Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

よそのお仕事

2021-04-27 |  その他
ほとんど出かけないのもあって話のネタも切れ気味ですから、お越し頂いた時聞かせてもらうお話はみんな面白いです。
先日も息を切らして着くなり、ちょっと予定が狂って着替える時間がなかったと仰りながら、
「取引先の担当者が前は普通だったんだけど、新しく代わったら困りもので、それがまたそこの社長の息子なんです」
とのこと。
異業種の話ではありますが、「あら、何か最近映画で観たような話」なんて映画だか現実だか分からなくなってきます。



だいぶ前の話ですが、あるメーカーの方からそこの会社の製品について問題点はないかと訊かれた時のこと。
気になる部分を説明しましたがすぐには腑に落ちないようで、「いきなり口で言っても分からないかも知れないので、参考になる部分がありますから、服部さんという方が書いた『洋服の話』というのをとりあえず読んでみて下さい」
と基本的な理解を深めて頂ければとメモを渡しました。
しばらくしてまた見えると、「工場へ行ってあの本の話をしたら、すでに皆んなが読んでいた」そうです。
九州の西の端にある工場の方々が皆んなで回し読みする姿を想像してちょっと驚きもし、皆んな何とかして製品を進化させたいと思っているんだなと感じました。

辻静雄さんの本にも度々出てくる話ですが、「料理に興味を持って取り組んでいると、必ずその歴史や他の人の仕事(作り方)に関心を持たずにはいられない」と言われるし、実際そうなると言います。

歴史を遡らないまでも普通に取り組んでいれば、より良い製品より良い仕事とはいったいどういうものだろうと絶えず頭の片隅にあるので、数少ない信頼できそうな資料をあたることになります。
それを製品にいかして利用者により満足してもらうというシンプルな理屈なのですが、残念ながら実際には中間に関わる人すべてがそういう方向性とは限りませんから、冒頭の話のような事もおこるのでしょう。
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nato con la camicia

2021-04-18 |  その他
たまに、シャツはやっていないんですかというお問い合わせを頂きます。
良いシャツは肌触りが良いばかりでなく全体を引き立て、体の動きを妨げることなく上着との滑りを円滑にしてくれるとても大事なアイテムだと思います。

服を試して頂いた方には軽く柔らかく動き易くということをご理解いただけると思いますが、その服よりも体に一番近いシャツがもし動きを妨げる可能性があると服の良さを感じて頂けないことを実感していますので、お薦めできるレベルの品が見つかるまで扱わないと思います。
まだ試したことはありませんが、最近では見た目にとても綺麗な日本製も出てきたようです。
見映えと着心地を追求したイタリアのクラシックな服が巷に行き渡って20年以上経ちますから、シャツにおいても着心地を理解した製品を作るところが出て来てもおかしくありません。



'90年代中頃Luigi Borrelliのシャツは、日本ではまだお約束のように「あのH社のシャツを請け負っていた...」という説明付きで、その頃ミラノのドゥオモに面しているだけでもボレッリのシャツを扱う店は4店舗、いずれもちょっと年配向けの洋品店のような店でした。
リナシェンテ向かい側の角にあったガルトルッコは昔生地屋(ローマ「トレヴィの泉」近くにもあった)で、ブリオーニ、イザイアといった重衣料の他、シャツはすべて"Galtrucco"になっていましたがBrini製。
ドゥオモ広場からヴィットーリオ・エマヌエーレII世通りをサン・バビラに抜ける通りにはありませんでしたが、一本裏手の広場に面してダベンツァ等を扱っていた"Vannucci"のシャツはボレッリでした。

リナシェンテの裏辺りに小さな店が出来たり閉めたりしていた中に、"Castellani"というやはりKitonとBrioniをメインにした店がありました。一つ一つはそうでもないのですが、ちょっと世界観がミズっぽいような不思議な店で、シャツはブリオーニ。

サン・バビラ広場で、真っ先に目につくのは"Neglia"だったと思います。
Brioni, Kitonをはじめブランドは何でも揃っていましたが、同じミラノで同格の製品を扱う店に比べて趣味が野暮ったいというかあかぬけない内容で、シャツはBrini。後からKitonがシャツも出すとそれが一番上のグレードとして扱われていました。
それよりも、早くからAttoliniを扱っていた"Eddy Monetti"の方が内容的に面白い品揃えでしたが、シャツはちょっと弱かったようです。

