昨日で畿央大学健康科学部理学療法学科4年生の臨床実習が終了しました。お世話になりました関係各位に深謝いたします。さて、学生の表情や振る舞い、そしてその心はどのように成長したのでしょうか。
自己は他者の脳によってつくられていく。脳科学は一人の脳の分析から複数の脳の分析という手法へと展開しています。学生達の脳は、いろんな人たちの脳、そして自分自身の日々更新される脳の影響を受けました。そして、そうした相互作用を通じて、自己意識の来歴がつくられてきました。
彼ら、彼女らにとって、社会という海は、専門知識や技術といった側面よりも、心を鍛える意味でとても大切な環境だったと思います。中でも、自己の一時的な感情を抑制し、未来にとって適切な行動をとる(背外側前頭前野)という大人の脳をつくりあげる意味でも、こうした実習はとても意味深いものです。この抑制はただ黙っているのではなく、適切な行動や言動に出る!ということです。
現代の若者は私たちの世代に比べて賢く、真面目です。けれども、真面目な反面、外からの揺らぎに対応できないこともしばしばあります。心に揺らぎをつくることは、来るべき大きな揺らぎに対応できる脳を形成する上でとても大切なプロセス(内側前頭前野の働きなど)です。
一方、学生達に接すると、楽しかったらそれでいいという風潮が少なからずともあります。一緒にやっているバンド・ライブ活動を通じても感じます。これは誰しもが経験してきました。私もとてつもないアホでした。
何かを成して行くというプロセスは、楽しさだけでは厳しく、時にそれには苦しさというプロセスがついてきます。その際、その苦しさというストレス因子と上手くつきあっていく脳(腹外側前頭前野の働き)をつくっていかなければなりません。一皮も二皮もむけるという表現は、一時的に我慢し目標を設定し直すという更新プロセスを社会という海で経験した証だと思います。
我慢するというプロセスは社会脳を形成する上でとても大事なプロセスなのですが、ここのところ、両親を代表に「恐い大人達(脅迫・強制でなく規律を重んじる)」に遭遇することが少なくなってきたようにも思えます。教育者側も友達感覚で接するような人が増えてきたのかもしれません。友達感覚で接するのは、一時的には学生のうけはよいのですが、それは互いにすぐさまの報酬を求める線条体の働きにすぎません。学生にとって厳しく、そして一線を置くという意識は、その学生の未来を思っての行動です。つまり、今、学生を楽しませるという報酬ではなく、未来の成長の図式を想定し、報酬価値を変更(眼窩前頭前野の働き)できる教育者というのが、本当の意味で重要と思います。
恩師と呼ばれるのはそういう事だと思います。卒業した何年か後に感謝されるので良いと思うのです。卒業後、彼らが真に大人になった後、母校と胸をはれる教育は「楽しさ」ではなく「厳しさ」から生まれてきたものだと思っています。
若者たちはまだ「何者でもありません」。だからこそ(未来を確実に予測できないからこそ)「夢」を持つことができます。夢を持つことはとてつもない「エネルギー」に変換できます。不確実性に生きる楽しさはそこにあります。夢を持つ若者たちを邪魔せず後押しできる「大人」であり続けるということは、今なお困難や不確実性に対して自己の身を置いている人間だと思います。だってほんとは、大人は若者大好きでしょ!?
高知の鉄板焼き屋「ミヤタヤ」のトイレ(笑)に飾られている言葉です。
自己は他者の脳によってつくられていく。脳科学は一人の脳の分析から複数の脳の分析という手法へと展開しています。学生達の脳は、いろんな人たちの脳、そして自分自身の日々更新される脳の影響を受けました。そして、そうした相互作用を通じて、自己意識の来歴がつくられてきました。
彼ら、彼女らにとって、社会という海は、専門知識や技術といった側面よりも、心を鍛える意味でとても大切な環境だったと思います。中でも、自己の一時的な感情を抑制し、未来にとって適切な行動をとる(背外側前頭前野)という大人の脳をつくりあげる意味でも、こうした実習はとても意味深いものです。この抑制はただ黙っているのではなく、適切な行動や言動に出る!ということです。
現代の若者は私たちの世代に比べて賢く、真面目です。けれども、真面目な反面、外からの揺らぎに対応できないこともしばしばあります。心に揺らぎをつくることは、来るべき大きな揺らぎに対応できる脳を形成する上でとても大切なプロセス(内側前頭前野の働きなど)です。
一方、学生達に接すると、楽しかったらそれでいいという風潮が少なからずともあります。一緒にやっているバンド・ライブ活動を通じても感じます。これは誰しもが経験してきました。私もとてつもないアホでした。
何かを成して行くというプロセスは、楽しさだけでは厳しく、時にそれには苦しさというプロセスがついてきます。その際、その苦しさというストレス因子と上手くつきあっていく脳(腹外側前頭前野の働き)をつくっていかなければなりません。一皮も二皮もむけるという表現は、一時的に我慢し目標を設定し直すという更新プロセスを社会という海で経験した証だと思います。
我慢するというプロセスは社会脳を形成する上でとても大事なプロセスなのですが、ここのところ、両親を代表に「恐い大人達(脅迫・強制でなく規律を重んじる)」に遭遇することが少なくなってきたようにも思えます。教育者側も友達感覚で接するような人が増えてきたのかもしれません。友達感覚で接するのは、一時的には学生のうけはよいのですが、それは互いにすぐさまの報酬を求める線条体の働きにすぎません。学生にとって厳しく、そして一線を置くという意識は、その学生の未来を思っての行動です。つまり、今、学生を楽しませるという報酬ではなく、未来の成長の図式を想定し、報酬価値を変更(眼窩前頭前野の働き)できる教育者というのが、本当の意味で重要と思います。
恩師と呼ばれるのはそういう事だと思います。卒業した何年か後に感謝されるので良いと思うのです。卒業後、彼らが真に大人になった後、母校と胸をはれる教育は「楽しさ」ではなく「厳しさ」から生まれてきたものだと思っています。
若者たちはまだ「何者でもありません」。だからこそ(未来を確実に予測できないからこそ)「夢」を持つことができます。夢を持つことはとてつもない「エネルギー」に変換できます。不確実性に生きる楽しさはそこにあります。夢を持つ若者たちを邪魔せず後押しできる「大人」であり続けるということは、今なお困難や不確実性に対して自己の身を置いている人間だと思います。だってほんとは、大人は若者大好きでしょ!?
高知の鉄板焼き屋「ミヤタヤ」のトイレ(笑)に飾られている言葉です。