神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.302 沖六鵬

2024-10-13 22:33:20 | 近況
(1)きょう、昭島市では、瑞雲中学校の校庭で、市独自の総合防災訓練がありました。
 内容は、震度7の揺れの体験、ジャッキの練習、AEDの訓練、放水訓練、ほかに、防災用品の配布・使用法の研修、防災用非常食見学・試食、ボランティヤ活動参加の手続きの手順などと、けっこう内容豊富でした。
 能登の地震・災害など、このごろは災害が頻繁かつ深刻化していますから、ときどきは必要なものですね。結構楽しく、あっという間に終わりました。
 よほど楽しんでいるように見えたのでしょう。気が付いたらカメラがぐっと近づいてきて、インタビューまでされました。どこで使われるのか、ちょっと気掛かりです・・・。

(2)ところで、放水訓練の時、放水目標の看板を見ていると、それが実に墨痕鮮やかな「火」という文字でした。それで、ひょんなことに「三人の母」というテレビ番組を思い出しました。
 「三人の母」というのは、昭和初期の書道界に沖六鵬〔おき りくほう〕という人がいて、この人が『三人の母』というタイトルの自伝を書きました。
 沖六鵬の本名は沖和一と言いましたが、和一は生みの母、育ての母、継母と三人の母がいるという複雑な環境の中で書家として成長して名を残しました。それを、TBSが朝のドラマに仕立てて「ポーラ・テレビ小説」という番組で1969年9月30日から流しました。詳しいことは検索してみてください。
 1969年といえば、前にも書きましたが、大学紛争のために志望校の受験が中止となり、私は浪人中で、1浪して来年は入試があるのかないのかと不安な中で過ごしていた時期でした。ですから、和一に何かの共感をもって見ていたと思いますが、もう半世紀以上前のことで、内容などよく思い出せませんが、それなのに「三人の母」というタイトルが、きょうの防災訓練中に、浮かんできたというわけです。不思議です。

(3)『三人の母』という作品ですが、30歳代になってからと思いますが、偶然、立川の?デパートでの古書市で見つけました。2冊くらいあったと思いますが、そのうちの1冊を買ってすぐに読み、それから時々拾い読みをしながら、20年くらい持っていました。
 50歳代の頃、ある予備校に教えに行くと、若い男の職員がいました。話していると、静岡の出身の人で、書家を目指していることがわかりました。それで、静岡で書家といえば沖六鵬という人がいるというと、驚いた顔をして、沖六鵬を当然知っているけど、『三人の母』は読んでないというので、それではと、その次の出勤日に持参して贈呈しました。
 その際、「いつか屏風に仕立てる作品を書いてくれること」と注文しておきました。元気ならば、もう50代位になっているはずですから、さぞ活躍していることでしょう。どんな書を書く人になっているか・・・。

   
    シジミチョウ

 久しぶりに人のいる処へ出たので、疲労が抜けません。きょうはここまでにします。

 【落穂拾い】
1.
   
     だ~れ?
2.
   ()
    てんとう虫
3.
   
    オオチャバネセセリ
4.
   
     公園の蔓の花
5.
   
     きょうの夜半の月

 ではね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« No.301 運動が人を掴んだ! | トップ | No.303 遊び惚けて… »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

近況」カテゴリの最新記事