そこからすぐのスピガ通り入口には、シャツで有名な"Battistoni"ミラノ店。
さらにヴェネツィア通りを地下鉄に沿って行くと、パレストロに仕立屋のジャンニ・カンパーニャが豪華な店を出すと既製シャツは3社で、いずれも"Gianni Campagna"ネームでしたが一番上のグレードがボレッリ製でした。

さらにヴェネツィア通りを進むと、オーベルダン広場には"Tincati"がありました。
ここにはあらゆるアイテムが驚くような在庫量で、シャツは地元のシャツメーカー(後にオリアンに代わる)と、カフとカラーのスペアの付いたTincatiネームのBriniでしたが、やはりKitonがシャツを始めるとそれが一番上のグレードとして扱われていました。

またサン・バビラからモンテナポレオーネを抜けて、ブレラに向かう手前にある仕立屋A. Caraceniが1階でやっていた「ディ・ヴィンチェンティス」では既製のチチェリを扱っていました。

逆に、ドゥオモ広場から反対にメアッツァ・サッカースタジアムのあるサンシーロの方向へ向かうと、まずマジェンタ通りの"M. Bardelli"。
ここではシャツを買った記憶がありませんが、Briniだったような気もしますし記憶違いかもしれません。

更に進んでヴェルチェッリ通りには、名前どおり双子マークの"Gemelli"。
ここはBriniとL. Borrelliで、年によってフラシ芯がちょっと他店と違う仕様になっていました。

更に進むとさすがに観光客の姿はまったく見ないような地域で、落書きがひどく荒んだ雰囲気の中にディーン・ショップという英語名の店がありました(記憶違いでなければ、何故かそこにコルネリアーニの息子がいました)。
イタリアではそこで初めてFrayのシャツを見ましたが、その後もミラノでは見たことがありません。
結局イタリアでFrayのシャツを見たのは、こことフィレンツェのUgolini e Filli.、ナポリのその頃トレド街にあったOld England(他の都市にある同名店とは無関係)だけだったと思います。



そのフィレンツェには皆さんご存知の「タイ・ユア・タイ」があって、その頃シャツはボレッリとブリーニでした。
店主がシャツを「綺麗でしょ?」と言うので、こうしたらもっと良いと思うと応えると、翌年そうなっているのを嬉しそうに見せてくれながら、驚くようなお返しをしてもらったのを思い出します。
近くの"Happy Jack"はモーダもありましたが、クラシックはボレッリと"BARBA"のゴールドの織りネームのラインでバリエーション豊富でした。
仕立屋のリヴェラーノもその頃ボレッリをかなり扱っていて、レプブリカ広場のマンテラッシ靴店もモーダ以外のシャツはボレッリ製、オーナー夫妻がナポリ出身というMichele Negriももちろんボレッリ、靴屋のマンニーナも最初ボレッリを置いていましたが後にブリーニに代えました。
ある時そこの息子が「そのシャツどこの?」と訊くので「バルバ」と答えると、「聞いたことないなぁ」と言うので「あそこのハッピージャックにたくさんあるのに」という話で笑いました。

さらにナポリ、他の都市と続きますが切りがないのでこの辺で。
他にMauro Bonamico, Luciano Lombardi, Charly等々あり、その後もFinamore、南の方のメーカーでさらに細かい仕事のメーカーが出て来てからの話は皆様の方がよくご存知かもしれません。
またシャツの仕立屋にも行きましたが、意外に既製メーカーの出来の良いものに及ばなかったりしました。

長い話にお付き合いいただきましたが、上記の店の多くが今は存在しません。
あっても扱う内容がだいぶ違ったりしますので、昔話です。

シャツはもちろん着る人の体型との相性が第一ですから、どのメーカーが一番ということではありません。
実際、高価な品にも接着芯なんてのがあります。
入手可能な中から、体の動きを考えたパターンをそなえ昔ながらのフィットと裄丈(88cm以上)であれば、カフのゆとりを手首のサイズに合わせるなど適切なアレンジを加えると、動きを妨げられることなく服の作りを体感できることと思います。




店に置いてあったシャツで話にリンクしそうなのはないか探したら、忘れていたのがありました。
BrioniのシャツはBrini製なので、この頃は織ネームの生地が一緒です(おそらく2000年代に入ってからのもの)。




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催事

2021-03-20 |  その他
休みの日に、電車に乗るような所へ出かけなくなってしばらく経ちます。
ちょっと興味のある催しがあっても、何となく気分にブレーキがかかって出かけるまでにいたりません。
こんな時期に重なるのも珍しいなと思いながら躊躇していたのが、「小村雪岱」「笠松紫浪」「吉田博」展です。


