Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

パレードに雨を降らせないで

2013-01-19 | Others
 多い日には5往復くらい、少ない時でも一週間と空くことのなかった小泉さんからのメールや通話が絶えて、もう10日以上経ちました。



一年近く前までのこと、おかしな会話で何度か登場してもらった面白い感じの人は変名でしたが、実は小泉さんという人です。
「話題を提供しちゃうよ」なんて言ってもらってたわりに、ここ最近出ていただいていませんでしたが、昨年春のS&G「四月になれば彼女は」をタイトルにした時は「おっ、懐かしいね。俺なんかリアル・タイムだったからね」と言ってました。

小泉さんは就職したアパレルメーカーが倒産すると、しばらくして他の勉強の為イタリアへ渡りました。
ほどなく日本でイタリア製品が急拡大する時期へとさしかかり、最初は輸入業者の通訳みたいなことに駆り出されます。
その後イタリア製品はさらにブームの様相を呈し、前職が素地となっていた小泉さんも勉強そっちのけでビジネスに飲み込まれていきました。

これを読んでくださっている中にはいらっしゃらないかも知れませんが、商社や大手メーカーの方で昔イタリアの工場見学に行ったら、案内してくれた人が異様にエネルギッシュで、見学より印象に残っているとか、紹介を受けてイタリアに着くと、フィレンツェ在住という面白い人が世話をやいてくれたとか、靴の輸入枠を融通してくれた人が確かいたはずだというような経験がおありでしたら、もしかするとそれは小泉さんだった可能性があります。

いくつかのメーカーに出入りするうち、人を逸らさない小泉さんはすっかり現地に馴染んで、日本の会社を相手にするだけに止まらず、その後N.Yのスペシャリティ・ストアにイタリア製品を納めるまでに仕事を拡げていきました。
フィレンツェの真ん中にあるMichele Negriの男前の店主等といっしょに、街のVTRにも出たのはその頃だそうです。

私が出会ったのは、まったく違う事情で会社を整理した後のことでした。
最初、会う度私のタイを冗談みたいに欲しがったり、持ち物がどこのものか執拗に興味を示す不思議な人でした。
ある日フィレンツェの話になると、「前に住んでたことがあるんだよね」というところから色々話をするようになり、ただヘンな人ではないことがようやく分かります。

その後、機会があると食事に誘ってくれたり仲良くしてくれるようになりました。
その頃よく、十年早く出会ってれば良かったね、と言ってました。
確かにその分野なら私も役に立てたかも知れませんし、いい仕事も出来たでしょう。

しかし、その頃には小泉さんの人柄はもうよく分かっていたので、そんなことがあってもなくても問題ではありませんでした。
仕事に対する生真面目さや正義感など、やはり経営者だったと思わせる瞬間もありましたが、ずっと年上なのに幼馴染みみたいに見える時もあります。
大人の我儘があっても、それを上回る正のエネルギーやチャームが溢れているというような人でした。

最後に勤めていた会社は、雇っている側の人で小泉さんの経歴や能力を詳しく知る人はなく、ただエネルギッシュな仕事振りと明るい人柄が知られるばかりだったようです。でも、周りには情の厚い方が多くて良かったです。

すでに見慣れたカッコなのに、会う度むこうの人みたいに褒めてくれるのは面映ゆかったですが、その一言一言に、やはり最期まで服が本当に好きだったんだなと今にして思います。

「パレードに雨を降らせないで」という歌がありますが、ロンドン・オリンピックの頃から涙もろくなったと言っていた小泉さんは子供の成人式に感激するあまり、こらえきれず門出に大雪を降らせてしまったようです。



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