森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

金高堂

2007年07月28日 15時23分03秒 | 過去ログ

昨日は宮田塾の練習に2日目。みんないい汗かいてる。今は自分が踊りを覚える(記憶)することで必死だけど、その記憶は陳述記憶から手続き記憶にじきに変わるよ。そうすれば、そうそう忘れることはない。音楽が鳴れば、自然と反応する。「意識」から「無意識」への移動。前頭葉から頭頂葉へ。

そうなれば、今度は「からだ」で感じることが大事かな。指先、つま先一本一本まで感じ、表現し、意識に向かわせる。身体表現の極みは、それだ。バレエダンサーやモダンサンサーがいつも言っていること。

それをしながら、他者への気配りかな。視野を拡大し、前後左右の列を常に意識する。それも自然と無意識になるよ。あうんの呼吸というやつかな。

いずれにしても、今年のテーマは「Happy」、塾長も言っていたように「しんどい」のもhappy。それがいつか「快」になる。

塾長は「扁桃核(体)」の賦活を意識しているよ。

それが、「海馬」にいき、「happy」なエピソード記憶になるよう、今は乗り越える! いいね。

「教育者」として、いろいろ教わるものがある。

 

「目的」に向かわせるための手続きは、自分で「気づく」ことが肝心。

 

そんなことを感じた。

 

今年は教え子が7名参加してくれているが、どうだ、楽しいだろう。

 

広末涼子も島崎和歌子もほぼ毎年踊る「よさこい祭り」を観に・・・「どうぞ」!

 

今日は地元でのoff、地元には金高堂という本屋があるんだが、その朝倉ブックセンターの方にいく。

 

新しい本はまだ置かれていなかったが、昨年一昨年の本がまだ平積みに。

大阪のジュンク堂や紀伊国屋では、もう平積みはとっくに終わっているが・・・

 

看護書程度(帯屋町の本店は医学書がある)しかない本屋で、置いているだけでうれしいのに・・・

 

 

ほんまにうれしいことです。

 

著者が「高知県」出身だから? それともかつての外商のみなさんのおかげ?

 

いずれにしても、故郷があるということはうれしいことです。

故郷を離れると、その意識は強くなるものです。

何もない故郷へ愛着がわく。

 

高知にいるときは、そんなことを感じなかった。

 

今日は高知の研究室仲間と懇親です。

 


Happy? Happy? happy happy

2007年07月27日 15時37分23秒 | 過去ログ
昨日は発達系の試験監督をして、そのまま高知へ。
故郷に帰るが、そのまま、インターチェンジを降り、よさこいの練習場へ。
久しぶりの再会。
踊り子のみなさん、今年からの踊り子もかなり増え、パワフルに舞っている。

今年は80年代サウンドを意識した曲調。
いつもの和スタイルからの導入でなく、ベース音が心地いい。

塾長もご満悦。
あとは、みんなが祭り当日心からHappyになることだ。
そのための、きつい練習が毎日ある。
よさこいは真夏の相当に激しい踊りなので、入隊なんかしなくても相当に絞れる。

僕はやはり重低音にノックアウトされる。
祭り当日の先導者の地方車(じかたしゃ)には全国各地からPAが集まる。
高知だけではまかなえないのだ。
ミキサー職人も全国津々浦々だ。
宮田塾の昨年はなんと、奈良県香芝市から来ていた・
今年はミスなく進行することを祈る。

よさこい祭りは、脳のきわみ。
情動を揺さぶり、大脳辺縁系を育み。
100数名が共同注意を働かせ、コミュニケーションをとり、そして「目的」のために協調するという、大脳新皮質を極める。

運営する側は「予測」「シミュレーション」のもと、大脳皮質を総動員する。

そして、和、ロック、サンバ、80年代ディスコ、クラブの音楽にあわせて「リズム」よく踊る。

秩序の中に自由があるのだ。


さて、今「発達系」の採点が終わり、大学へ送信。
もうすぐ、掲示されると思うよ。

もう1回チャレンジするもの、fight!
その経験が栄養になる。


では、今日もhappy踊りを堪能だ。


Paint it black !