小村雪岱「青柳」肉筆画を版画にしたもの(1941)

小村雪岱(1887~1940)は舞台のデザインから挿絵まで多岐にわたり、装丁では特に泉鏡花作品で好きなものが多い気がします。

吉田博(1876~1950)は、ダイアナ妃がケンジントン宮殿の執務室にその作品を二つ飾っていたとか、フロイトが「山中湖」を描いた作品を持っていたとかの逸話がありますが、そんな話がなくても十分楽しめます。
以前木版画に移行する前の作品を使わせてもらいましたが、2年近い欧米旅行から帰った後半生は独自の木版画を創作しました。


「陽明門」1937年 木版 96度と、一番多く摺り重ねたという作品。

木版画の笠松紫浪(1898~1991)は川瀬巴水(1883~1957)と同門でありながら、何度か使わせて頂いた作品のとおり、異なる情趣を描いた中にとてもモダンな感覚があります。


「櫻 上野東照宮」1935


「花の波」1956


「林」1955

まだ間に合う催しもあります。
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結婚式

2021-03-12 |  その他
昨年秋頃の話、「皆んなマスクしてると、出会いも難しいだろうね」なんて連れの人に振ると、「そこはまた何か道があるんじゃない?」なんて会話があったのを思い出します。
こんな状況ですからなかなか思い通りにいかないなんて事もあるかと思いますが、久しぶりの結婚式に出ました。
半年くらい前からの話で、その当座はだいぶ先のような気がしてましたが、近くなるとあっという間です。



会場の紀尾井町の赤坂プリンス、クラシックハウスという所は由緒ある建物だそうで、画像のとおりの雰囲気です。
中も着こなしの良い男性が10人も集まったら映えそうな空間で、スタッフは若くて明るく、古臭さはありません。



結婚式は出るたび新しい演出が増える気がします。
それでも会場の方々が細かいところまで気を配ってくれて、飲んで食べて久しぶりに揃った親族で盛り上がっている間にそつなく式次第が運ばれました。







式の一週間くらい前、偶然小津安二郎監督の「麦秋」と「晩春」を観ていました。
ともに娘の結婚を扱った話です。
「東京物語」もそうですが、家族のありようを考えさせられる作品を観た直後の結婚式は、映画と違ってあくまで明るく笑いの絶えない数時間ではありましたが、これまでと違う感慨がありました。
せっかく出会ったのですから、末長く仲良くあって欲しいと思います。
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Reid Miles

2021-03-08 |  その他
午前中は猫も思わずコロンコロンしたくなるような陽気なのに、帰りは冷たい風に身震いする日があって、駅へ急ぐと「行きはよいよい帰りは寒い〜」と聞こえてきました。



画像に「春のコート」とありますが、今日から見ると冬と同じに見えます。
同じ号に真冬のスタイルと避寒地での夏のようなスタイルが混在する、広大な国土ならではの事情もあってのことでしょう。



このジミー・スミスのアルバムを見ると、何となく春を連想します。
1960年1月の録音で、ちょっとスピーディー過ぎるかも知れませんが、春頃発売の予定だったのでしょうか。
ブルーノートのアルバムデザインの多くを手掛けたリード・マイルズの仕事です。



マイルズのデザインでは、こちらの方がメジャーでしょうか。
下に並んだ写真(フランシス・ウルフ)だけ見てもさほど魅力的という訳ではありませんが、そこへ特徴あるアレンジが加わると、一曲目のオープニング同様一目で忘れ難い印象を残します。

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春近し

2021-01-16 |  その他
もう10年くらい海外で暮らす友達からメールをもらいました。

こちらは去年の12月半ば頃からロックダウンが始まり、今月の終わりまで続く予定ですが、ここ最近の感染者数から今後さらに厳しく制限される予定です。
病院と薬屋、スーパー意外は全て閉まっている(短時間営業)のですが、それに付け加え、
自宅から15キロ以内の移動制限が追加されます。

去年の3月から自粛生活を送っていますが、なんだか疲れてきてしまいましたね。
でもこの生活を止めるわけにもいかないので、頑張るしかないのですが…
今年こそは会えるかな?
それまでお互いに元気で頑張りましょう。

会いたいですね!



