神田川に沿って自転車を進めて行くと、アジサイが可憐な彩で目を楽しませてくれます。
テレビやネットニュースを見ていると、コロナ対策やオリンピック対応に奔走する人々が、ああすべきだ、こうすべきだと語りますが、地球が回り続ける限り、初夏のころには、アジサイがしっとりした風情で花を咲かせます。
太平洋の片隅に浮かぶ、小さな島国で、数千年以上も前から続けてきた、四季折々の自然を見つめながら暮らすことの喜びを、これからも語り続けてゆきたいものです。
「かんだがわ」と記された掲示物を目にしました。
白い字が、少しくすんだ様子が、設置されてからの年月を物語ります。
そして実は、今は「神田川」と呼ぶこの辺りの流れを、昔は神田上水と呼んでいました。
1965年(昭和40年)に河川法が改正され、井の頭公園を源流として流れ続く神田上水、江戸川、神田川の3つをあわせて「神田川」と呼ぶことに決めたのです。
多分、「かんだがわ」と記された、この掲示物は、川の名称が変更された1965年頃に設置された可能性が高いと思います。
くすんで見える白い字が55年の時の流れを語り、更にトータルで100年経過した2065年頃に、この掲示物が無事に存続していれば、文化財としての価値を発揮し始めるかもしれません。
字が書かれた面が太陽を背にしているので、紫外線による劣化は少ない筈です。
平和な時代が続きさえすれば、これからの45年間など、あっとう間の年月でしょう。
そうあって欲しいものです。
川を覗くと、川底に小石が積み重なっていました。
両岸をコンクリートが固めていますが、川底は自然なままの状態に見えます。
川にイネ科の植物などが繁茂し、ネコヤナギなども枝を広げていました。
川に沿う道に背を向けた集合住宅の裏庭で、見事に育ったビワが鈴なりの実を付けていました。
隣にシュロの木が育ちますので、冬もそれほど寒くならないのかもしれません。
4~50年ほど前まで、シュロには南国のイメージが伴いましたが、それも今は昔の話となりました。
川の対岸に、三鷹台の駅が見えてきました。
三鷹台の駅に掛かる丸山橋の先で、神田川に沿って続く側道が途切れます。
迂回るす為、T字路を左へ進むと、立教女学院の正門が見えました。
その交差点を右へ曲がって300mほど進み、京王線の踏切を超えた辺りで、川沿いの道へ戻ることができました。
その場所で川を覗くと、神田川は川底をコンクリートで固められ、三鷹台駅を境にして、川の様子が様変わりしていました。
川は三鷹台駅の上流部より水深が深く、水草が漂う川に数多くの鯉の姿を認めました。
そして私は、この辺りの地図を眺めながら、あることに気づきました。
吉祥寺駅を出発した京王井の頭線が、渋谷を目指して南東方向へ線路を伸ばし、三鷹台駅を過ぎて、ほぼ直線状に久我山駅へ向かいます。
一方、神田川の流路は、京王線が真っすぐ進めるよう配慮するが如く、S字カーブを描きながら、北側から線路の下にもぐり、線路の南側で再び京王線と並走します。
この状況は、京王線のスムーズな運行の為に、神田川が流路を曲げたであろうことを推測させます。
そう考えれば両者の位置関係を矛盾なく理解することができます。
そして、神田川が三鷹台駅を過ぎた辺りで、自然な河川の状態からコンクリートで固められた人工運河のような光景に激変した理由が分かる気がします。
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