goo

神田川 環八のなかへ

2021-06-15 21:16:00 | 自転車で神田川

 川沿いに都営高井戸西一丁目アパートが並ぶ横を自転車で走り、やなぎ橋に出ました。
 

 

 神田川には2つの「柳橋」がありますが、この橋は「やなぎ橋」です。


 橋の上から、京王井の頭線の高井戸駅が見えてきました。


 あの駅の下を、東京都道311号の環状八号線が通り抜けます。


 環状八号線は環八と呼ばれ、東京の主要部を囲むようにはしる幹線道路ですが、環八の内側へ入ると、都心に近づいた感が強まります。

 

 


 やなぎ橋を過ぎ、その下流のあずま橋を気まぐれに渡ってみました。

 

 
 右岸を走ると、道の脇にホタルブクロが咲いていました。


 ホタルブクロは山野に育つ野草で、子供が袋状の花にホタルを入れて遊んだことが名の由来なので、ホタルが飛び交う場所が似合うイメージがあります。


 こんなところでホタルブクロを見るとは意外でしたが、誰か野草好きな方が植えたのかもしれません。

 


 神田川は環八と交差し、その下を潜り、都心部へと流れ下ります。


 環八はひっきりなしに車が行き交い、ガードレールが中央部を遮っていました。


 南へ100メートル程も離れた場所で信号機を渡りました。


 神田川に戻り、音に気づいて見上げた駅に、電車が到着しました。


 京王井の頭線の吉祥寺駅からこの辺りまで、川沿いをのんびり歩くのも悪くなさそうです。

 


 
 環八は佃橋で神田川を渡りますが、佃橋は橋よりは暗渠とでも云うべき代物でした。


 川を越える佃橋の上から神田川を眺めると、今まで以上に澄んだ水が、木漏れ陽の中にせせらぎます。

 

 

   
 前回のブログで紹介したように、神田川は環八付近で、玉川上水からの水を得ています。


 この辺りで水量を増した川は、川本来の姿を取り戻し、清涼感あふれる景色を見せていました。


 川沿いの花壇で、タチアオイが桃色の花を揺らし、その横で八重のタチアオイが存在感を示します。

 私はこの時、タチアオイに八重花があることを初めて知りました。
   

 

 

 そんな花壇に「神田川川辺の路散歩」と記された掲示物が置かれていました。


 この時は一瞥し、シャッターを押しただけで通り過ぎましたが、ブログを書くに当たって見直してみると、神田川沿いに旧石器時代から縄文時代にかけての塚山遺跡などが点在するようです。

 

 3万年ほど前から、神田川に水の恵みを求めた古代人が、この辺りに集落を作っていたようです。


 桜の花の咲くころ、もう一度この辺りを訪ねたら楽しいだろうなと思います。

 


 花壇に「花咲かせ隊 この花壇は高井戸橋フラワーメッツの皆さんが管理しています」と記されたフレートが添えられていました。

 

 

 高井戸橋が花に包まれ、スカシユリが初夏の到来を告げています。
 

 


 そんなエリアで、オブジェのような井戸を目にしました。

 


 高井戸の地名の由来は諸説あって、その一つが、旧村内の小高い場所のお堂の傍から水が湧き出ていて、高いところに出た井戸なので「高井戸」と呼ばれた、という説です。


 この井戸はその説を支持するのでしょうか、それともたまたま

 

 
 その先で、今日二つ目の里程標を見つけました。


 みなもとから4㎞と記されています。


 今日中に河口に辿り着くのは、ほぼほぼ無理だな、とこの時思いました。

 

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

多くの人々が支える川

2021-06-14 20:08:42 | 自転車で神田川

 月見橋の下流に架かる橋が高砂橋です。


 以前の「神田川の神田橋」に記しましたが、神田川には2つの月見橋があり、高砂橋と呼ばれる橋も2つあります。

 

 一つの川に、同じ名が2つある橋が、僅か100メートル程も離れた杉並区高井戸西の上下流に隣り合います。

 