「それでも春は来るよ」と言ってくれているように、先日ちょっと散歩に出るとチューリップが咲いていました。
まだまだ寒いのに、なんて健気な...
と思ったらオチがあって、冷温貯蔵した球根を植えると春と勘違いして咲くそうです。

今はどこも行けませんが、妄想の中では自由です。
イタリアも日本からの旅客機ではミラノかローマ着ですが、例えばワインならシチーリアから入ってエミリア・ロマーニャも可能ですし、リグーリアからアブルッツォも、トレンティーノ=アルト・アディジェからピエモンテ、ウンブリアからプーリア、ピエモンテからピエモンテでも何でもOKです!
画像はよくあるルートで、カンパーニャからトスカーナ。
でもお母さん、くれぐれも飲み過ぎにはご注意を!


(昨年ある晩、横浜西口トラットリア・フランコにて)
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おめでたい話

2021-01-13 |  その他
同じ仕事を三十数年続けている間に、一年間だけよそへ勉強に通ったことがありました。
普段工夫してやってきたつもりでも知らない事はたくさんあるだろうから、せっかく教わるなら長い経験に培われた理論を、と思い師事した先生は当時70代でした。

もちろん勉強になりましたが、バブル期のように忙しかった時期でも自分達が積み重ねてきた仕事がかなり細かく正確だったことも分かりました。
最後お目にかかったのは4~5年前のことで、よそのメーカーの展示会だったと思います。

その先生が技術的なブログをずっと書いていらしたのを発見して、昨年卒寿を迎えられたと知り、ご連絡してみると以前と変わらぬ声の張りで嬉しくなりました。
当時から全国の仕立屋さんの問い合わせに応えていらっしゃいましたが、今も生徒さんを教え、現役の仕立屋としてのキャリアも70年になるそうです。
「これしか知らないから」と謙遜されてましたが、すごいですねぇ。
遅ればせながらお祝いを申し上げ、倍近い年月を思って眩暈がしました。



通っていた間に数回「ご自分でやらないの?」と訊かれましたが、その頃は業界の趨勢を日々実感していましたので、毎回強く否定しました。
昔のことで、先生はそんなことはまったくご記憶でないようなのが助かります。
私も、まさか自分で言ってたことと逆になるとは思ってもみませんでした。
違う意味でおめでたいです。




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instagram

2021-01-13 |  その他
インスタグラムを始めて2年ほど経ちました。
既に書きましたが、当初はローレンス・フェロウズやレスリー・サールバーグ等についてもっと詳しい人が見つかるかなとか、イマジネーションを刺激してくれたりインスピレーションを喚起してくれるようなお洒落な人がいるんじゃないかとか思っていましたが、残念ながら海外の人にもL.バルベラのような着こなしの人はまだ一人も発見できません。

世界的にはまだピタピタのスーツを着たような人が多いので、メンズウェア関連のを長く見ていられないのもあるかもしれません。
そんな時、気分を癒してくれるのが犬猫で、ゴールデンレトリバーやバーニーズマウンテンドッグ、サモエド、柴などを見ていると気分がしだいに回復します。

ある日、本人のアカウントは非公開ですが海外の女性がフォローしてくれたことがありました。
フォローし返すと、ミラノのL.バルベラの店で働く人だと分かりました。
しかしいつの間にか店は辞めてしまったようで、リヴィエラ、モンテカルロ界隈で遊ぶ画像が増えてきたり、だんだん困ってきちゃったなぁというふうに、非公開の方がフォローしてくださったのをフォローし返すと、何だかよそのお宅に闖入してしまったような気分になって、次第にいたたまれなくなります。



話は変わりますが、コーディネートの話ではよく花を引き合いに出します。
花は茎や葉、花弁や中心部分のほんの小さな面積にいたるまで、色が合ってないということがほとんどありません。
葉の緑にしても、花弁の色に合わせた明度彩度を選んでいるのではと疑いたくなるようなソツのなさで、地味な茎の色も他の部分を引き立てるという意味で同様です。

漠然と野鳥の羽根の色もそう思っていたのですが、インスタグラムで図鑑以上の種類をクッキリ原色で見せられると、その説は大いに揺らいできました。
きれいな小鳥といえば、中南米やインド周辺など有名ですが、それこそ北欧のように寒そうなところにもいて、各国に特派員がいるかのように美しい鳥の画像をあげています。
すると想像を遥かに超える色の組み合わせが次から次へと現れて、とても自然とは思えない(?)ようなヤツがたくさんいることを知りました。
すごくキレイなのですが、あまりに例外が多過ぎて鳥はちょっと服の話に使えないか、と思う今日このごろです。


