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早く帰ってビールが飲みたい

2021-06-23 19:13:11 | 自転車で神田川

 方南通りが神田川を渡る栄橋に出ました。

 


  栄橋から下流を眺めると、右手に赤い電車が見えています。


 ここは東京メトロの検車場と工場を併せ持つ中野車両基地です。


 昔はこの場所に雑色たんぼが広がっていました。

 


 側道は橋のすぐ横から下り坂になっています。

 

 

 地下鉄の車両基地に沿って進むと、車両基地の北縁で、神田川と善福寺川が合流しています。


 下の写真は合流地点を、善福寺川の和田廣橋から眺めた写真です。


 右から流れ込むのが本流の神田川です。

 

 
 善福寺川は神田川の支流で、杉並区の善福寺池を源とする延長10.5㎞の一級河川です。


 善福寺川流域案内板に、杉並区は、善福寺川で多様な動植物が生息する水辺環境の再生・創出に取り組んでいると記されていました。

 


 この合流地点から500mほど先の富士見橋付近まで、左岸が杉並区、右岸は中野区です。


 善福寺川が合流した後、背丈を超える高さに護岸が築かれ、増水対策が施されていました。

 

 
 護岸にはペリカンなどのオブジェが飾られ、殺風景な景色を和ませています。

 


  和田見橋から下流を眺めると、川幅が少し広がった気がしますが、そんな気がするだけかもしれません。


 和田見橋の辺りは、昔は神田川が崖の裾に淵を作り、修行者が身を清めた場所だったそうです。


 村人が川岸の葦で草堰をかけて、本郷水田への水を取り入れていました。


 その本郷用水は、春から秋にかけて台地沿いに美しい小川を作っていたそうです。

 


 すぐに次の富士見橋に至りました。


 この橋の横に東京メトロ中野富士見町駅があります。


 この辺りは北の青梅街道、南の甲州街道からの交通が不便で、市街化が遅れましたが、新宿方面から方南通り、中野駅方面から中野通りが整備され、昭和36(1961)年に地下鉄が通ると急激に市街化が進みました。


 方南通りが渡る栄橋が昭和30(1955)年、神田橋が昭和35(1960)年、向田橋が昭和34(1959)年の竣工であることが、そのような時代背景を物語ります。


 富士見橋を過ぎると川岸から側道が消えました。
  

 

 一般道を進んで、その先の路地を左へ曲がった高砂橋の上から神田川を眺めると、両岸に建物が迫り、暫く川沿いを走れないことが分かりました。

 


  時間を確認すると14時30分でしたが、これから河口まで行って、自宅に戻ると18時を超えそうです。


 行先を告げずに家を出たので、今日は無理をせず、神田川下りの残半は明日へ廻すことにしました。


 中野通りを曲がって寿橋を確認しました。

 


  そして、そのまま中野通りを北上し、以前からチャンスを伺っていた、中野中央の柴田酒店に寄り、店内で醸造する地ビールを買い求めることにしました。


 と言うか、本音を言うと、それがしたくて、中野で切り上げたようなものです。


 そしてこれが、ビールを詰めた2リットルのスチール樽です。


 ビールサーバーから直接、樽にビールを注いでくれました。


 こんな風にビールを買うのは全く初めての経験です。

 

 

 今夜は、近所に住む長男に声を掛け、 孫の話題で月見酒です。

 

 え! ビールの味はどうだったか、ですって。


 それを聞くのは野暮と言うものです。

 

 

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