橋に「正用下橋」の名札が付されていました。
「しょうようしもはし」と読み、「正用」はこの辺りの旧地名だそうです。
環八を過ぎて、神田川は見違えるほどに水量が増えました。
ついさっきまで、川は中央の狭い溝を流れましたが、今は川幅と同程度に広がっています。
黄色いヒドコートの花が側道を染めていました。
正式名をヒペリクム・ヒドコート(大輪キンシバイ)と云うヒドコートは、西洋キンシバイなどを掛け合わせた雑種で、キンシバイよりも花が大きく、花数が多いことから公園などに好んで植えられています。
この季節、キンシバイに似て、黄色い5弁の花を咲かせるのは殆どがヒドコートです。
そんなヒドコートに縁どられた道に自転車を進めました。
側道脇にデザインされたスペースは乙女橋緑地です。
スカシユリやユリの園芸種が緑地に華を添えています。
神田川は対岸の桜並木を川面に映し、川底に藻をなびかせながら、そろり流れます。
川岸の柵を覆うクチナシの、若葉の緑が心を和らげます。
側道の至る所に、散策のひと時を楽しむ為のベンチが設けられていました。
四季折々の花で飾られた川辺の道は、地域住民の憩いの場となっているようです。
木陰のベンチに座り、下流へ視線を移せば、乙女橋が目に入ります。
乙女橋からほど近い、鎌倉橋の横に設置された神田川流域案内に、乙女橋の名の由来が記されていました。
「乙女橋の左岸一帯は、江戸時代に将軍家が、徳川御三家の鷹場として定めた場所で『お留め場』と言われ、その中での農耕、建築などには厳しい規制が掛かり、この橋は自由に通行できない『お留橋』でした。
慶応3(1868)年に鷹狩り制度が廃止された後「おとめ」の音を当てはめて『乙女橋』と名づけられたそうです」
神田川流域案内に、以下のような、昭和初期の乙女橋周辺の写真が掲載されていました。
杉並区役所 神田川流域案内より
現在の乙女橋から下流を眺めると、右岸に戸建て住宅が並び、左岸の緑の中に高級マンションが隠されていました。
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自転車で神田川 index
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