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2021 新春

2021-01-07 |  その他
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

親しい方から「年賀状用意するのが大変になってきて」と伺って、電話での挨拶にきり替えて数年たちました。
そうなると、元日はないだろう、三ヶ日は取込んでるんじゃないか、とタイミングをはかるのも意外に勘の働きどころです。
今年は暦の並びがよく、4日月曜日から世の中が動き始めるのでちょうどいいなんて思っていたら、先に元日に頂戴しました。
なかなか読み通り行かないものです。

例によって三が日は駅伝三昧で、3日合わせると選手が300km以上走っているのを観ながらこちらは家を一歩も出ず、100mと歩いてないかもしれません。
箱根駅伝は、9区からアンカーに繋いだ時点で、首位と2位との間には3分以上の開きがありました。
そこでチャンネルを変えたり、出かけた方もいらっしゃったかもしれません。
2位駒澤の監督さんも、10区の選手でさえその時点で追いつくとは思わなかったとレース後語っていますから、観ている方が諦めても仕方ないところです。
しかし、何があるかわかりません。

何があるかわからないと言えば、年末に届くはずの荷が間違って巌流島へ行ってしまいました。
途方にくれていると、佐川の方がこちらの身になって処理してくれた上に、最後「また何かお困りのことがありましたら、いつでもご連絡ください」と気をつかってくれました。
繁忙期で通常業務だけでも忙しかったと思いますが、何度もやり取りしたり、頭のさがる思いです。
そのおかげで良い正月が迎えられたといっても言い過ぎではないくらいです。



駅伝だけでなく、「東京のえくぼ」という1952年の映画も観ました。
後年「ローマの休日」に例えられたりもしたようですが、「ローマの休日」は1953年製作で日本公開は翌年でしたから、それよりもF.キャプラ監督の共にアカデミー賞受賞作品「或る夜の出来事」「オペラハット」を思い出させます。
「オペラハット」のゲイリー・クーパーはチューバで、「東京のえくぼ」ではフレンチホルン。
製作サイドの人々はキャプラもエルンスト・ルビッチも相当好きで、DVDで何度も見返すことも出来ない時代なのによく研究していたことが伺えます。

社長を辞めたい主人公が身をやつすのに、着ていたスーツを古着屋でみすぼらしいスーツに交換してもらって出てくると、その「みすぼらしいスーツ」とは少し前まで流行っていた短い上着に短いパンツの組み合わせ、なんて笑えるところもあります。
今年は良い年になるといいな、と思うようなほのぼのした作品です。
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2020 年末

2020-12-31 |  その他
最近ではマスクにもすっかり慣れ、先日も店を出て2分くらいの山手犬猫医療センター前まで来て、「しまった、マスク置き忘れてきた」とスペアを取り出しました。
思い出したのは顔が寒かったからで、本来の使命にプラスしてもはや防寒具の一つというポジションです。
慣れは怖しいですね。

あっという間に大晦日。
思い返すと暑い盛りに移転がありました。
新築にもかかわらず出入りがはげしい...と気づいた時に早く決断すべきだった、と当座は考えましたが、今になるとだいぶ昔のことみたいな気がします。

感染症のように個人の力では限界のある状況では、出来る限り予防対策をして他人への媒介の可能性を抑え、何とか滞りない日常を取り戻そうとしてきました。
そんななか年末になって思い出すのは、今年観た映画の印象的な部分とか今年見た洒落た生地のことです。
人との繋がりはもちろん、それ以外も悪い事ばかりでなく「出会ったことを喜びたくなるようなモノがあるものだなぁ」と思い返す年末となりました。

毎年この時期になると、年末の挨拶は特別な気持ちになりますが、今年はその思いが一入です。
ご覧いたたきまして、ありがとうございました。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいますようお祈りいたします。


もう少し煮詰めないと....黒豆担当です。
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古澤さん

2020-11-25 |  その他
10月は下旬にようやく好転するまで雨が多く、今月は逆に雨不足だそうです。

そんな10月初旬の雨の日、スーパーの床で滑りました。
靴の接地する角度がうすかく入った・の・か・なぁ・・・と一瞬思いながら、一人マトリックスというか、スローモーションのようにゆっくり後ろへ倒れました。
翌日思いついて靴底を確かめると、雨だからと履いたダイナイトソールがかなり減ってグリップがあやしくなっています。
床が濡れていたのもあるかもしれませんがこれでは仕方ありません、急いで新しいのを用意しました。
よくある話ですが、そうするとほとんど降りません。



