早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

宋斤の俳句「早春」昭和六年十月 第十一巻四号  子規忌三十回忌 

2021-06-29 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく

宋斤の俳句「早春」昭和六年十月 第十一巻四号  子規忌三十回忌

名所東光院の萩が咲染めると、俳句の秋のお祭り子規忌が来る。本年は子規逝って三十年の秋である。
年毎に盛大に充實に子規忌を営み来ている早春社は、また盛大に萩の寺に於いて修し得たのであった。
晴れまさる九月十三日 東光院の大広間に會するもの百十余名、さらに早春社物故社友の遺族の方々を加へたる参集は、將に堂裡に溢るゝ盛況であった。

さわやかにせきれい飛べる田水哉

朝みちにこぼれてさやか貝割菜

白雲の厄日昨日の萩の丈



  秋の七草 同人吟
古堀の芒の水を覗きけり

なでしこの花のきざみに朝心


  十六夜の石山  
    屋形船で瀬田川の流れに船を出した
句座立って艪をあやつるや月見船

月の洲の鷺を追ひたる舳かな

十六夜比叡山夜のかたちして

天井に小さき蛾の来て月見船

船屋形出でて月に立ちもたれけり

月の森かすかな燈もらしけり

瀬田蜆冷えたるを啜り月見船

月見船遠くしばぶきしたりけり

低唱し過ぐ面かげや月の舟

   <句作小話  宋斤>
行水を背中にかける龍の口 失名
  といふ句があった、ちと謀りかねるようだが その行水の主は、背中にくりからもんもんの刺青が龍の口といえば成る程とわかるであろう。
黒ひとつ持あぐむ夏の夜更哉 失名
  黒は碁石であろう
あちこちと黒き頭や夏の川 失名
  これは泳ぐ頭であろうとわかる。
但し、この解らせ方は、俳句の正道ではない、落語の考へ下げのような、なぞかけ言葉のような、この作りうまさは、俳句では禁句である。
俳句はもっと拙くとも、この両句では、水と刺青とを、碁石を、泳ぐといふことを正直に云い切って表現してゐなくてはならぬものである。
即ち文学言葉の作り上手をすてゝ、その詩的感謝と内容そのものへ行きぬけるのである。 宋斤

宋斤の俳句「早春」昭和六年十月 第十二巻四号 近詠

2021-06-29 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和六年十月 第十二巻四号 近詠

   近詠
いにしへの寺を字名に草の花

わらんべの野分を往くや牛のかげ

夕辻に蟲聴く草の一所かな

枝ざくろそれも押し添え秋の花

  眼病
朝のほど視力うれしき野菊かな

秋の水に金魚二つが戀をする

我廂いと低けれど月を待つ

机いつものところ芭蕉に月の透く

秋の夜の女のかいな薄着かな

故郷の秋いふて按摩が空眼かな

ラジオから後の夜更や秋の雨

稲妻や満洲頓に兵火の地

   青燕君へ
ハルピンに一人知るあり雁わたし

大阪が生みし西鶴はた山陽忌

大龍寺の松宗寺の拓本得たる子規忌哉

亡き友や子規忌に因み伴修す

親の日が彼岸の入や庭の秋

ふところに勝留め海贏と柿とかな

干し竿に秋は日の雨鳩とまる