川が緩やかにカーブした辺りの緑地に、「川は」と記された彫刻が置かれています。
「神田川、川は、銅像」で検索すると志津雅美さんの1993年の作品であることが分かりました。
志津雅美さんは昭和23年に鹿児島に生まれ、武蔵野美術大学を中退後、1987(昭和62)年頃から1990年代初頭にかけて、杉並区の川沿いの緑道や公園などを飾る彫刻を作成しました。
志津雅美さんは屋外に置かれる彫刻を、道祖神やお地蔵さんのようなものと思って作ったそうです。
「川は」は、確かにそんな雰囲気を感じさせる作品です。
緑地の隅にゼニアオイが赤紫の花を咲かせていました。
江戸時代に日本に入り、今では帰化植物となっています。
ゼニアオイの花を乾燥させたハーブティーは美しいブルーですが、レモンを加えると直ぐにピンク色に染まるので、夜明けのハーブティーと呼ばれます。
以前にも記しましたが神田川に神田橋は3つあります。
そして二つ目の神田橋が、緑地を過ぎると現れました。
この橋は昭和47(1972)年に完成しています。
1965年にこの下の流れが神田上水から神田川と名をかえて間もない頃のことです。
以前紹介した三鷹台の神田橋と同じような状況だったと想像します。
この神田橋で、荒玉水道道路が神田川を渡ります。
荒玉水道道路とはちょっと変わった名前ですが、地下に荒玉水道が敷設された東京都道で、1934年(昭和9年)の竣工当初は歩行者専用道路でした。
荒玉水道は、関東大震災後に中野区や板橋区の人口が増加した為に、水道の需要が増え、大正14(1925)年から昭和6(1931)年にかけて、多摩川の水を、砧(現在の世田谷区)から送水する為に建設された地下水道管だそうです。
その地上部に後から設けられたのが荒玉水道道路で、地図で確認すると、道路は多摩川縁の砧浄水場から青梅街道の杉並区梅里1丁目まで、全長約9㎞がほぼ一直線です。
世界有数の大都会東京に、こんな直線道路が存在すること自体が奇跡です。
水道管は、杉並区梅里1丁目から更に中野区内を横切り、中野哲学堂公園近くの野方給水所を経て、板橋区の大谷口給水所に通じていました。
そうでしたか!
実は、中野哲学堂公園の近くに、奇妙な建造物があって、前からとても気になっていましたが、今やっと謎が解けました。
通称 水道タンク 2011年11月撮影
現在、荒玉水道道路は車両幅規制が1.7mで、全て不統一の一方通行です。
全貌を確認するには、自転車か徒歩以外に術はありません。
嗚呼! こんなことを知ってしまったら、やるしかないでしょ!
それにしても東京都内を貫く直線道路って、いったい、どんな景色を見せてくれるのでしょうか。
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