寝る前にたまに見る外国語番組も、現地ロケがかなわない状況で苦心されているようです。
「旅するためのイタリア語」を見ていたら、以前の放送分から古澤巌さんの頃の映像が使われていました。

あらためて観ると、古澤さんはホンワカして良いです。
食事のたびに「今まで食べた中で一番美味しい!」と食べて飲んで感想をのべるだけのシーンでも、お人柄か寝る前にちょうどいい気分に和みます。
また舞台の南イタリアの快晴の空が気持ち良さそうで、再び厳しくなり始めたヨーロッパの状況とのコントラストを思いました。
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小さな集会

2020-11-25 |  その他
幹事を引き受けてくださる方のおかげで定期的にお仲間の集まりがありますが、2月以降自粛を続けています。
個別にはお会いしますが、ここへ来て5名以上の会食には黄色信号が灯って、もうしばらく我慢が必要になりました。

それでもありがたいことに、移転を機に遊びに寄ってくださいます。
その日はとても良い天気で、お一人またお一人とお越し頂きその後間をおいてまたお一人と、時期も近いので四十七士討ち入りの晩のようなご訪問でした。



先にいらした白井さんと何かの話から久々にミラノの話になって、「あのジェズゥの角にあった店なんて言ったっけ?」というあたりで、八木さんが見えました。
積もる話を小一時間ばかり、話は尽きませんがちょうどお昼のピークを過ぎたくらいの時間になったので、お二人はすぐ近くにある馴染みの「奇珍」へ向かわれました。
関係ありませんが、もっと近い2分くらいの所に偶然「信濃屋」さんという中華料理店があります。

ちょうど1時間後に見えた藤井さんが、行き違いになったことを残念がったのは言うまでもありません。
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湿気と乾燥

2020-11-12 |  その他
京都の妙心寺に行ったことのある方なら、天井の龍を見上げながら手を打ったり係の方の解説を聞かれたことがあるかもしれません。
その時、芯去材とか柱についてのお話があります。
寺社建築の多くは桧が使われ、何度か引用させていただいた西岡常一さんの話でもあらゆる面で桧が一番と語っておられますが、妙心寺の柱は欅で、富士山の麓辺りから採られたものだと聞いた覚えがあります。
それを陸路で運んだか筏みたいなものに組んで海路を渡ったか分かりませんが、昨日関西を出た荷物が今日届く現代と違って、ゆっくりゆっくり京都まで運ばれたことでしょう。
その間、風雨に晒されたり十分時間をかけることによって、伐採された木が徐々にこなれて有用な木材になっていくとどこかで読んだ気がします。
ですから急がないことに価値があるんですね。

シャンプーのCMに、毛髪の表面にキューティクルと呼ばれるウロコがあって、それが湿度によって開いたり閉じたりするという解説付きのが昔ありました。
ウールも毛が刈られ羊本体から離れた状態ではすでに生きていない訳ですが、それでも「生きている」「呼吸している」と言われるのは、毛髪と同様表面のスケールと呼ばれるウロコ状のものが開閉して、一定の水分を繊維の中に保つ働きをし続けるからだそうです。
例えば私たちの仕事に絡めるなら、もしその機能がなくて水分が失われていると、アイロンの熱に耐えきれず早く焦げてしまうことでしょう。

扱いにこだわる生産者であれば、刈った原毛はゆっくり労わるように十分な湿度を保った環境で、糸になるなり生地になるまで寝かされます。
生地に織られてからも直後に洗われたり水とは切れない関係で、出荷されると裁断前には蒸気を与えられ、その後も工程の合間合間に加湿を繰り返したりと、服になるまで水とは切っても切り離せません。

しかし一旦服になった後は、「湿気は洋服の大敵」と言われるくらいダメージの元となるため必要以上はいりません。
スタートは木場で水に浸かっていた材木も、建物の完成後まで年中ジメジメした環境では寿命が早まることを思えば、そのあたりも木と似てます。

私のところも最初の失敗を生かし、新しい所は地表から離れており、2.4mの大開口で日照と通気に恵まれている為、さながらサンルームのような環境です。

10月最終週から湿度が40%を下回りはじめ、空気の乾燥が進むとともに肌の乾燥も心配される季節になってきました。
さらに、30%に近づくとかなり危険な領域に入るそうです。
先日もお越しいただいた方が試着しながら、「乾燥しちゃって」と仰ってました。
なかなか丁度良い気候は続かないものですが、皆様も服の環境のみならず乾燥肌のケアも忘れずにお過ごしください!


