神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.64 山梨あるき

2024-01-29 23:15:45 | 余録
 
    雪の太良峠方面:旧相川御料地 
            (*室内から撮ったので窓枠が写っています)

 私は20年ほど前から2020年のコロナ蔓延の前まで、山梨のいくつかの大学でも財政学や教養講座を担当していました。
 その時に、授業が午前ならば、終ってから夕方までを、午後ならば、授業の1時間前までに控室に着けるように計画を立てて、山梨とくに甲府盆地を自分で動いてみることにしました。

 甲府は盆地ですから、東京から向かう場合、勝沼や塩山で降りてミニサイクルで移動すれば、労力はかなり少なくて済みます。
 授業が午後の場合は、「位置のエネルギー」を活用して神足の足跡を中心に神社仏閣などもずいぶん廻りました。

 私がそのことをある先生に教えたところ、なんと電動式のミニサイクルを見つけてきて、しかも持ち運びに便利なキャスター付きのものでした。そして、いわく「これだと坂道の登りもラクに登れます」と・・・。
 ちなみに、私のミニサイクルは5000円の中国製。某先生の電動式は10万円余、それを「安く手に入った」とのたまった。

 
  勝沼から塩ノ山方面 その向こうに帯那山

 一方、授業が午前の場合には、夕方までに降りられるところを選んで歩きました。太良峠もそうやって上がったのでしたが、ほかに、黒駒や御坂の方へは弁当持参でバスで上ってやや遅い昼食を取りながら、地図と山の地形を照合したりと、ずいぶん楽しみました。
 前に紹介した上芦川・鶯宿・古関・右左口へ神足が入る際の明治17年10月20日に上黒駒で宿泊していますが、その時に泊まった家も確認することができました。

 
   右下が御坂峠 中央が黒駒 左上にインタチェンジ
    *この付近もずいぶん見ました。古墳の上にある神社とか・・・。
 
 もちろん、授業に影響が出るような行動計画は立てられませんから、時間がかかるところはそれなりの時間をかけます。
 でも、それなのにその方がうまくいかないことがあるものです。

 ある時、山越えの某地へ行く計画を立て、朝5時のバスに乗るために前日に甲府に入って早く寝ました。
 普段はどちらかというと夜型人間なので、早く寝るのは苦手です。うまく寝付けるように、ちょっと一杯飲んで、9時頃寝たかとおもったら、電話音がしました。なにかと思って取ると、いきなり
 「・・・おい✕✕、起きてるか・・・」
 間違い電話とわかったので、「どこへかけたんだ」といってガチャンと切り、時計を見ると1時でした。

 どうも、グループで宿泊している連中が、いたずらで別の部屋の友人にかけたようでしたが、ともかく寝ないわけにはいかないので、寝ようとしていると、またかかってきました。
 今度は「バカモノ」とひとこと言って、思い切りガチャンと切りました。

 その後は、もうかかってきませんでしたが、ついに眠れなくなってしまい、結局、計画を甲府から富士山駅までのバス旅行に切り替え、あとは大月に出て帰りました。

 ところが、話はこれで終わりではありませんでした。
 乗ったバスの乗客は最初二人。一人は私、もう一人は勤め人風の女性。途中高校生や、勤め人が一人二人と乗っては降りていきました。結局、多いときでも5人。その乗客は明らかに皆日本人でした。
 ところが、甲府の町中から、峠越えの山の中のバス停を通過して、富士山駅に着くまで、30近くあったバス停名を、アナウンスは律儀に日本語・英語・中国語と3か国語で流されました。
 最初は面白く聞いていましたが、だんだんとばかばかしくなり、最後はうるさいばかりに思えてきて、つまらない計画を立てた自分に腹が立ってきてしまいました。
 しかも、電車の中では高校生が化粧直しをして、もう唖然。
 
 良い時ばかりではありませんが、『神足勝記日記』の編纂作業や神足を追っての旅はいろいろなことを教えてくれました。
 皆さんにも、ぜひお読みいただきたいと思います。

 かくありて 旅路の恥はやまなし

 


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