 全国にこんな例はそうないかもしれません。


 そして、高砂橋の構造がちょっと興味深いのです。


 写真では分り難いので、模式図を描きました。

 

  

   
 本来の橋の幅は狭いのですが、トラックなどが側道から橋へ曲がる時、余裕をもって曲がれるように、橋の角が川に張り出す構造となっています。


 自転車で走っている時は気づかなかったのですが、MapFanなどで確認すると、神田川に架かる橋は全て、必要に応じて同様の構造を見せています。

 

 そして、それは橋に限りません。

 

 交差点などでも良く目にする光景ですから、普段は全く意識しませんが、都市計画などに携わる人々の工夫が、私たちの暮らしを支えてくれています。

 

 いつの間にか日本では、このような社会基盤を整備する人々に、感謝の意を表すことが少なくなってきた気がします。

 

 今回気づかされた、黙々と社会を支える人々の努力と汗に、改めて、ありがとうです。

 

 (このような人々に「いいね!」が伝わる方法を、誰か考えてくれませんか?)

  
 高砂橋から数10メートル下った、下流のあかね橋に立って川を眺めると、河床が緑に覆われていました。

 

 

   
 橋の袂に「神田川流域案内板」が掲げられていました。


 杉並区が、多くの人に川への関心を深めてもらう為に設置したそうです。


 地図に公共施設や交通機関、防災施設などが記されていました。

 


  案内板の中に、神田川の清流復活事業の説明がありました。


 神田川は玉川上水から水を導水し、水量の増加によって水質改善が進み、今では魚や水生生物などが生息するまでになったそうです。

 

 
 杉並区は1985年頃、みすぎ橋と池袋橋の間で河床整備を行い、高砂橋周辺の河床にキショウブを植え、


 昭和47(1972)年頃にユスリカが大量発生すると、その対策として鯉を川に放ったそうです。


 川に生きるシマイシビルなどが魚の死骸や昆虫などを食べ、川には準絶滅危惧種のナガエミクリなどが育つのだとか。


 そういえば、1962年にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」を著しています。


 そのころは日本でも、多くの人々が環境問題に強い関心を示したことを思い出します。

 

  

   
 あかね橋を過ぎると、左岸に緑地帯が現れました。

 


  緑地帯の中でビワが黄色い実を稔らせ、モモイロヒルザキツキミソウが川岸に彩を添えています。

 

 

   
 川は高井戸西1丁目アパートの前をながれ、そこに架かる錦橋の上から神田川を眺めると、水は静かに空を映し、

 

 


 橋の下では、数匹の鯉が「すべて世は事も無し」の風情で水に漂い、シダのレリーフが川壁を飾っていました。

 

 

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

丘の上に玉川上水

2021-06-13 22:50:37 | 自転車で神田川

 久我山橋を過ぎてしばらく進むと、左側に京王線の検車区が続いていました。


 この辺りは、川の左岸にだけ側道が伸びて、右岸は、木々に覆われた丘の斜面が川に迫ります。


 丘の上は、旧王子製紙や旧財務省のグラウンドだった場所が、都立高井戸公園として整備が進められているそうです。

 

 
 検車区の金網に沿ってイタドリが葉を茂らせますが、その先にアベリア(ハナツクバネウツギ)が白い花を咲かせ、川の柵側にチェリーセージが可愛いツートンカラーの花を茂らせていました。

 

 


 チェリーセージの茂みが、川沿いのフェンスに沿って、白い柵で区切られたエリアに咲き連なります。


 杉並区組織かボランティアかは分かりませんが、誰かが花を植えて、手入れを続けているようです。

 

 
 対岸から枝を伸ばすミズキの葉の間に、小さな緑色の実が鈴なりでした。

 

 秋になると実は赤から黒に熟し、ヒヨドリやコゲラなど、小鳥達の貴重な食糧になります。

 

 


 都内の住宅地を流れる川とは思えない、緑豊かな光景が続いていました。

 