少し歩いたところにある本牧山頂公園からの眺め
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宅配便

2020-11-09 |  その他
3年くらい前だったでしょうか、宅配業者のきびしい勤務実態が問題になったことがありました。
それ以降12~14時の時間指定が廃止になったり遅い時間帯の幅にゆとりが出来たりして、それまでもうちに来てくれる方々には何の不都合もなかったですが、皆さん前にもまして笑顔になった気がします。

家に来てくれるいつものドライバーさんのうち3社の方は行動パターンを読んでくれているのか、19時くらいに不在通知を入れてくれたのに、また後で寄ってくれる時もあります。
ドアを開けると、まったく疲れを見せない笑顔で立っていてくれて、申し訳ない思いです。
この時期何かあってはいけないと思うと、ミカンの一つも渡し難くなりました。

移転してまだ日も浅い頃、ピンポーンと鳴ったので「何か頼んであったかな?」と思いつつドアを開けると、スーツ姿の方が立っていました。
「気になってて...」とお越し頂いた方は、ラグジュアリーブランドを扱う方だそうです。
お話ししながら1930年代のEsquireをお見せすると、なぜかところどころページがくっついていました。
2ヶ月くらい開いてなかったので気づきませんでしたが、移転の原因となった湿気の影響がそんなところにまで及んでいたようで、あらためて環境の大切さを痛感しています。


「皆さんにいただいたスネークマン・ショー...じゃなくてアンスリウムは、今も新しい花を咲かせてくれます」
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Hard times come again no more.

2020-10-19 |  その他
ようやく作業が落ち着き、久しぶりに"Classic shoes for men"を真似て遊んでみました。

最近はわかりませんが、以前は珍しいヴィンテージ靴を色々見ることが出来ました(利用したことはありません)。
そこで例えばFootjoy, Nettleton, Stetson, Edwin Clapp等のメーカー名をクリックされると、画像のような品も出て来ると思いますが、他の製品でも素晴らしいバランスの靴に遭遇するかもしれません。

言うまでもなく靴と服は不可分ですから、ちょっと時代がかったものには注意が必要ですが、何十年も変わらない普遍的なスタイルの靴はタイムレスな服を考える上でとても有効です。



                   * * *

1930年代の初めにはすでに大恐慌が始まり、景気は衰退し始めていました。
辛い現実を忘れようと、ますます多くのアメリカ人が映画館に通うようになりました。
男も女もこぞって、フレッド・アステアやクラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、アドルフ・マンジュー、ゲーリー・クーパー、フェアバンクス父子といったスターたちが最新のファッションに身を飾って、大きなスクリーンに登場するのを見ようと映画館に殺到しました。

またこれらのスターたちの写真はプリンス・オブ・ウェールズ、ケント公、作家のルシアス・ビーブ、社交界の名士アンソニー・ドゥレクセル・ビドルJrといったスタイルのリーダーたちの写真とあいまって新聞や雑誌を華々しく飾りました。
ついにアメリカの家庭にも正しい装いの仕方を教えてくれるファッションの「先生」たちが現れたのです。

このように、男たちの服装に対する興味は高まっていました。
彼らは粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたがっていたのです。
この新しいファッションの気運を察知して1921年に『ジェントルメンズ・クォータリー』の前身である『アパレル・アーツ』が発刊されました。

『アパレル・アーツ』は多くの男性洋服店に置かれ、店用のカタログとして活躍しました。
そして大恐慌の真っ只中である1933年の秋、もう一つの男性ファッション雑誌『エスクァイア』がニューススタンドに現れました。
この雑誌の成功は、国の困窮状態にもかかわらず、多くの人々は恐慌に左右されない少数の裕福な人の着るものや、暮らしぶりにとても興味をもっているものだということを証明しました。

皮肉なことですが「エスクァイア・20世紀の男性ファッション百科事典』の言葉を借りれば、「大恐慌はファッションを、まだおしゃれをするだけの余裕がある人々の手に戻した」ということになります。
「スタイルは絶対的にイギリスが主流であった。なぜなら30年代の余裕あるアメリカ人とは、20年代にサビル・ローで買い物したアメリカ人と同じだったからである」

これらすべての要素が30年代に結集しました。
この時までにはアメリカの男たちはプリンス・オブ・ウェールズを通して、映画を通して、そして自分自身のヨーロッパへの旅行を通して、アメリカンスタイルとでも呼ぶべき一つの普遍的なスタイルを作り上げていました。
イブ・サンローランの最近の言葉を引用しましょう。
「1930年から36年にかけて創造された何種類かの基本的な服装の型は、すべての男性が自分自身の個性とスタイルを打ち出す上で、表現の尺度として今日でも十分通用するものである」

