写真は淀橋の横断歩道からの新宿方面です。
三叉路の右が青梅街道で、左が東新宿へ向かう通称税務署通りです。
三叉路の角にマンションが建ち、その後ろにオフィスビルなどが見えています。
淀橋の辺りは、江戸時代に青梅街道を使って運ばれてきたソバを挽く有名な水車がありました。
ペリー来航をきっかけに、火薬製造に転用され、嘉永7(1854)年に爆発事故を起こし、江戸市民を驚かせた記録があります。
この逸話のように、淀橋は武蔵野の農村部から様々な農産物を江戸市内へと運ぶ物流拠点だったことが分かります。
淀橋から下流を眺めると、右岸から桜の木が川を覆っていました。
水は川床をサラサラと流れ、川底の所々に水草が緑を添えています。
神田川の左岸を進むと、コブシが緑の葉を茂らせていました。
そして、マスクを付けた女性ランナーとすれ違いました。
この道は「神田川四季の道」と名付けられているようです。
四季の道の案内図には、年間を通じて花を楽しめること、ジョギングを楽しめることが記されていました。
淀橋から150mほど進むと栄橋に出ました。
川床を見ると、水路幅が丁寧に調整されている様子が分かります。
両岸には、静かな都会の住宅が広がっています。
栄橋を渡って、右岸の新宿区の側道に入ると、こちら側は「水とみどりの散歩道」と名付けられていました。
その掲示物に、神田川に生息する魚の種類と水質基準が記されていました。
何と!アユの名があります。 神田川にもアユがいるようです。
興味を覚え「神田川 アユ」で検索すると、新宿区の「神田川生き物実態調査」で、毎年アユが捕獲されていることが分かりました。
更に驚くべきことに、平成27年にシロサケが確認されています。
夢のある話です。
世界屈指の大都会東京の川をアユやサケが遡上すれば、水俣や阿賀野川の公害で苦汁を飲んだ日本の、再生力の象徴となるはずです。
今は都議選の真っ最中ですが、そんな発想の候補者は居るのでしょうか。
「水とみどりの散歩道」に、サクラの緑が木陰を広げていました。
栄橋から右岸を200mほども進むと伏見橋に出ました。
伏見橋は、明治時代の後期、川の左岸の中野区中央1丁目辺りに皇族「伏見宮家」の広大な別邸(高歩院)があったことに因むそうです。
右岸の新宿区側には桜並木、左岸の中野区側にはコブシの並木が続いていました。
伏見橋から上流を振り返ると、西新宿の高層マンションが初夏の雲の中に聳えています。
川の流路が更に狭まり、川は傾斜を増したようです。
この川をサケが遡上する姿を見てみたいものです。
残りの人生、そんなことのお手伝いに費やすのも悪くはなさそうです。
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