2007年07月25日 06時49分57秒 | 過去ログ
昨日は2つの試験監督と大学院の研究計画発表。
試験、お疲れ様。
今日にでもすべて採点しないといけない。
1回が62名、3回が70名とちと多い。
明日は、94名の2回が待っている。
採点すれどもすれども終わらないという「予期」が頭によぎる。
おそらく、手に取り、答案の分厚さを体性感覚で確認する自分がたびたびあるだろう。

試験監督しながら、視覚の情報経路を考えたが、「黒い」と「真っ黒い」の言語の使い方の違いを、「真っ黒い」という比喩から考えた。
「真」とは何なのか?

また、運動と感覚を考えたときに、やはり、感覚の重要性にいきついた。
身体がないという感じは、この世に、そのものが存在しないといくことであるし、自分のoutputを感じられないのであれば、それはoutputが起こったとしても、豊かではないし、ステレオタイプなものになるのは当然である。

やっぱり、「理学療法」っていうのを見直さないといけないな。
環境と相互作用なんていっているわりには、一生懸命動かしている。
五感をもっと意識する、そういうセラピーにせめてかえていただきたい。
とりあえず、アクセサリーになっている「感覚」を復興したい。
「感覚」と分断するのは日ごろしていなく、このようなことは言いたくないが、いずれにしても、それを無視した「理学療法」ばかりだから、まず、はじめの第一歩としてしかたない。

自分のoutputを感じられないと、自分のoutputの×を感じられるとは大違いである。

「~ここち」とうものが生活を豊かにする。


大学院では、固有感覚と注意、目的運動の準備電位、ミラーニューロンシステムと異種・同種感覚統合の3つの計画が報告された。
早め早めに動いてください。
そのまま「博士論文」へといけるものもあります。
「修士」からneuro系の国際誌へ。
いままでにない「修士論文」になるでしょう。
自分を追い込むことです。
M的生活に変えてください。
追い込まれている自分に出会います。


さてさて、研究については、奈良、大阪のセラピストにも波及しているようだ。
経験から、これで軋轢も生まれると思うが、それぞれの立場でやらないといけないことはたくさんある。

若いセラピストが一緒に研究をしたいと、メールなどをいただく。
おそらくであるが、これもいままでの経験から上司が不愉快に感じるかもしれない。
高知でもよくあった。

だが、この際、先入観は捨て、バリアを自ら作らず、自由にやらしてみてはいかがでしょうか?

何がよい(違うという意見はすでに整理した言語による分類)かはわかりません。

その本質は見えないのです。

やってみながら、修正する、それが人生だし、やるまえからわかっていたら、それは人の生き方でなく、機械の生き方になってしまう。

そんなことを若者の不平不満から考えています。


僕自身、その時代、内容はどうであれ、そのとき、研究をしていなかったら、今の自分の生活はないと思う。

研究とは、チャレンジする「こころ」、それがはぐくまれる。

共同研究のみなさん、最近「論文」のペースが遅いですよ。
スピードも大事です。

越境しましょう。

人間が(機械的)人間に勝った日

2007年07月24日 07時09分49秒 | 過去ログ
先週の金曜は岡山で講義、だが、昼間部の授業の存在が私の意識からは消去されていた。
この要因は二つ考えられる。
今まで、このように授業を忘れるということは、もちろんない。
だから、忙しいからっていうのはその要因に入らない。

