金曜日は岡山に向かい,系統授業の「教育学」を行いました.
まだ高校を卒業して数か月の昼間部の学生は,
チャイムが鳴っても,立ってしゃべったりと,
高校の延長を感じますが,
それがそのままだめだというわけでなく,
認識できていないので,
なぜ,そういうことが大事なのかについて,
専任講師が語らないといけない.
かくゆう,私も反射的な行動で注意を与えるのではなく,
大脳辺縁系と皮質のコラボレーションから,
語ろうと思います.
面白いことに,現代の大人がそうしているようにも思えます.
というのは,今日のテレビでの記事で,サマータイムの導入を東京がやろうとしていますが,
これは別に問題ない.
それよりも問題はやる前から,やっても無駄だ感が蔓延していることです.
例えば,「どうせ,サービス残業かあるから無駄でしょう」という
若いOLのコメントが出ていましたが,
この「どうせ」という言葉から,すでに無駄だ感が脳内を支配しています.
なんとも,私は無力です,ということを象徴する言葉ですが,
「絶望」のメタファーに近い.
つまり,「サービス残業」というものに対する批判をしたいのだが,
それはできない,
そして,サービス残業がなくても,同じ効率の仕事も提案できない.
そんな負のスパイラルが蔓延しています.
もはや,仕事が修行になっています.
つまり,仕事=労働でしかないのです.
仕事は労働ではありません.
労働であれば,何もクリエイティブなことが必要ないのです.
是非とも,残業がなくなるように,効率化をブレインストーミングする方に導いてもらいたいと思うのです.
上司に言っても無駄だ感が付きまとうかもしれませんが,
それが負のスパイラル現象で,
それが将来,後輩たちに脈々と引き継がれていくのです.
負のスパイラルは個人だけの問題だけでなく,社会全体をつつみこんでいくのです.
システムとはそういうものであり,
日本の国力が落ちれば,経済に響き,消費者をも不幸せにしてしまいます.
震災後の対応の国の問題が指摘されていますが,
システムが機能していません.
私が思うに,今もっとも大事なのは未来を読むという力です.
特に政府は.
被災地,原発に関しては,もうこれからは自動化システムの構築ですが,
それよりもこれからの国際的な経済はどのように進んでいくのか,
そして,どのラインで食い止めないといけないのか,
そして,すでに外交をいかして,(裏ルートも含む)10年先,20年先の経済,国際システムを構築するように,対処していかなければならないと思うのです.
日本の悪いところは,話しあわないと何も進めないところです.
話し合わなくてもトップダウンで決めるところは決めればよく,
情報はむしろじゃまをする場合もあることを承知で,
迅速な対応がもっとも求められると思うのです.
これは,臨床にも通じます.
現象は刻々と変化しています.
その場合,科学だの,論文だの,いっている猶予はありません.
まさに,海のなかに入った漁師がみたことのない獲物に対峙している瞬間です.
その意思決定を決めるために,ボトムアップに情報を入れる必要はありません.
経験が大きく左右するのです.
知恵は経験の娘である.
しかし,その経験には科学論文を読む,それを自分で解釈し続けてきた経験も含みます.
愛は知識の母である.
話はだいぶそれましたが・・・笑,
教育学では「強化学習」の授業に入りました.
いかに目標が大事か,そして自分を過大評価しないか,
ドーパミン神経細胞の視点から,夜間部も含めて話しました.
翌日,朝,岡山より,千葉に向けて出発.
今年度一発目の講演ですが,
早くもボロボロ布きれ状態ですので,
思わず,グリーン席を購入.
贅沢でなく,もう他人から解放されたいという,意識と無意識のはざまでの決断です.
5時間以上かけて,千葉県野田市につき,
江原先生に迎えにきていただき,
いったん,ホテルに荷物を置き,
懇親会に参加しました.
懇親会では1年目,2年目の方が参加され,まだ何色にもそまっていない心がよく思えました.
翌朝,9時過ぎから3時半まで講演を行い,
内容は上肢運動,歩行運動の神経機構とクリニカルリーズニング.
そして神経可塑性,運動学習機構の解説を行いました.
質問が多く出て,久しぶりに好感触です.
運動前野の活動が学習に基づく皮質脊髄路に対する運動プログラム構築によるものなのか,
網様体脊髄路の活性化に基づくものなのかの視点は楽しく,
様々な仮説が浮かんできました.
16時に野田を後にし,高橋先生の車で羽田空港まで送ってもらいました.
感謝です.
彼はホテルニューオータニのホテルマンを11年しており,
実に紳士的で,対応能力がすばらしく,
その経験がこの仕事でも活かされる日が来ることを確信していると励ましました.
家に帰りついたのは22時前.
その間,沖田先生,松原先生と新書の表紙のやりとりをして,
とりあえず,日曜日の深夜,わずかな家での休息に入りました.
月曜日の朝,動かない身体感に関して,
無理やり指令を与え,なんとか起き上がり,
昨日復路だった道を往路に変え,
伊丹空港まで向かいました.
福岡行きに乗り,
福岡の病院の実習訪問に出ました.
少しタイプするスピードが落ちているので,次回のブログで....続く.