これらの原則、型とはいったい何でしょうか?
まず第一にアメリカ人にとって洋服とは、体を隠すものではなく、どちらかというと体に合わせて、結果的には男らしさを強調するものだということです。
同時に洋服は目立ちすぎてはいけません。着ている人の体の一部となるようでなくてはなりません。
洋服とは人を区別するものではなく(何世紀もの間、王や貴族たちはそのことを第一の目的として装ってきました)独立した個人の集団のなかでその人をその人たらしめるものなのです。

長い間続いたかさ張る、重苦しい衣服の下に体を隠した時代、そしてこれに続く、体の線をおおげさに強調するスーツなどの実験的な時代を経て、アメリカ人はついに洋服は自分を目立たせるためのものではなく、自分の良さを表現するためのものだということを学んだのです。

また別の尺度もあります。
洋服は着心地良くなくてはいけないということです。実際に着古しである必要はありませんが、それと同じように体に馴染むものであって欲しいということです。
洋服が体の一部となれば理想的でした。
つまり30年代のアメリカ人にとって洋服とは、体に従うべきもので、決してその反対であるべきではなかったのです。
フレッド・アステアはスーツが体にきちんと合っているかどうか確かめるために、いつも新しいスーツを着て2,3度店のまわりを歩いてみることにしていました。
彼は実際に歩いてみることでそのスーツに十分余裕があり、本当に着心地が良いかどうか確かめてみたのです。

この時代は注文服のテーラーと知識の豊富な客の協力によって、まったく新しい男性服の形式が作り出された時代です。この時代に蓄えられた男性服の型と全体のバランスの知識はラペルや、襟、ズボンの丈および幅、靴のスタイルにはっきり表れていますが、これらの知識は現在でも正しい装いの原則として十分通用します。

それに加えて、この時代には礼儀作法に関してはっきりとしたルールがありました。人々はある特定の機会にはそれにふさわしい特定の服装をするのが一般的でした。
その結果、30年代にはスポーツウェア産業が急成長するという現象がおこりました。カジュアルな機会にビジネススーツを着るのは適切でないと人々はみなしたのです。

『アパレル・アーツ』が30年代を評していった言葉があります。「30年代とは一般男性の財布は軽かったが、余暇の時間はたっぷりあった時代である」この余暇の時間を男たちはスポーツウェアを着て過ごしました。
スポーツウェアとはスポーツジャケット、帽子、ネクタイ、シャツそれにスラックスでした。
               (中略)
こうして30年代の半ばには、アメリカ男性はまさに歩くエレガンスといってもよいほどになりました。彼らは仕立ての良い服を身につけ、礼儀作法を重んじたばかりではなく、自分自身の個性をつけ加える想像力ももっていました。これでなぜ1930年代が、アメリカの男性ファッションにおける頂点といわれているのかおわかりでしょう。
30年代は流行よりも、自分の体に一番よく似合い、一番着心地が良いという基準で人々が服を選んだ時代でした。
つまり、装いのバランスがとれていた時代、それ故エレガンスがその極致に達した時代といわれているのです。

「アラン・フラッサーの正統服装論」(訳者:水野ひな子)より

                    * * *



普遍的なスタイルについて調べていると、「大恐慌」は避けて通れない時代です。
私たちが生きている間にそれに匹敵する事態が出来しようとは思いもしませんでしたが、A.フラッサーの2冊目の著書にあるこのくだりを'80年代に読んでから、ずっと気になっていた箇所です。

RKOのF.アステアやパラマウントのG.クーパーの映画を観ているとそんなことを微塵も感じさせないのは、上に書かれているように、それが現実を忘れさせてくれる装置だったからでしょう。

「粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたが」るような方はコロナ禍でますます希少になり、本文からお分かりのとおりスポーツウェアの概念も今日のそれとは大きくかけ離れています。
コロナ以前から、「さっきまで、それ着て寝てたんじゃないの?」と思うようなカッコがカジュアルという時代ですから難しいとは思いますが、普段からキチンとされていた方はワードローブをぜひフル活用され、今まで思いつかなかったような新しいコーディネートを工夫し続けていただきたいと思います。

もちろん今までと違うかどうか他人には分かりませんが、百人に一人くらいその気概に反応して「おっ、いいね!」という目をする人がいるはずです。
そんな方を見かけたら、もちろん心の中でジャンジャン「いいね」したいと思います。
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