ひとつは、この3週間ほど、週末の仕事が(たいしたことなかった)ことが考えられる。
たいしたことないとは誤解が生じるかもしれないが、先々週の名古屋での学会の仕事は特別講演の「司会」であった。たいした仕事かもしれないが、もし私が病気で行くことができなかったとしても、それは動く。
特別講演、とくに、私の講演しかない場合は、その会自体が存在しないし、わざわざ足を運んでくれている聴衆者を考えれば、はってでも行くという気持ちになる。
これは大変なプレッシャーであり、内容や講演の準備なんかよりも、はるかにそのプレッシャーは潜在的だが存在する。
たまに、このまま新幹線で逃亡すれば、どうなるのだろう、なんて考えることがある。
一人講演はそういうプレッシャーがある。
だから、ここ3週間は、それが存在しなく、スケジュールを確認しなかったのも事実である。

もうひとつはというと、先週の金曜から、夜間部を2コマにしたことである。
小倉リハの講義がなくなり(前期終了し)、朝日リハのみになったので、夜間部1コマだけに行くのは諸経費がもったいないと考慮し、2コマにしたのだが、この志向が、私の思い込みの脳の機能が作動した。
夜間が2コマなら昼間の1コマはないはずだと・・・

ま、そんなこんなで、自分の脳を省みる週末だった。
ちゃんと、アナログなスケジュール表を確認しよう。
しかし、いつもそのスケジュール表とにらめっこしている自分は余裕がなく、あまり好きにはなれない。

が、毎日自動的にならないので、それも、脳の機能の維持に役立っている。
ひとつの仕事をしているが、私の脳の中は、次、次、次、と3週間後ぐらいはシミュレーションしないといけない。
まさに、前頭前野フル稼働であるが、先週末は、それにポケットが生じたのであろう。

空白の前頭葉活動である。

土曜は認知神経科学学会で九州大まで行く。
神経心理から脱却できていなく、今後に期待をしたい。
在宅でcareできていない疾病、そして罹患年数が圧倒的に多いのは、高次脳機能障害、これは米国、日本、ともにである。
なぜ、脳科学か、というとそれにつきる。
それで苦しむ人、そして家族のために。
そして、国家の効率のためにも。
遺伝子発現から、神経細胞。
神経細胞から脳機能。
脳機能から行動。
まさに、人間のすべてを研究するのが脳科学なのである。

スポーツ分野でも当たり前に言われ始めたのであれば、リハビリテーションの基礎科学としても、確固たる位置づけが必要である。
それは、既存の「生理学」だけでは物足りない。

土曜から手足の痺れがひどくなり、急遽帰ることにした。
病院嫌いな私も、明日には診察に行こうと思う。

病院嫌いなのは、ある私の履歴に影響されている。
私は総合病院に勤務していたのだが、そのとき、腎結石になった経験がある。
このとき、初発症状は腹部の痛みであったことから(放散痛)、内科を受診。
胃カメラを飲んだのだが、結局は急性胃炎という診断がおり、投薬治療になった。
それでも痛みはとれず、どうも背中の痛みではないかと思い、整形外科を受診する。痛みは脳の働きで容易に移動するのである。
X線を撮影した。
「なんてきれいな脊椎だ」と自分で思うぐらい、異常はなかった。
日ごろ、高齢者を見ている自分の目のギャップに驚いた。

腰痛でしょう・・・と、終わった。

それでも、痛みは激しさを増すばかり。
腎結石の痛みは、癌の次だとよく言われる。

そこで、以前に実習でお世話になった老人病院の院長を訪ねる。
院長は京都大学の老年科でしばらくいて、お年をめされてから、その病院の院長になられた方であるが、問診を丁寧にされ、すぐに、CTをとろうということになった。
そうすれば、腹部CTから、腎臓付近に石が見つかった。
この臨床意思決定は、問診からの予測であるが、自らの専門へのシフトでない。
人間は自分の専門の方についつい統合してしまうが、院長にはそれはなく、問診症状(意見に耳を傾け)から、自らの脳で予測をたてたのである。

つまり、X線や胃カメラの結果が先で、それに跡付けの判断をしているのではない。

新著のコラムでも書いたが、「科学する」ということは、「見る」ことでなく、「考える」ことである。
物理的画像診断が横行するが、それは、科学するという本質を揺るがしている。