 
 川に沿って自転車を進めると、スタート地点(中野区境)より6.5㎞の表示を目にしました。


 ネットで調べると、この側道は自転車歩行者専用道として神田川沿いに整備されたものらしく、示された距離は中野区までの距離を意味することになります。

 

 そうですか、中野へは後6.5㎞程なのですね。

 

 
 月見橋を渡る富士見ヶ丘通りを、数台の車が通り過ぎてゆきました。


 道の先に、丘へと上る緩やかな坂が見えていました。

 

 昔神田上水と呼ばれた神田川は、そのような丘に挟まれた、低い場所を縫って流れます。


 そして実は、あの玉川上水が、今見える丘の上を、東京の中心部へ向かって流れます。


 玉川上水は江戸時代に、飲料水を江戸城下に供給する目的で作られた水路なので、この辺りに住む人々は神田上水(今の神田川)を生活用水に使っていたはずです。

 

 そして多分、丘の上の土地を、旧王子製紙や旧財務省がグラウンドに転用する前、そこには、村人が薪を得る為の雑木林や畑が広がっていたはすです。

 

 この辺りの京王井の頭線が神田川沿いを走るのも、江戸時代のころから、人々の住む町や村が神田川に沿って点在していたからに違いありません。

 

 私は神田川の流れを辿りながら、明治、大正、昭和にかけて、この辺りの都市近郊で見られた、ノスタルジックな印象を伴う、人々の暮らしの変遷に思いをはせていました。

 

 
 月見橋を過ぎると、川の両岸に、戸建て住宅が続きます。


 久我山では駅の周辺に高層住宅を見ましたが、駅から少し離れた場所は建物の高さが規制されているのでしょう。


 そして突然、側道脇に「みなもと3.0㎞、すみだがわ21.5㎞」と記された里程標が現れました。


 え~ 源流からまだ3㎞しか進んでないの! 河口までまだ21.5㎞もあるのか!


 このペースだと、今日中に河口まで行くのは無理かもしれません。

 

 

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

人見街道が川を渡る

2021-06-12 23:31:28 | 自転車で神田川

 みすぎ橋を過ぎて100メートルほど進むとみどり橋に出ました。

 

 みすぎ橋は三鷹と杉並をつなぐ橋ですが、みどり橋は既に、両岸ともに杉並区です。

 

 神田川はこの後、たつみ橋まで杉並区内を流れ下ります。

 

 
 みどり橋から上流を眺めると、川の中に石垣で包まれた島が設けられ、その島に草が茂っていました。


 これも水流調節が目的だろうと思います。川底の水路を狭くすれば、降雨時の初期流量変化をす早く把握できるメリットもありそうです。

 

 各所に、水量変化を把握する為の様々な工夫が施されていました。

 

 

   
 神田川の側道の入口の殆どは、人と自転車しか入れないよう鉄パイプのゲートが設けられていました。

 

 
 更に数100メートル程下って宮下橋を過ぎると、川床中央の流水路が少し広くなった気がしました。

 

 

 そして更に、宮下人道橋を過ぎると、川底に育つ草や灌木を除去する作業が行われていました。


 川床に育つヤマグワなどの育ち具合を見ると、数年に一度ほどの頻度で作業が行わるようです。

 

 


 灌木などを放置すれば、増水時に流木などが引っかかって流れを止め、水が溢れ出す原因となるかもしれません。

 

 
 左岸に久我山ハイツが見えてきました。

 

 川が三鷹市内を流れているとき、両岸は戸建て民家ばかりでしたが、高層住宅が姿を見せ始めました。

 

 
 歩行者用の都橋の上から上流を振り返ると、S字状流路の幅が広がり、下流は側道に沿って集合住宅が軒を並べていました。

 

 

   
 川が大きく右へカーブした先の久我山橋で、人見街道が神田川を渡ります。

 

