおこないが良くないせいでしょうか。
  おかげで、まだ浮世のしがらみの中にいます・・・。」

(3)オット! そうです。その極楽のような畑のところです。そこに次の看板がありました。 
   

 いや、立派。道に名前がついてました。
 ふつうは、「城山⇒」というような標識があればよい方です。
 たしかに、道も都会風に整備されていると思いました。

(4)でもね、城山は434mの低山ですけど、私が上った光厳寺脇からの道も、こちら側からの道も、短いとはいえ、けっこうな急登です。まあ、山ですからね、これが普通です。
 しかし、どちらかというと、私のお勧めは光厳寺脇からの道です。
 どうして?
 まあ、登ってみればわかります。

(5)ところで、降りてからです。
 結局、天女には逢えませんでしたが、歩けば、棒ならぬキレイどころに巡り逢えるものです。
 しかし、名前を知りません。見た目を楽しんでください。
   

(6)それから、アジサイかと思いながら撮ったのですけど、違う?ようです。 
  

(7)それから、ナデシコです。
 ナデシコを見ると、このブログの29回(去年の12月24日)のところで紹介した「水ノ沢山」への帰りに見たナデシコを思い出します。
 あの時は、脇の草むらの中から少し道の方に首を傾けて、すっと立っていました。
   

(8)それから、赤い花です。
 「花には明日がある」と書いたのを読んだことがあります。
 しかし、読んだ時から、「花だけではない」と違和感がありました。
 「個」である自分と「花一般」を対比して感傷的にいうのは論理的に不都合。
 同じ理屈なら、「人にも明日がある」です。
 オット、だいぶ遠回りしましたが、言いたいのは、「人の感性は変わる」ということです。
 ガルシンの『赤い花』読んでも、むかしと感じるものが違います。 

   

(9)それから、沢戸橋です。こんなところで写真を撮る人もないでしょう。
 天女が現われなくてがっかりしていましたが、見上げると爽快でした。
 左の山は「金毘羅尾根」の続きでしょうか。だいぶ前に日の出山から歩きました。
 ここは旧道で、通る車も少なく静かでした。橋から秋川を覗くと、編笠をかぶってアユ釣りをする人と、その近くで甲羅干しで寝そべる人が見えました。
 対照的で面白かったのですが、写真を撮るのは「ある理由で」やめました。
   

(10)最後に。
 街中に入ってしばらくすると、マンホールが見えました。
 鮎のような魚がくっきりと描かれています。
 「いいデザインだなァ」とみていると、車が来て「ピッ!」と追い立ました。
 慌てて除けて、戻ってから撮ってよく見ると右下に・・・。
    

  では。


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