森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

~としての自分が、それを邪魔する

2007年04月30日 13時25分36秒 | 過去ログ

さすがに、全国津々浦々だと、そのつどUPしたい気持ちもあるが、日中の仕事以外に、深夜まで懇親が続くために、時間が破たんし、ブログまで回らないのも事実である。

木曜は学部で講義、大学院で講義、その合間に会議を二つ。例の如く、電車に飛び乗り、新幹線の最終で小倉入り。

小倉駅では人の流れに逆らい、進む自分が空しい。

翌日、小倉で講義。当り前の事実を話しているときは、学生の目が死に、あたりまえでない事実を話すときは学生の目が生きる。

それが教育なのだが、やはり、臨床家としての自分がいつもいて、普遍的な知識をつけようとするときに、目が死んでしまうと、感情的になる。

少し、感情を使い、注意を与えるが、それが逆に身体的反応となってしまう学生もいる。

いつも、~としての自分が、それを邪魔するが、それが自分らしさなのかもしれないと思いながら、福岡の病院に向かう。

~としての自分を捨てることができるのか・・・ セラピストとしての自分、教育者としての自分、研究者としての自分、なんか勝手にコラボしているように言っていたが、どうも違う。

なぜなら、社会人、医療者としての自分が教育者としての自分を邪魔するからだ。

この「~として」を捨てることができたときに、何かが見えるのかもしれない。

それをリセットすることができるのか、すべてを捨てる勇気があるのか・・・などなど・・・

しかし、それを捨ててしまうと。<私>というものが存在するのか。あ~重い。

肉体は存在しても、私の<記憶>がすべてなくなれば、それでも<私>は存在し続けるのか、<私らしさ>とはなにか。などなど、やはりデカルト問題にぶちあたる。

結局は、解釈している、何かの立場にたっているだけじゃないか・・・と。

その解釈する脳が私らしさであり、逆にそれが秩序だったり、無秩序にしたりするのだと思う。

臨床家としての自分を捨てることができたとき、自分は教育者になるのかもしれないが、逆にそれが現代の医療の秩序を乱してしまう危険性もある。臨床実習と教育実習は性質が違う、が・・・ 今の臨床実習システムがある程度の、<人間>に対する秩序を作っているのかもしれない。教育現場が崩壊しているのは、その秩序が作られていない可能性がある。

 

難しい難しいと思いながら、大野城駅で降りて、原病院へ。

 

園田先生といろんな複雑な思考過程、システム問題、フレーム問題、観察者の視点などなど、研究会のことについて話をする。

その後、朝倉健生病院の小鶴先生、そしてうちの学生たち、ほかの病院で実習している学生たちを中州に呼び、懇親会をする。

笑顔がよい。

翌日の土曜日、朝倉健生へ。

学生のいろんな言い分があるが、そんなことは患者さんは知ったことでない。徹夜しようが睡眠1時間であろうが、8時間であろうが、知ったことでない。

その経験が土壌になるが、その土壌を作るのには、しばらく時間がかかるし、困難にぶち当たる。

開拓と一緒なんだよ。

 

いろんな自分の歴史を語ったが、人は見かけによらず(自省も含め)。見えない自分に本質があるし、見えない他者に本質がある。

 

高知の徳谷トマトがなぜ「おいしいか」それは、温室育ちじゃないからだ。

台風の潮風に耐え、真夏の日差しに耐え、そして、熟し、日本で一番「うまい(甘い)」トマトとなり、全国のフレンチやイタリアンで必ず使用される。

温室で育った人間は、必ず他者の違う意識に出合った時に、揺れる。本当の「やさしさ(トマトでいえば甘さかな)」は、自分が困難に立ち向かった意識経験があるから生まれる。

結局は「あまい実習」しかしてないものは、それが自分を肯定し続け、そして、違った意識(将来の後輩)に出合った時に、それを完全否定する。

常に反省(内言)し続ける精神が、医学を進歩させる。

反省なくして進歩なし。

肯定しつけたら、治せるものも治せない。

 

それに気づいてくれ~~ 頼むから・・・ 

 