 人見街道は、府中にあった武蔵国の国府(府中市八幡)から杉並区の大宮八幡を結ぶ古い時代の街道で、江戸時代以前にあった「人見村」を通ることが名の由来とされます。


 私は自宅から自転車で神代植物公園へ行く時にこの道を使いますが、道幅が狭いので、バスが来るたびに怖い思いをします。

 

 

 人見街道を通ると、神田川に沿って続く側道は何処へ行くのかと、大いに興味をそそられていました。

 いよいよ今日は、これから、その謎解きが始まります。

 

 そうなんです、私は以前から、通り過ぎる道の脇に、何気ない佇まいの横道や路地があったりすると、気になって仕方ないのです。

 

 全国各地のあちらこちらに、そんな横道が無数にありますので、私は今70歳ですが、後100年生きないと、この世に未練を残しそうです。

 

 「憎まれっ子世にはばかる」と云いますから、後100年ぐらいは生き残れる権利はあるだろうと思います。

 

 
 その場で川を覗くと、見事な緋鯉がゆうゆうと体を休めていました。


 鯉の長寿記録は226年だそうですから、私も何とかあやかりたいものです。

 

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

神田川の神田橋

2021-06-11 09:56:28 | 自転車で神田川

 神田川に沿って自転車を走らせるとすぐに、神田橋の袂に出ました。


 神田川に神田橋とは、あまりにも素直な名前過ぎます。

 

 なので、橋の写真を撮り忘れました。

 

 橋はごくごくありふれた形で、都会の中小河川に架かる、道路が単純に延長したような構造でした。
 


 しかし、今になってみれば、このごく普通の橋に、神田川を代表するかのような「神田橋」という名が付けられた訳が気になります。


 それを考えた時、最初に思い付くのは、1965年に、この川が神田上水から神田川という名に変更されたことです。


 この神田橋は、川が三鷹台駅の横を流れ過ぎて最初に架かる橋です。

 


  前回の記事に書いたように、この辺りの川は、近年になって大規模な改修工事が行われています。


 一方、昔からの面影を残す井の頭公園の出口付近には「神田上水橋」が架かります。


 「神田上水橋」は、神田川が神田上水と呼ばれたころに架けられていた橋です。


 そして多分、「神田橋」は、神田上水が神田川と名を変えた後、大規模な川の改修工事に伴って架橋されたに違いありません。


 1965年頃、この辺りは急速に市街化が進んで、川の治水管理が強く求められたのです。


 それに対応する改修工事の際、広く世間にその名が知られた「神田川」と名を変えた川に架ける橋として、「神田上水橋」を意識しつつ「神田橋」と名付けたのだろうと推測します。
 
 トリビアな話題ついでに、神田川には以下のような三つの神田橋があります。


 3つの神田橋 所在地 ・三鷹市井の頭 ・杉並区永福 ・中野区南台
 

 そして、神田川に架かる複数の橋が、同じ名を持ちます。


 2つのむつみ橋 所在地 ・杉並区高井戸西 ・杉並区浜田山
 2つの月見橋  所在地 ・杉並区久我山 ・中野区本町
 2つの高砂橋  所在地 ・杉並区高井戸西 ・中野区本町
 2つの和泉橋  所在地 ・杉並区和泉 ・千代田区神田佐久間町
 2つの栄橋   所在地 ・中野区南台 ・中野区中央
 2つの柳橋   所在地 ・中野区本町 ・台東区柳橋

 

 

 さて、神田橋から下流を眺めると、川はコンクリートで固められた堀の印象で、水を湛えていました。
 

 

 その先の側道には、綺麗に整備された桜並木が続き、枝々に茂る葉が、緑の陰を落としていました。

 

 
 柵から川を覗き込むと、上流から下流へ、川底にS字状の溝が設けられていました。


 多分、流速を調整するが為と思います。


 これを設けて、上流域の水深を保っているのかもしれません。

 

 


   
 歩行者専用のみすぎ橋は、三鷹と杉並を繋ぐが橋の名の由来だそうです。

 

