中野新橋を過ぎ、良く整備された側道を東へ向かいます。
この辺りの住所は中野区本町3丁目で、対岸は弥生町2丁目です。
現在の中野区本町1~5丁目と弥生町1~2丁目の、神田川を中心とする一帯が旧本郷村で、江戸時代には中野富士見町の堰から水を引く水田が広がっていました。
大正5年(1916)年ごろまで、小学生がこの辺りでホタルを狩り、歩いて皇居前広場まで行って、ホタルを放すのが恒例となっていたそうです。
昭和4(1929)年に中野新橋に遊郭ができて、昭和10(1935)年に新橋通りが青梅街道に繋がると、高級官吏などで賑わったそうです。
少し進んだ場所の里程標に、みなもと11.6㎞、すみだがわ13.6㎞と刻まれていました。
まだ工程の半分も消化していないようです。
そして桜橋の袂に出ました。
橋の上から下流の花見橋が見えていました。
花見橋の次が月見橋ですから、桜、花見、月見と風情のある名の橋が続きます。
側道に鉢植えの花が並んでいました。
まるで、フラワーガーデンへのプロムナードを進むような気分です。
発砲スチロールの箱にナスの苗が育ち、タチアオイが白い鉢に赤い花を咲かせています。
側道に面した住宅の窓をペチュニアとペンタスが彩ります。
植え込みの中でグミが赤い実を付け、その横に「なつかしいと思われる方、ご自由に食べてみて下さい」の一文が添えられていました。
この辺りに暮らす、心豊かな人々の微笑みが見えてきます。
ヤマアジサイやメドーセージが目を楽しませてくれました。
白や薄緑色のエレガントな花を飾ったアジサイが道行く人の心を癒します。
そんな神田川の岸辺を進んで、花見橋の袂に出ました。
花見橋から眺めた神田川の流れの先に、ツイン塔を伸ばす都庁を望みました。
コンクリートで固められた川の両岸にコンクリートのビルが建ち並びます。
しかし何故か、この景色は無機質な東京砂漠のイメージとは無縁です。
多分、空が青いこと、流れる水が澄んでいること、ビルの狭間に緑が見えることなどが、そう感じさせるのでしょう。
半世紀程前に、イタイタイ病や四日市喘息などに苦しめられた日本人が、地道な努力を積み重ねてきた成果が、この景色を作り上げたと思うのです。
東京に観光名所は多々ありますが、この場所から眺める都庁の、他に類を見ないアーバンな景色の価値が、ほとんど知られていないのが不思議です。
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