長い迷いの末、閉店を決断して、いよいよ今夜が最後となる。
夫が他界して9年、子供たちも成長して、夜ボケーとテレビを見る日々に
喝をいれるため、将来の自分の場所を作っておくため、はたまた、会社勤めの
ストレス発散のため..中州に小さな店を持ったのは2006年8月のこと。
最初のころ、お客さまや、隣近所のママさんたちからよく言われた言葉は
「あなた、勇気ありますね」「怖いもの知らずやね」
「はあ...]と,ワタシ。
そのときはもう後戻りできなくて、どうにかなるだろう、何とかなるさ...
そんな気持ちで前に進んでいった。
会社関係には一切頼らなかった。
自分で切り開いていきたかった。
そうして、一握りの友人知人から、水面の輪が広がるように、少しづつ少しづつ
「花梨」の木が育ち始めた。
たくさんの出会いがありました。大きく勇気を奮って家から一歩でてみたら
新しい世界が広がり、新しい勉強をいっぱいしました。
健康不安により、やむ得ず閉店することになったけど、少しの悔いも無い。
花梨の木に大きな黄色の実をつけることはできなかったけど、小さなうす桃の
花は咲いたような気がする。
くじけそうなとき、いつも、私の肩を押してくれた長男に感謝したい。
わたしをドン.キホーテ、自分はサンチョ.パンサと言った。
見果てぬ夢を追いかけた母を見守ってくれたキミに、ありがとう。
我侭を容認してくれた、会社の社長に感謝。
応援してくれた友人、知人のみなさん、有難うございました。
「花梨」を隠れ家、といって、ご贔屓くださったお客様、心からの感謝を捧げます。
夫が他界して9年、子供たちも成長して、夜ボケーとテレビを見る日々に
喝をいれるため、将来の自分の場所を作っておくため、はたまた、会社勤めの
ストレス発散のため..中州に小さな店を持ったのは2006年8月のこと。
最初のころ、お客さまや、隣近所のママさんたちからよく言われた言葉は
「あなた、勇気ありますね」「怖いもの知らずやね」
「はあ...]と,ワタシ。
そのときはもう後戻りできなくて、どうにかなるだろう、何とかなるさ...
そんな気持ちで前に進んでいった。
会社関係には一切頼らなかった。
自分で切り開いていきたかった。
そうして、一握りの友人知人から、水面の輪が広がるように、少しづつ少しづつ
「花梨」の木が育ち始めた。
たくさんの出会いがありました。大きく勇気を奮って家から一歩でてみたら
新しい世界が広がり、新しい勉強をいっぱいしました。
健康不安により、やむ得ず閉店することになったけど、少しの悔いも無い。
花梨の木に大きな黄色の実をつけることはできなかったけど、小さなうす桃の
花は咲いたような気がする。
くじけそうなとき、いつも、私の肩を押してくれた長男に感謝したい。
わたしをドン.キホーテ、自分はサンチョ.パンサと言った。
見果てぬ夢を追いかけた母を見守ってくれたキミに、ありがとう。
我侭を容認してくれた、会社の社長に感謝。
応援してくれた友人、知人のみなさん、有難うございました。
「花梨」を隠れ家、といって、ご贔屓くださったお客様、心からの感謝を捧げます。