みすぎ橋を過ぎて100メートルほど進むとみどり橋に出ました。
みすぎ橋は三鷹と杉並をつなぐ橋ですが、みどり橋は既に、両岸ともに杉並区です。
神田川はこの後、たつみ橋まで杉並区内を流れ下ります。
みどり橋から上流を眺めると、川の中に石垣で包まれた島が設けられ、その島に草が茂っていました。
これも水流調節が目的だろうと思います。川底の水路を狭くすれば、降雨時の初期流量変化をす早く把握できるメリットもありそうです。
各所に、水量変化を把握する為の様々な工夫が施されていました。
神田川の側道の入口の殆どは、人と自転車しか入れないよう鉄パイプのゲートが設けられていました。
更に数100メートル程下って宮下橋を過ぎると、川床中央の流水路が少し広くなった気がしました。
そして更に、宮下人道橋を過ぎると、川底に育つ草や灌木を除去する作業が行われていました。
川床に育つヤマグワなどの育ち具合を見ると、数年に一度ほどの頻度で作業が行わるようです。
灌木などを放置すれば、増水時に流木などが引っかかって流れを止め、水が溢れ出す原因となるかもしれません。
左岸に久我山ハイツが見えてきました。
川が三鷹市内を流れているとき、両岸は戸建て民家ばかりでしたが、高層住宅が姿を見せ始めました。
歩行者用の都橋の上から上流を振り返ると、S字状流路の幅が広がり、下流は側道に沿って集合住宅が軒を並べていました。
川が大きく右へカーブした先の久我山橋で、人見街道が神田川を渡ります。
人見街道は、府中にあった武蔵国の国府(府中市八幡)から杉並区の大宮八幡を結ぶ古い時代の街道で、江戸時代以前にあった「人見村」を通ることが名の由来とされます。
私は自宅から自転車で神代植物公園へ行く時にこの道を使いますが、道幅が狭いので、バスが来るたびに怖い思いをします。
人見街道を通ると、神田川に沿って続く側道は何処へ行くのかと、大いに興味をそそられていました。
いよいよ今日は、これから、その謎解きが始まります。
そうなんです、私は以前から、通り過ぎる道の脇に、何気ない佇まいの横道や路地があったりすると、気になって仕方ないのです。
全国各地のあちらこちらに、そんな横道が無数にありますので、私は今70歳ですが、後100年生きないと、この世に未練を残しそうです。
「憎まれっ子世にはばかる」と云いますから、後100年ぐらいは生き残れる権利はあるだろうと思います。
その場で川を覗くと、見事な緋鯉がゆうゆうと体を休めていました。
鯉の長寿記録は226年だそうですから、私も何とかあやかりたいものです。
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