宗恒の茶庭

「茶道 思いつくまま」や「和の美術」など

宇治茶 @ブラタモリ

2018-05-06 13:05:48 | 茶道

土曜日は「ブラタモリ」を楽しみに見ています
5/5は宇治市をまわり、「宇治がなぜ茶所になったか?」をひも解く番組でした。

例によって宇治市の地形から入り、宇治川と今では暗渠になってしまった見えない川との間に扇状地が出来、また丘陵地もある地形。

もともとこの地は平安時代末期には藤原氏が統治していて、藤原氏や貴族の屋敷があったそうです。しかし藤原氏が滅びて鎌倉時代になるとそれらの屋敷も亡くなり茶畑になったのです。

折りしも中国からもたらされた茶を飲む習慣が貴族、武士や僧侶の間でひろまり、茶の需要が増えたので、茶畑になったのでしょう。そして水はけのよい扇状地が茶の栽培に適していたのです。

扇状地の茶は濃い味わいで、丘陵地の茶は香りが良いそうです。

そこで【茶師】という人が出てきて、「濃い味わいのお茶を」とか「香り高いお茶を」など注文主の要求に応じて茶葉をブレンドするのです。この【茶師】特権階級で帯刀が許されたほどです。

現在でも茶をブレンドしているようです。ですから家元お好みの茶を茶園がブレンドして銘が付くのですね。

【茶師】の名残りが今の茶席三役の一人である【詰】にあたるのでしょう。
また、濃茶席で「お茶名は?」「お詰めは?」と尋ねるのも、こういう理由ということが分かりました。

抹茶を作る工場では何台もの茶葉を挽く石臼機械が動いていました。機械でも一時間に挽くことができる抹茶の量はたった30g。
茶事では懐石の間に裏で茶を石臼を手で回して抹茶にと、言われますが実際に手でするのには相当力が要るし時間がかかることでしょう。


超上等な抹茶は30gで5400円もするとのこと、納得です。抹茶は大変な工程で作られるので大切に無駄なく使わねば罰が当たると改めて思いました。
コメント
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