 そのみずぎ橋に「バイク乗り入れ禁止」の表示を見かけました。


 車が通れる幅ではありませんが、コンクリート製で堅牢な構造の橋です。
何故なのでしょうか。

 

 全ての、おやっ? に興味深々なのは、私の悪い癖かもしれません。

 


 
 みすぎ橋から流を覗くと、水が川の中央部を流れていました。

 


  流れの脇を飾る緑に、ドクダミやトキワツユクサが白い花を散りばめていました。
 

 

 

 「名を知ることが愛の始まり」と言います。

 

 誰も気づかぬ場所に咲く花が、単なる雑草ではない、ドクダミやトキワツユクサなのです。

 人から見向きもされない場所で、懸命に花を咲かせる草々の健気に、心が揺れました。

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

変わらぬものと、変わるもの

2021-06-10 13:57:44 | 自転車で神田川

 神田川に沿って自転車を進めて行くと、アジサイが可憐な彩で目を楽しませてくれます。


 テレビやネットニュースを見ていると、コロナ対策やオリンピック対応に奔走する人々が、ああすべきだ、こうすべきだと語りますが、地球が回り続ける限り、初夏のころには、アジサイがしっとりした風情で花を咲かせます。

 

 太平洋の片隅に浮かぶ、小さな島国で、数千年以上も前から続けてきた、四季折々の自然を見つめながら暮らすことの喜びを、これからも語り続けてゆきたいものです。
 


「かんだがわ」と記された掲示物を目にしました。


 白い字が、少しくすんだ様子が、設置されてからの年月を物語ります。


 そして実は、今は「神田川」と呼ぶこの辺りの流れを、昔は神田上水と呼んでいました。

 1965年(昭和40年)に河川法が改正され、井の頭公園を源流として流れ続く神田上水、江戸川、神田川の3つをあわせて「神田川」と呼ぶことに決めたのです。


 多分、「かんだがわ」と記された、この掲示物は、川の名称が変更された1965年頃に設置された可能性が高いと思います。


 くすんで見える白い字が55年の時の流れを語り、更にトータルで100年経過した2065年頃に、この掲示物が無事に存続していれば、文化財としての価値を発揮し始めるかもしれません。


 字が書かれた面が太陽を背にしているので、紫外線による劣化は少ない筈です。


 平和な時代が続きさえすれば、これからの45年間など、あっとう間の年月でしょう。


 そうあって欲しいものです。

 

 
 川を覗くと、川底に小石が積み重なっていました。


 両岸をコンクリートが固めていますが、川底は自然なままの状態に見えます。


 川にイネ科の植物などが繁茂し、ネコヤナギなども枝を広げていました。

 

 

 
 川に沿う道に背を向けた集合住宅の裏庭で、見事に育ったビワが鈴なりの実を付けていました。


 隣にシュロの木が育ちますので、冬もそれほど寒くならないのかもしれません。


 4~50年ほど前まで、シュロには南国のイメージが伴いましたが、それも今は昔の話となりました。
 


 川の対岸に、三鷹台の駅が見えてきました。

 

 
 三鷹台の駅に掛かる丸山橋の先で、神田川に沿って続く側道が途切れます。


 迂回るす為、T字路を左へ進むと、立教女学院の正門が見えました。

 

 

 その交差点を右へ曲がって300mほど進み、京王線の踏切を超えた辺りで、川沿いの道へ戻ることができました。


 その場所で川を覗くと、神田川は川底をコンクリートで固められ、三鷹台駅を境にして、川の様子が様変わりしていました。


 川は三鷹台駅の上流部より水深が深く、水草が漂う川に数多くの鯉の姿を認めました。
   

 


 そして私は、この辺りの地図を眺めながら、あることに気づきました。


 吉祥寺駅を出発した京王井の頭線が、渋谷を目指して南東方向へ線路を伸ばし、三鷹台駅を過ぎて、ほぼ直線状に久我山駅へ向かいます。

 

