Soopllofeiv の日常

管理人soop視点の奇妙な現状

アブラの小路十条

2019-10-18 20:15:45 | Weblog



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コロぺた号

2019-10-18 19:41:14 | Weblog
埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町出身
不動産業を営む裕福な家庭に生まれ、
鳩ヶ谷市の東鳩ヶ谷団地のそばでくらしていた

地元の美容専門学校に通っており学生時代は佐藤薫の追っかけだった
当時購読していた青林堂発行の漫画雑誌『ガロ』を通して根本敬、丸尾末広、花輪和一、諸星大二郎などの作家に傾倒特に山野一の作品集『夢の島で逢いましょうに感銘を受ける。
知人の知人を通して山野と接触し押しかけ女房のような形で
18歳の時に山野と結婚する結婚後は山野のセミアシスタントとして
ベタ塗りなどの単純作業を手伝うが、漫画家になるつもりはなかった

言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった奇妙な魅力を感じ、その絵をモチーフにした原作を山野が作り、絵を描いて一本の漫画を創作するなお、夫妻とも漫画家としての訓練は一切受けておらず、絵に関しては完全に独学であるという




# 作家さんと僕

この作家さんはまえからキャラクターは知っていたけど作品は触っていませんでした
でもなぜか僕は1990年代のガロをヤフオクで数冊もおとして読んでいるうちに作家さんの
作風にふれずいぶん愉しみましたガロではないけども、作家さんとダンナがインドを旅する
単行本は愛読書でした




1998年4月、原稿依頼をした女性編集者に電話で2時間に渡り「自分はもう好きなものしか描きたくない。お金になるとかじゃなく描きたいものだけを描いていきたい」「仕事依頼が殺到して自分の方向性や資質と違うことばかりやらされていて本当につらい。いきなり仕事量が増えて体力が消耗しきっているので、もうこれ以上何も考えられないし、何もできない」と現状の不満を打ち明ける。翌5月5日には白泉社の担当編集者に「漫画を描くのは疲れた。もう漫画家をやめて旦那と一緒に発展途上国に行って暮らしたい」と電話口で漏らしていた

$ 人物

容姿・性格

ダンナの山野は彼女の人物像について「身長153センチ、体重37キロ、童顔…。18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…」「生前彼女は、かなりエキセントリックな個性の持ち主でした。気が強い半面極めてナイーブで、私の他にはごく限られた“波長”の合う友人にしか心を開くことはありませんでした。“波長”の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には精神的にも肉体的にも、かなりダメージを受けていたようです。彼女程でないにしろ、私にも同じような傾向があり、二人ともノーマルな社会人としては全く不適格でした」とのべている

嫌いなものは嫌い


交友のあった吉永嘉明によると基本的に殆どの人間や対象にまるで関心がなく、それらに対する口癖も「つまんない」「嫌い」「相性が悪い」「興味がない」「関心がない」「波長が合わない」など嘘がつけない体質だけに極めてストレートなものだったという根本敬は彼女について「他人の正体や物の本質をパッと見抜けてしまう人。またそれを素直に口にしてしまう正直者」と評している
一方で興味のある対象には非常に積極的であり、とくに“波長”の合う人物には熱狂的な好意を抱いた。また好意を抱いた人物には「追っかけ」とも言える行動に出ることもあり、夫・山野と結婚した経緯も山野の住むアパートにまで押し掛けて、そのまま上がり込んでしまったからだという吉永いわく山野は「お母さん」のような存在でもあり彼女の自殺についても「あそこまで生きたのも山野さんがいたからだとも思う」と語っている
山野との関係性について1998年当時『月刊漫画ガロ』の編集長を務めていた長戸雅之も「仲が良く、波長が合っている二人」「お互いに心を許せるパートナーと思いました」と語っており、雨の日に喫茶店で待ち合わせした時も、夫妻は相合い傘をしてやってきて、帰りも一つの傘で一緒に帰って行ったと回想している・・


