NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

マスメディアにおける社会正義の実現。

2017-09-12 | コラム
テレビやマスメディアは
総務省や政府が指導する公益事業である必要がある。

したがって
個人情報保護法や人権問題
あるいは政治的な公平に抵触する報道を続けるならば
その報道の違法性を指摘し
指導せねばなるまい。

ビートたけし氏の
フライデー乱入事件の発端は
芸能人の個人情報保護に違反した
出版社の非倫理的な行状に起因する。

また
昨今の芸能人や政治家の
不貞、不倫事案に係る報道も
明らかに個人情報保護法違反の事案である。

私見では
公序良俗に反し
公益を毀損する報道の自由は
制限すべきである。

私は
近代の自由主義なる文言に
賛同したことはない。

積極的な意味でも
からの自由という消極的な自由主義も
政治的なリベラルという意味でも
自由主義には何らの魅力も感じない。

フランス革命のスローガンは
あくまでも宗教的価値を破壊せんとした
政治的なものであり
それ自身に価値はない。


報道の自由の名のもとに
どれだけの人権が蹂躙され
不正と悪が野放しになってきたか。

放送法を改正し
テレビ、ラジオ、出版物、インターネット上のコンテンツを精査し
違法性を摘発せねばならぬ。

刑事的に罰し
判例を示さねばならぬ。



一般大衆は大岡越前を希求している。

ウルトラマン
仮面ライダー
スパイダーマンを
待望しているのである。


おわり

高橋記

NHK「デナリ大滑降」から見えた本物力。

2017-09-12 | コラム
先日のNHKの
「デナリ大滑降」は
すごいものでした。

むかしは
マッキンリーと呼ばれていた山に登山して
頂上から
スキーで滑り降りるという

一般人からすれば
考えられない冒険のドキュメントであり
驚嘆でありました。

そこから
演繹されたことは
本物の凄い力です。

イッテQやダッシュ村は
専門家でない
畑違いの芸能人の皆様に
冒険や農業などをしてもらうという企画ですが
やはり本物を見てしまうと
色褪せてしまいます。


餅は餅屋
冒険は冒険家
芸能は芸能人
ボランティアはボランティアが
専門であります。

おわり

高橋記(専門:トイレ清掃)

テレビ業界の皆様と一般大衆の思いに齟齬がある件。

2017-09-11 | コラム
日本テレビの
24時間テレビで
芸能人の人々に
マラソンや大工仕事などをして頂いたり

プレバト等で
芸能人の皆様に
畑違いの
俳句や生け花、料理などで
優劣をつけるといったことは

面白くないです。


なぜなら
餅屋は餅屋であり
マラソンは宗兄弟か瀬古利彦氏であり
俳句や生け花や料理に
優劣はないからです。

大工仕事は
大工さんの一日をドキュメントしたほうが良いです。


芸能人のみなさまには
感動的な脚本に準拠した
ドラマや舞台や映画に出演して頂きたい。

お笑いの皆様には
お笑いを

音楽家のみなさまには
音楽を真面目に提供して頂きたい。

アナウンサーは
NHKの加賀美さんのように
真面目にアナウンスして頂きたい。

お笑い芸人の真似をしたり
つまらない掛け合いなどは
要りません。


そろそろ
真面目にテレビ業界を改革せねば
インターネットに
呑み込まれてしまうような気がします。


おわり

高橋記(好きな番組:NHK大河ドラマ・小さな旅)

たけしと私  第3回

2017-09-11 | コラム
ビートたけし氏の27時間テレビは
久々に
フジテレビらしい良い番組でした。

昔の
俺たちひょうきん族の趣を
思い出すような感じが致しました。

正直に申しますと
私は
日本テレビの24時間テレビを
まともに観たことがありません。

24時間テレビの募金力は素晴らしく
その恩恵に与りたいと思っておりますが
観たいとは思いません。

何となれば
いまだ
解決されているとは思えない
同和問題や障害者差別や在日朝鮮人問題
その他
重大な差別問題などに
正面から向き合っていないからです。

現実とは
安易に感動ドラマになるような甘いものではなく
厳しく悲惨ですらあるのです。



その意味では
日本の歴史に興味を持つ契機になるであろう
フジテレビの27時間テレビは
挑戦的で共感が持てるものでした。


ときに
ビートたけし氏の顔は
ヨハネ・パウロ2世に似ています。

また
岡本太郎氏にも似ています。

その意味するところは
ビートたけし氏の器と役割が
それぐらい大きいことを表しています。


ビートたけし氏の誕生日は
1月18日の土曜日であり

土曜日生まれは
歴史的な偉人となる可能性を秘めています(ユダヤ予言。田中角栄・美空ひばり等)。

宿曜占術では
女宿であり
リーダーの星であります(源頼朝等)。


何れにしましても
今後の日本は
行き詰りをみせるので

ビートたけし氏が
偉大な役割を果たすことになるでしょう。


おわり

高橋記(方士)






白洲次郎著「プリンシプルのない日本」新潮社を読んで。

2017-09-08 | 書評
今日は
サンフランシスコ講和条約の調印が行われた日であり
聖母マリアの誕生日である。

この日は
第二次世界大戦が終結した日であり
日本が独立した日ともいえます。

なぜか
白洲次郎氏の本を読まねばならぬ時期が来たと思い
プリンシプルのない日本を
読むことにしました。


その中で
偶然にも
講和会議に随行して
というのがありました。

吉田茂総理に随行して
サンフランシスコ講和条約の締結を目の当たりにしたルポルタージュであり
リアリティーがありました。


「調印の時も、演説の時も、総理の態度は本当に立派だった。その姿を見ながら、総理はやっぱり昔の人だなという感じが強かった。昔の人はわれわれと違って、出るべきところに出ると、堂々とした風格を出したものだ。総理が、自分のポケットからペンを出してサインしたのも、いかにも一徹な総理らしかった。」


また
新憲法制定の経過も
白洲氏が
最も政策実行者の近くで見聞し
関与していたことが分かる。


「連合国側は、日本側からはとうてい満足できる新憲法案が自主的に出てくるはずがないと予期していたのか、それとも始めからの計画であったか知るよしもないが、日本政府から提出された松本試案などは問題にならないとボツにされ、英文で書かれていた「新憲法」の案文なるものを手渡された。」

「原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である」



何れにしましても
戦前から
日本の開戦と敗戦を予言し
これからの日本の進むべき道を示唆する
白洲次郎氏と

彼が仕えた
吉田茂総理の歩みを振り返る

最適な時期が来ているように思う。



おわり

高橋記(愛読書:五木寛之著:風の王国)