なんてことを考えながら、飛行機に。

久しぶりに爆睡せず、機内で音楽を楽しんだ。

学生諸君、「ウルフルズ」でも聞いて、自分を高めろよ。

 

土曜日に帰り、少し大学で仕事をして、1回の新歓に参加する。

別の意味での2回の良さを感じる。

いい先輩でいてやってくれ。

教員が自分だけで、100名を相手するのは無理だった。

小分けして、参加するよ、これからは。

いつでも呼んで頂戴。

からだが持ち続ければ。

 

昨日は、家で倒れるように寝たが、今日も疲労は続いている。

全国での接待、懇親はありがたいが、γ-GTPが3倍になった・・・

壊れないようにしたいが、やっぱり、九州での定期的な講義はつらいのも事実・・・いつも夜の新大阪駅で逃げだしそうになるが、「責任」ある以上、そんなことはできない。学生もそれに気づいてもらいたい。

それにしても、週に他学・大学院もいれて10コマだもんな。

会議が増えた分、セーブする。

そういう神経回路を作る、制御する、抑制する、それが発達だ。

 

もう少し精神年齢を発達させたい今日この頃です。

 

さて、今日は巷は休みだが、本学は講義日です。

 

今から「健康科学研究所運営委員会」に出席です。

 

ブロック学会のページが作られていますね。

第47回近畿理学療法学術大会

第58回北海道理学療法学術大会

 

ついでに、第42回日本理学療法学術大会

第42回全国研修学術大会

 

 

 


共同注意

2007年04月23日 17時31分42秒 | 過去ログ
岡山-姫路と遠征・・・時間が破綻している.
岡山の昼間では「学ぶために必要なもの」というテーマでいくつか挙げてもらったが,そこには時間はなかった.
夜間では「時間」が出てきた.

昼間の現役生は「時間」があるのだろう.
「時間」を大事にするのは,社会人,もしくは,実習に行ってからであろう.

それが破綻するから,パニクルのだろう.

どう生きるかを学ぶときだ.

ひつような心理的道具を「自己」「他者」「道具」といった環境のどこに依存しているかを考えてもらった.

内界と外界を考える意味でも重要な「教育学」であると思う.

あとは「身体」を介して感じる記憶を残すことが失われつつある問題点を指摘した.


姫路での講演は少々概念的で申し訳なかったが,何人かの思考回路に影響してもらえればいい.
いろんな思考・感情があっていいと思う.
そういう自分を作れば,投射線維,連合線維が豊かになると思うよ.

「いないのが一番悪い」「物言わぬものが一番悪い」

何かに対して,感情的になったり,論理的になったりして,ぶつかり合うことは人間しかできない.
時にはそれが衝突し,すれ違っても,そういう相手の意識に出会わないと,自分の意識に出会えない.

自己と他者の間の意識生成は何かの問題について「共同注意」することだ.
他人の問題と自己の問題は同じでない.
なぜなら,経験が違うし,人生の重み付け(脳の記憶の重要度)が違うからだ.

学生もいろんな意見に出会い,自分のこころと衝突してるかもしれないが,それだから人間なんですよ.

僕は,いろんな衝突を楽しんでいます.
そういう経験があるからいろんな自分(他者)に逢えるからです.




見ると言うことは,何かの視点に立つことであり,これは教育や臨床のみならず,いつもの生活に存在している.けど,その視点は変化している.

将来的にその視点は変わるし,明日には変わっているかもしれない.

「必ずしもそうではない」と思うから,勉強するんだろう!?

わかるとは変わること.

脳や身体を勉強している(研究している)(臨床している)人たちもその変化がない場合がある.


実習生の小松君からブログを見た後の嬉しいメールがありました.

生涯,重心動揺のように,こころも揺れているよ.
「不安」があるから,脳には栄養が行く.

完璧はその漢字の通り「壁」を作ってしまう.
弱いところや,強いところ,いろんな人間がいるから,いろんな仕事が機能している.

日本の列車の時間のように正確さを求めれば「破綻」するし,イタリアの列車の時間のように適当になれば,「信用」を失ったりする.

けど,地球全体で考えれば,それもシステムとして機能している.

