ヒルトップという名の茶屋を過ぎると、道は下り始めました。
午後も、快適なトレッキングを続けました。
そうそう、木曽に通じていた、昔の中仙道はこんな感じかもしれないな、と思いました。
道端にヤブヘビイチゴ「Potentilla indica」やサギゴケの仲間「Mazus surculosus」が咲いていました。
そんな道を歩いていると、木の高い場所から物音が聞こえてきました。
猿でも居るかと思い見上げると、地上10m程の幹の間に人の姿が見えました。
木に巻き付いた、ツタの葉のようなものを鉈で切り落としています。
多分、家畜の餌を集めているのでしょう。
急斜面の山肌を横切りながら道が続いていました。
尾根の端に見えるのがタウルンの集落です。
谷の反対側の斜面にも村が見えてきました。
その後ろに、モデイ・コーラ本谷がナヤプル方面へと向かって下っています。
今日の目的地のチョムロンまでもう少しです。
そんな時、渓谷の上に大きな鷹が姿を現しました。
谷の中へ一羽が姿を消すと、別の一羽が目の前に現れました。
初めは気付かなかったのですが、眼下の畑の中に動物の死骸らしきものが横たわっていました。
そしてその場所に、20羽以上の鷹が群れていました。
もう、4~50年前のことですが、テレビの「秘境ヒマラヤ」というドキュメンタリー番組で初めて、鳥葬を知りましたが、そんなことを想い出した光景でした。
あちらこちらの畑に麦が穂を付けていました。
イネは毎年同じ田で栽培できますが、ムギだと連作障害が出ますから、全ての畑が緑という訳にはいかないようです。
畑で、牛を使っての農作業が行われていました。
畑の横ではサラノキ(沙羅の木)が緑の葉を付け、他の木はすっかり丸裸となっていました。
裸の木は全ての葉が家畜の餌にされてしまったようです。
サラノキは仏教3大聖樹の一つでもあります。
お釈迦様が入滅された時、その場所の東西南北に2本ずつあったサラノキが、一斉に時ならぬ花を咲かせたそうです。
2本ずつあったことから「沙羅双樹」とも呼ばれますが、ヒマラヤでは、重要な家畜の餌として、命の連鎖を廻しているようです。
来し方を振り返えれば、歩き続けて来たトレイルが山腹に伸びて、谷の底にキュムヌ・コーラが白い筋となって光りました。
※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。
ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 1
ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 2