自閉的な性格


吉永嘉明の証言によれば、鬱病で精神科に通院しており、出会った頃には既に自閉的な性格が完全に確立していたという吉永は彼女の自閉について「精神的に孤立して自分の内面にこもる傾向が育まれたのかもしれない」と推察している
また『月刊漫画ガロ』の担当編集者であった元青林堂・現青林工藝舎の高市真紀の証言でも、殆ど外出せず、喫茶店も嫌いで、お世辞や社交辞令にも敏感に反応してしまい、世間との付き合いは苦手だったというその一方で高市の姉で漫画家の山田花子が1992年に投身自殺した時には、高市が山田の後追いをするのでないかと心配して「何でも相談するんだよ」と親身に話を聞いてくれたと述べているまた「心を見抜かれそう」と緊張していた高市に対して「大丈夫、緊張しないで」と声をかける一面もあったという

乏しい食欲

食欲が存在しなかったようで、彼女について吉永嘉明は「最期のほうは生きる欲望も薄れていった」とも述べているまた肉や魚に関しても「血の味がするから」と全く食べず
友人の巽早紀(元ペヨトル工房編集者。吉永嘉明の妻。2003年に縊死)が勧めたアボカドも一口食べて勢いよく吐き出したという
これに関して生前ねこぢるは「トンカツって豚の死体だよね」という感想を夫の山野に述べており漫画の中でも豚は下等生物として罵られ殺され食べられる
家畜程度の存在にしか描かれていない


強い責任感


『テレビブロス』編集者の小田倉智は自殺する直前に
過労で入院していたことを明かしている
また彼女について担当編集者らは「原稿の締め切りをキッチリと守る人だった。月に数十本の原稿を抱えながら、締め切りを守るのは至難の業、それをやり遂げるムチャクチャ責任感のある人」「自分の漫画を読んでいる有名人をそれとなくチェックして帯の推薦文の人選を考えたり、10代の子が自分の本をおこづかいで買えるように、価格を下げるように交渉したり、単行本を作る過程でいろいろ知恵を絞っていた」と証言しているこの特集を企画した編集者はこれらの証言を踏まえて「『自分の人気は一時的なもので、すぐ売れなくなる』と、自分の人気に甘んじない冷静さがあったので、彼女は来る仕事を拒まず、なおさら人気漫画家となったのでは」と推察していた


不規則な生活

売れっ子になる前から3日間起き続け、その後丸1日寝るという体内時計(サーカディアン・リズム)に逆らった不規則な生活を送っていたの様子は自殺の二日前に描いた遺稿『ガラス窓』でも見ることが出来る


                               wikipediaより抜粋
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メメントモリ

2019-10-18 19:17:34 | Weblog
なんとか14歳まで生活できた
新しい学校に行くことになった
でも、新しい学校は前の学校より酷かった・・
教室で、みんなで授業をうけていると
椅子から引きずり出され
髪の毛をむしられ足蹴りされた

私はしゃべらない

散々暴力を先生とクラスメートが見てる前で
行われているのに誰もなにも言わないから・・

コーヒー牛乳のパックの底を切り抜きペニスをいれ
それを無理やり触らせた
学級の廊下で

私は家がない
でも住むところはあるよ
養育院という
親が子供を育てたく無いから預ける施設

私は意味なんかない
でも歩いている
逃げているという意味
その姿を誰かがみつけてくれて
私の生きる意味を見つけてくれて
今の私から解放される

彼女は家庭の事情があって、福祉施設で保護され乍ら中学に通っている女子
彼女には放浪癖があって時々学校にこない時があった
彼女の行動範囲は僕らの想像をこえていて他府県にまで及ぶこともあった
彼女を含む福祉施設出身の学生はほぼ全員
当時の全学年の不良グループのイジメの対象となっており
彼女も激しいイジメをうけていた

少女の学年の不良グループ達は学年があがるとき
何故か不思議なことに不良行為をすることが格好悪いと思い出していた・・
そしてあれだけボロボロになるまで切り裂いていた彼女を
空気のように黙殺する

彼女は意味が解らなかった
僕にも理解できなかった
彼女は自分で自分の進む道を指し示す真似ができるまで回復した

彼女は学校の美術部にはいる
先生と彼女しかイナイ部活
なにをしていたか僕はしらない・・・

そして進学時期がたち
彼女は難関の美術系の高校に入試し合格シタ

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少女は目の下にすごいクマができて
目つきは鋭かったがけっして睨んではいなかった
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