どっちがいいとか決めることはできない.

あなたが,どっちの立場に立つかで,それは変わる.

さてさて,奈良リハに向かって講義をしますか.


きれいにまとまることなんかはない.

何が良いかは,時代が変われば変わる.

写真は「雑草」として扱われている「草花」たちです.

見方が変われば変わる.

概念で見なければ,そうは見えない自分がいる.

しかし,人間である以上,どうしても概念が形成される.

なんか虫(バッタ)がいるようにも見えませんか?

やはり自分の目で確かめ,自分の手で触って確かめるしかないですね.


人生とは難しい旅です.


自由ということ

2007年04月19日 23時35分17秒 | 過去ログ
あなたがもし毎日のくらしの中で「考えるのがめんどうだ」「人の言うようにしたほうが楽だ」「言われてからやるほうが楽だ」と思っていたら、それは自分で考え、判断し、行動できるという自由を大切にしていないことです。
              (文部科学省 小学校版「心のノート」より)

自由とは「楽ができる」ということでない。

自由は秩序のなかにあります。

それは自分に対する責任と他人に対する責任です。


真面目とは実行することだ(夏目漱石)。

僕は学生時代は真面目とは言えなかった。

けれど、真面目にしている人たちを「馬鹿にする」なんてことはありえなかった。
真面目にするということは、恥じることでない。
思春期にはそういう「馬鹿げた」傾向が一部にある。


今も真面目とはいえないかもしれないが、何とか、何とか・・・真面目にがんばっている。


何をそんなに急いでいるんだ?

2007年04月19日 23時18分24秒 | 過去ログ
今日は朝一から学部の授業。
大学院の授業が始まって、それが夜間だから、時間が狂っているが、そのせいで朝の授業はエネルギーが出ず、よくかんでしまう。
マイクを使いたい気分だ。
ただでさえ、90名強は多いのに。
講演で100名程度でもマイクを使っているしな。
セッティングがめんどくさいので、だれかにしてもらいたい。
学年委員はきまったんだろうか。

いずれにしても、2回生の諸君のおかげで、私自身の意識経験ができています。

午後は学術振興委員会。
研究所の件、助成研究の件など、委員として発言する。
その後、第2会議室から第1会議室に横滑り。
学科会議に参加。
まずは、理学療法士のみの小会議。
・・・・・・・・の話をした。
いろんな話である。
その後、全体会議。
同じく、・・・・な話をした。
終わったのは18時前。

そのまま、大学院の講義へ。

脳にとっての美とはなにか?という視点で、話をする。

「感覚」の美
「こころ」の美について、本学の建学の精神である「徳を伸ばす」「知をみがく」「美をつくる」の視点から、「徳」と「美」を取り上げ、脳科学から話をする。

いや、話してて面白い。

医学でなく、芸術、文化、人間関係を科学から話をすると、本当に楽しい。

ベーシストがなぜ、ベースをひきながら歌がうたいづらいかが、話をしててわかったような気がする。突然に生まれた仮説だ。
ギターは歌えるが・・・
それにしても、ポールマッカートニーはえらい。
講義ではスティング、矢沢を出したが。
よくよく考えると、ポールのベースとハーモニーはすごいと思ったが、ポールのベースは旋律ベースだな・・・リズムと旋律の脳の使い分けが難しいのだ。
右脳、左脳の意味を考える。


さてさて、実習生諸君。

「ちゃがまっているね」(高知弁)

何をそんな急いでいるんだ?

自己を知るため、無知を知るため、いろんな人間を知るため、いろんな思考を知るため、いろんな志向性を知るため・・・・・・そして、ずれを感じるために、行っているんですよ。

この段階で、「完璧」だったら「人生」面白くないでしょう。

甘いも酸いも知っているから、「余裕」が生まれるんですよ。

「完全」なるものは、「人」である以上、存在しない。

駄目でいいじゃないですか。

新たな自分(駄目な自分、悩める自分、そしてがんばっている自分)に出会えるということは幸せなこと。

発展途上国の<一部>の子供たちは、そんな選択肢すらないんだよ。

でも、ちょっと待った!
そもそも、その駄目とはどういうことなのか・・・・・何によって判断したのか(されたのか)。
見方を変えれば変わるかも。
俺の本、読んだのか・・・ 観察者の視点だよ(あ、青本だから学生は読んでないな・・・)。