 一方、神田川の流路は、京王線が真っすぐ進めるよう配慮するが如く、S字カーブを描きながら、北側から線路の下にもぐり、線路の南側で再び京王線と並走します。


 この状況は、京王線のスムーズな運行の為に、神田川が流路を曲げたであろうことを推測させます。

 そう考えれば両者の位置関係を矛盾なく理解することができます。

 そして、神田川が三鷹台駅を過ぎた辺りで、自然な河川の状態からコンクリートで固められた人工運河のような光景に激変した理由が分かる気がします。

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

神田川にミクリの花

2021-06-09 11:59:58 | 自転車で神田川

 神田川の縁にスチール製の柵が設けられ、人は川に降りることができません。

 


 自転車を止めて、川を覗き込むと、川の中に茂る細長い葉の中に、特徴的な形の花を認めました。


 柵の隙間からカメラを差し込み、ズームレンズで拡大し撮影しました。

 

 ミクリのようです。

 

 こんな所でミクリを見るとは思わなかったので、心がちょっとざわつきました。
   

 

 

 帰宅後にネットで調べると、1994年の調査時点で、都内の河川でミクリが育つのは神田川以外には2~3の川に限られるようです。

 

 湧水が豊富な幾つかの河川でナガエミクリが確認されていますが、ミクリとナガエミクリがそろって多量に育つ川は神田川のみだそうです。

 

 ミクリは絶滅が危惧されており、生育条件として、BODが2㎎/ml以下の良好な水質で、日当たりが良く、川底に土が堆積し、一定の水量と適度な流速の場所が適地だそうです。


 つまり、そのような条件を揃えた河川は、都内に殆どないのかもしれません。


 そして、ミクリの横で淡紫色の花を咲かせる植物に気づきました。


 ズームを利かせて撮影した写真からの判断ですが、オオカワヂシャのようです。

 

 


 オオカワヂシャは対策を優先すべき外来植物で、繁茂すると他の植物に届く光を遮り、その生育を阻害し、他の植物種を排除し置き換わり、在来種の生育に悪影響を及ぼす可能性があります。


 この場所のオオカワヂシャを放置すると、絶滅危惧種のミクリの生育に影響を及ぼす恐れがあり、オオカワヂシャがこれ以上広がる前に、早急な対策を行うべきと考えます。


 何処に依頼すべきでしょうか? 三鷹市?それとも国土交通省? 

 

 予想外の植物に出会えたことが嬉しくて、鼻歌交じりに自転車を進めました。

 


 
 あしはら橋を過ぎた辺りで、側道脇に見慣れぬ植物が葉を茂らせていました。


 外来種に間違いないので、花を楽しむ目的等で人が植えたに違いありません。

 

 紫の花を咲かせるデュランタかもしれないと思うのですが、ちょっと気になります。

 

  


 側道を走っていると、京王井の頭線の電車が対岸を通り過ぎてゆきました。


 平日の午後の長閑な時間が流れていました。


 穏やかな陽射しの中で、安寧に満ちた風が優しく肌を撫でてゆきます。

 


 
 私は飽きもせずに、ヒメジョオンやスイバを眺め続けました。


 後から思えば、雑草として蔑まれるヒメジョオンやスイバも、この川の中流域以降は目にしませんでした。


 ヒメジョオンやスイバの分布を本気で調べれば、何か新しいものが見えてくるかもしれません。
   

 

 

 神田川の縁に続く柵に沿って、トベラが若緑の葉を茂らせ、シモツケがピンク色の花を咲かせていました。

 

 


   
 川の岸辺に親水テラスが設けられていました。

 


 テラスと川の間に柵が設けられており、水遊びが楽しめる訳でもないので、散策時の休憩用かもしれません。


 
 親水テラスを過ぎた辺りに、コヒルガオが花を咲かせていました。


 私は何かの花を目にするたび、時間を気にせずに眺め続けました。

 

 

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

 

