高知Bay 5でのライブは無事に終わった。準備してくれたみんな、そしてBayのあつしさんをはじめスタッフのみなさん、ありがとう。
モニタアンプにつまずき、こけるというハプニング(人生はじめてで一瞬我にかえる)もあったが、マイクパフォーマンスもできたと思う。
1.20th century boy
2.I wanna be your man
3.Shock me
4.Rock and Roll
5.Lyla
6.Jamping Jack Flash
7.Stand by me
7曲目のオアシスのstand by meではかなり前にきてもらえた。贈る曲としては理想的だ。
宮本先生はRock and Rollのときは眼をつぶって想像していたらしい。
ここにジミー・ペイジとロバート・プラントがいるんだと。
charと布袋のコピーのギターバトルもよかった。みんないい「腕」を持っているね。「表現」するということはいいことだ。
高知医療学院卒業生の諸君、軌道をあげながら、羽ばたいてください。 高知の先生方もみなさんお元気なようで安心しました。
セーリングは永遠なり。
バンドのメンバーたちとも打ち上げ、AM3時までロックバー「ぽおる」でzeppelinのビデオをみながらやる(飲み続ける)。さすがに、ライブでくびを振りすぎて、体中痛いし、放心状態だった。 年齢を感じる。
しかし、高知は暑かった。こころだけでなく、気温も。思わず、クーラーかけてって言ってしまった。
翌日、高知空港に向けて、移動する。はじめてバス(いつもはタクシー)を利用するが、途中、追い抜いていく、パトカー、覆面などに遭遇する。やけにパトカーが多いのが意識にのぼる。事故か?事件か?
空港につくなり、「欠航」・・・「うそ」・・・と思い・・・
以前も2回ほど欠航(昨年度までは2週間に1度はこの便を利用していた)になったので、またかと思い、問いただすが、状況がいまいちつかめない。以前のときの整備不全でないような直感がはたらく。だから、デスクの女性を追い込まなかった。
しかし、閑散としてるな、静かだな・・・キャンセル待ちをするが、「その後も滑走路が使えない可能性あり」という言葉がどうもひっかかる(この段階では何も知らされていない、おそらく空港内が混乱が生じるという理由だろう)。10分ほど考え、どうもJRで帰ったほうがよいのではないかと思う。しかし、3時には大学に帰らないといけないので、間に合わないな・・・どうしよう。キャンセル待ちに乗ることができれば、間に合うが・・・ えいや~、JRにしよう。 おそらく、大学でその日仕事がなければ高知にとどまったと思う。
滑走路が使えないということはどういうことか?もう1回デスクの女性に聞くと、「上空を旋回している」とのこと。あ~わかった、どうも「胴体着陸」だな、と直感がはたらく。これでは、すべての便が欠航になるだろう、と思い、JRで帰ることを決心する。この段階では、アナウンスなし。 10時51分タクシーにのり、「後免駅」まで急いでもらう。滑走路横を走っていたら、消防車の山、野次馬の山、そこに10時54分、機材が着陸、なぜか胸をなでおろす。
「本当によかった」
「心底そう思った」
自分が少々不便になって、いやな「南風」に乗ろうが、そんなことはどうでもよい。
ただ、よかった。
それだけだった。
ひょっとすると、これの折り返しだったので、伊丹でそれに遭遇したのかもしれない。
機長も変わっていたし。
その後、「ごめん」から南風に乗り、いつものように揺れて、いつものようにうるさい(くさい)、そして、今日は暖房が利きすぎて「熱い」が、我慢できた。
いつもは「ライブ」の余韻に3日ぐらいひたり、卒業生の顔を思い浮かべ、しんみりするが、今回は、そんな余韻が消え去ってしまった。
強烈な意識経験である。
全国を飛び回る生活だが、こればっかりは、どうしようもない。
冷静な同い年の機長のプロ魂に感服し、私たち医療者も他者のために何ができるかを考えさせられた。
「自己」と「他者」である。 学生諸君の実習終了後の面接を今している、それを本当に思う。
一緒懸命やっている!それはあなたの思い上がりかもしれない。
一生懸命やろうが、やるまいがそんなものはどうでもいい。
実習が楽しいとか、苦しいとか、そんなことはどうでもいい。
「他者」がどう感じているか、それを知ろうとしてください。
あなただけの「脳」で世界は作られていない。
「脳」は200人いたら、200通りの活動が存在する。
今回の楽しさが、次の楽しさになるとは、必ずしもいえない。
人生を楽しめることができるように、自分を操作することだ。
さて、午後も面接ですね。
写真は池田先生のブログからパクリました。