いずれにしても、基礎学力がないだの、無知だの、応用能力がないだの・・・いろいろ言われているね。

抑鬱になるのは、何かを達成してからでいいんじゃない。

まだ、あなたがたは何も達成していないよ。

立花隆がこんなことを大学生に言っています。

「君たちは何者でもない」


その経験をこれからの後輩たちに伝えることができるよう、自己言及し(他人を否定せず)、進める隙間を探しながら、少しずつ進んでみてください。


いずれにしても、もっと、2回生や3回生のときに勉強しておけばよかったと思っているでしょう(そういって逃げ出しそうになっていますね)。大学生って甘いですよね。それでは専門学校生に駆逐されますよ。
ま、そういう経験を秋に後輩に伝えて伝統を作ってください。
頼みます。

まだまだはじまったばかり。

2回生はどれだけこけるか・・・心配だ。

こればっかりは、PTとしての直感が当たるからいやなんだ。



いずれにしても、そのもがいている経験をもとに、後輩や、未来の後輩たちを助けでくれないだろうか。

困っていたら助ける、それが人(間)です。
そのための苦労、苦悩、経験です。


人間違って当然。
違うから尊重しあえる。

今生きている自分を感じ、その人生というキャンバスに自分で色を塗るように。
くれぐれも、青いりんごをペンキで赤くするようなことはするべからず。

自分を育てる。
それが働くための第一歩。

働くということは自分のためにだけではないことを、くれぐれも感じ取るように!



第2回 奈良県認知運動療法勉強会

2007年04月19日 10時48分04秒 | 過去ログ
第2回 奈良県認知運動療法勉強会を開催します。

日時:平成19年4月23日(月) 19:00~
場所:奈良県総合リハビリテーションセンター 
参加費:無料

内容:講義 認知運動療法の基本
    講師 森岡 周      

参加を希望される方は所属と連絡先を記載し、メールにて下記まで申し込みをお願い致します。
なお、勉強会終了後に食事会を予定しています。参加希望の方は、その旨もお書きください。
※お申し込みは4月20日(金)までにお願い致します。

申し込みおよび問い合わせは・・・
 藤田浩之(平成記念病院)
   nnrss_kk@yahoo.co.jp


※ 基本の基本しか話しません.

同級生たち

2007年04月18日 23時58分59秒 | 過去ログ

近森時代の同級生の本が出版されている!

お互いがんばるね、どこまで続くか。

健ちゃんがクラウンV8、俺は300ZXのシルバーだった。

給料の8割は車の関係で飛んでいた。

馬鹿だった。

馬鹿は「ばか」なりに怒られ、診療の厳しさを痛感させられていた。

時には治療のことで、先輩や同級ともめ、けど、病院の出し物には本気でぶつかった。

出し物がだめなんていわれると、本気で噛み付いた。

今思うと、恥ずかしい限りだが、依然として、その子供ぽいところは残っている。

 

石川-森本-伊藤組健在か! 同期入職の今井先生も今は院長!

 

最近、香川の同級生とも久し振りに電話で話す。

PubMedを見れば、出てるね。

しっかり仕事をしている。

相変わらず、学術はすごい。

 

お互い、今すぐの結果なんて求めない、なんて話をしたね。

臨床にしろ、学術にしろ、地道に行い、20年先の未来がよくなっていればそれでいい。その世界に自分の身をおいたことに幸せを感じれるように、がんばりましょう。

 

私もがんばっていますよ、まだまだだが・・・

 

http://www.ne.jp/asahi/jubus/com/illness/html/illness377.html

 

http://www.ne.jp/asahi/jubus/com/medical/html/medical39.html

 

http://blog.goo.ne.jp/neuro-kio

上記の年度業績は大学院生の村上君がタイプしてくれました。

彼は福岡の遠隔地でインターネット授業を受けています。

 

さて、今日はもう休みましょう。

明日は授業2コマ、会議3コマ、計7.5時間。

明後日は岡山で3時間の講義、明々後日は姫路で5時間の講演ですね。

準備は新幹線のなかでということで、許してください。

 


大脳新皮質

2007年04月18日 14時19分07秒 | 過去ログ
大脳新皮質が何のためにあるのか,実習生の一部はそれがよくわかっていないようだ.