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

神田川の源流をスタート

2021-06-08 10:29:19 | 自転車で神田川

 東京に緊急事態宣言が発令された2021年の4月25日から小石川植物園が休園となり、連日のように自転車で通いを続けていた私は時間を持て余しました。

 

 そこで、自転車で都内の公園などを訪ね歩き、花や樹の観察を始めました。

 

 5月26日には自転車で、荒川の分岐点から隅田川を河口まで下り、川面を渡る風の中で、心地よい一日を過ごしました。

 

 

 しかし、隅田川の川辺を自転車で下りながら植物を観察する試みは、大した成果も得られず、足腰の鍛錬のみの結果に終わりました。


 ところで、世間を混乱させる新型コロナウイルスは、感染すれば命に係わりますが、感染拡大は唾液の飛沫が主と考えますので、川風が吹く場所を自転車で走るだけなら、感染の心配は殆どないと判断しました。

 

 私のような高齢者が、いたずらに感染を怖れて、自宅に籠る生活を続けると、身体機能や認知機能が低下する可能性は高いのです。

 

 もしフレイルと称する準認知症状況に陥れば、連れ合いに迷惑を掛けますし、社会のお荷物とって国の保険財政を圧迫し、巡りめぐって子や孫たちに負担を掛けることになります

 

 年を取ったらピンピンころりの人生を目指し、楽しく前向きに、日々を過ごしたいのです。


 東京の緊急事態宣言が6月20まで延長されたことで、小石川植物園も休園が続くと思い、神田川に沿って、源流から河口まで自転車で下ることにしました。


(※ 小石川植物園が6月1日に再開されたことを、さっき確認しました)


 6月2日に都内の自宅を自転車で出発し、10時半ごろに神田川の源流となる井の頭公園に着きましたが、久しぶりに来た井の頭公園で草や木の観察に嵌り、気づくと12時を過ぎていました。

 

 

 しかし神田川は源流から河口ま24.6㎞ですから、計算上は自転車で2~3時間程度の距離です。

 

 焦ることもないので、ゆっくりと川下りをスタートさせました。


 神田川の源流に、

 

 「ここが神田川の源流です。神田川は善福寺川、妙正寺川と合流して隅田川に注いでいます」

 

 と記された看板が建てられていました。

 

 

   
 神田川の流れに沿って、井の頭公園の中の舗装路にペダルを進めました。

 

 
 ペダルをこぎ進めてすぐに、京王井の頭線のガード下を潜りました。

 

 
 音もなく流れる神田川のせせらぎが、緑の木々に包まれています。

 

 
 豊かに緑の枝を広げたケヤキの下で、ランチタイムを楽しむ家族の姿を見かけました。

 

 
 夕やけ橋が神田川をまたぎ、その先に静かな住宅街が佇んでいました。


 気まぐれに橋を渡り、川の左岸を下ってゆきます。

 

 
 レンガを敷き詰め、川面を見下ろす道に、木漏れ陽がちらちらと踊っていました。

 

 
 そんな小道の脇で、スカンポの別名を持つスイバが、のびのびと葉を広げていました。

 

 スイバは全国のどこにでも見かける野草で、お浸しや酢味噌で和えて食べると美味しいらしくのですが、私はまだ食べたことがありません。

 

 その横でヒメジョオンが、いつもの白い花を咲かせていました。

 

 最近ヘラバヒメジョオンという種があることを知って、ヒメジョオンを丁寧に見直すように心がけていますが、どうやらこれはヒメジョオンのようです。

 

 

   
 その先へ進むと、金色の花糸を伸ばしたビヨウヤナギが、明るい初夏の陽射しを浴びていました。

 

 
 自転車をこぎ進めながら、路傍の草花に気を取られていると、いつの間にか井の頭公園を抜け出たようです。

 

 神田川に沿って続く側道の景色の中で、数多くの住宅が、平穏で満ち足りた暮らしの香りに包まれていました。

 

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。

 自転車で神田川 index

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
   次ページ »