熟練と若さといえば、それまでだが、臨床現場をみるとそうとも必ずしもいえない。

思い込み脳が大いに増えているのも事実だ。

人間は考えることが好きな反面、大嫌いだ。
研究者は本来考えることが仕事なのだが、最近の研究を見ると、結果至上で、少し情けない。
このことについては、昨日金子研究科長と意見が同調した。
アメリカの影響が色濃い。
当たり前の事実を当たり前の手続きで研究し、当たり前の結果を残す。
それにお金がつぎ込まれる。
ここには自らの新しい「仮説」は存在しない。
機械ありき研究である。

人間は考えることが大嫌いになる。
考えることが「不快」刺激になるからである。
このことを「悩む」という。
不安が増すと、本来「快」であることも「不快」になってしまう。
「快」「不快」は紙一重。
そうすると、危険回避の脳が作動し、結局は、その状況から逃げてしまう。

男にだまされて、「恋愛」できなくなるのも、そのひとつであるし、勉強に置き換えてもいい。

自分の都合のよいように、結果を解釈してしまう脳になる。

「リハビリテーション評価」もその呪縛から逃れられないのか・・・
これは、学生にも通ずる。
「逃げて」「逃げて」「逃げまくり」の人生に風穴を入れるのが教育である。


脳を活動させたがらない。
この仮説は、組織化できない脳活動は、不快になるのかもしれない。
つまり、神経回路網がつながる(予測がたつ)ことで、「快」となるのかもしれない。
どこどこが賦活した!と一喜一憂になる「脳科学」は古いのかもしれない。



話がずれたが、そのような経験があり、病院嫌いになった。
これも、危険回避の脳かもしれない。
それをぶち壊す「快」な病院での出来事にあいたいが、まだあってない。
依然として、「三人称」なロボットのような医師に会うことが多い。

腎臓結石で、破砕術を毎週受け、仕事をしていた。
破砕術をすれば、その夜は眠れないぐらい痛い。
排尿すれば、鮮血だ。
スーパーバイザーをしていたが、そのときの学生のT君は、よくたえた。
その伝説の指導が功を奏し、今では立派な教員となっている・・・
破砕術を受けながらも、「よさこい」だけは欠かさず、見ていた。

「血が騒ぐ」と「メタファー」だろう。


さて、今日は「リハ概論」と「神経系PT実習」の試験ですね。

学生のもがくエネルギー放出をみます。


畿央大学健康科学研究所開所記念シンポジウム

2007年07月23日 17時53分48秒 | 過去ログ

畿央大学健康科学研究所開所記念シンポジウム

日時:平成19年10月13日(土)13:00~17:00

場所:畿央大学冬木記念ホール

内容:

 特別講演:伊藤正男

       (理化学研究所脳科学総合研究センター神経回路メカニズム研究ディレクター

 シンポジウム:金子章道(畿央大学大学院健康科学研究科長 教授)

          山本 隆(大阪大学大学院歯学研究科COE特任教授 畿央大学客員教授))

          森 友彦(畿央大学健康科学研究所長 教授)

          他、交渉中

     (司会):森岡  周(畿央大学大学院健康科学研究科主任 教授)

受講料:無料

問合せ先:畿央大学企画部 kikaku@kio.ac.jp

8月下旬より応募開始

詳しくは本学webにup予定

 

 


3回 ゼミ生

2007年07月19日 18時46分42秒 | 過去ログ

3回 ゼミ生10名を研究室メンバーに追加しました。

あと、1~2名、他の研究室のゼミ生とも共同研究していきます。

今年は調整が入ったので、希望が通らなかった学生もFight!!

その経験も実は「脳研究」なのです。

 

畿央大学神経リハビリテーション研究室(森岡研究室)総勢40名の大所帯となりました。

 

来年度の院生も加え、再来年度には博士課程も設置されれば、50名は超えるな。

原則、共同で論文を書くことは認めていないので、50の研究が同時進行することになる。

 

世界へ羽ばたけ!