人生が思うようにいかないから,あるんだよ.

予測通り(今まで生きてきた履歴通り)じゃないから,大脳新皮質を作ってきたんだ.

体育会系は古い実習指導者だけかと思えば,21~23歳の若い脳にもあった.

脳幹だけで,反射のように動き,仕事を覚える,そういう仕事ではないよ.

医療は.

むろん,優れたスポーツ選手は脳幹で動いていない.

もちろん,どのような仕事であれ,大脳新皮質を使って,問題解決しないといけない.

逃げたら,爬虫類になっちゃうよ.

誰かに助けられるばかりでなく,誰かを助けてあげなよ.

そのとき,生きていく意味を感じるよ.


GABAとしての機能

2007年04月18日 07時44分15秒 | 過去ログ
木曜から始まった授業~遠征のおかげで、奈良に帰ってきた月曜は体が動かず・
これが1年間続くと思うとぞっとする。
講演を控えようと思った。

神戸の新開地の風情には驚いた。
アカデミアを抜け、町を探索した。
会場にはフランス映画がいっぱい、思わずそちらに行こうと思った。
場所が場所だけに、女性が夜うろつくところではないと思う。
いずれにしても、自分の目(からだ)で見て確かめることだ。
アカデミアに関しては、ここでは何もいわないが、ヒエラルキーの構造形成にならなければいいが・・・と思った。
GABAとしての機能する人間が周りに必要だ。
いずれにしても、議論するとうことが必要。

また、この件に関しては、私の思いをぶつける。
満足してしまえば、終わりだ。

昨日から復活し、授業4コマ・・・

1回生のリハ概論、みんな素直で、すれていない(概念ができていない)。
大学に来て、この感覚がなかったので、うれしい。
思い込みだけに生きないよう援助できればいいと思う。

3回生の神経系、高次脳機能の授業なのだが、これもはじめて。
3回生に授業するのもはじめて。
2コマと長丁場だったが、みんな集中して聴いてくれたようだ。
70名の表情認知は疲れるが、それをしながら、話を変えて、寝かさない。
目が変わっているかな、来年は実習だからね。
中だるみすると思うけど、そのときは休み、その後修正を自らでかけてちょうだい。

いずれにしても、「脳」のすごさに興味を持ってもらえればいい。

18時に終わり、そのまま、研究室で大学院の講義準備。

19時40分から大学院の神経リハビリテーション特論スタート。
脳幹、辺縁系の機能に続いて、クリックの「結びつけ問題」と「クオリア問題」を取り上げ、機能局在の限界について話をした。

その後、われわれの研究室の向かう方向、そして、どこの部分をなにによって明らかにするかを話し、具現化を援助した。

すべては現象からはじまる。

そして、その現象を研究するためには、複雑な思考からある1つの仮説を生み出すことだ。
その仮説はシンプルにする。
シンプルは美しい。
AとBを比較する。
この単純な手続きは、いきなり生み出されるのではない。
シンプルにするためには相当な思考が必要。
それは、自分の脳だけでは作れず、論文を読みまくってください。
2006~2007年の論文も湯水のようにでています。
英語力をつけ、越境にチャレンジしてください。

クリックと意識の共同研究をしているコッホの研究室です。

http://www.klab.caltech.edu/

http://klab.caltech.edu/~koch/

大学院のライブ授業も機能している。
思ったよりいい。
これなら続けられる。

大学院の授業はいいですね。やってて楽しい。
双方向性だからだろう。
21時10分までの授業で、今日は6時間講義したが、疲労は少ない。

しかし・・・朝起きるとからだが痛い、のどが痛い。


さて、2回生のみんな、グループの代表者からメールが数通しか来ていないが・・・