先週末の学会を経て。。。何かのわだかまりが残ったままでもある。そして、この10年を振り返り、自分の無力さも痛感している。何を思って臨床を直接的な面で捨て、脳科学を療法士に提供し続けてきたかと。
神経心理学者は病態を分類したり、統合しながら構築していくことが仕事で、それの治療を積極的に開発することではない。だから、療法士は学者に対してそれを求め、教えていただこうとする態度はやめた方が良い。自分たちがその科学に基づき、そして自分の哲学を含めて開発したものをきちんとした説明できる変数を用いて、彼らに返し、議論を起こすべきである。そのためには、仮説を検証すべき目的変数をたて、そしてその目的変数を説明する変数を複数たて、検証されたのか、されなかったのか、何がわかって、何がわからなかったかを、最低でもきちんと説明すべきである。
ちょっと厳しい表現だが、いろいろなところで(このfacebook上でも、様々な治療法や開業療法士からも)仮説検証アプローチといわれているが、仮説を検証する、そしてそれを説明するアウトカムが全く設定されていないのが残念である。概念正当化解釈アプローチとでも名称を変更したらどうかとも思う。
科学の中にいると厳しい目にさらされるべきだと常に思う。
基礎学者達も自分のデータをもってこず、少しなめられた感が否めない。僕はそこが非常に悔しい。自分のテリトリーでない学会によばれ、それに緊張する場合、自分のデータをもってきて、承認を求める心理が本当である。懇親会で同僚の信迫が坂井先生とハーガードに関する研究の視点で話に花が咲いたようであるが、その辺りの議論を学会で展開すべきである。「今」を意識して。
一方で、学会は一般演題で成立している。(教育的な)講演ではない。一般演題を重んじ、最終的にはテーマについて方向性を導いて行くパネルディスカッションやシンポジウム(本来なら演題からシンポジストを選択すべき)で整理し、共有した提言をつくっていくものである。煙に巻くどこに行くやらわからない、ただ難しさだけを共有し、傷のなめ合いをするものではない。
暗黙的に安心を共有できる空間や時間になるのであれば、一度解体していくことも視野に置くべきだろう。守破離という意味でも。社会システムはそのように進歩するわけだから、個人の脳システムもそのように進歩するのである。
私自身、このような愚痴をこぼしてもしょうがない。それも過去。そして過去は過去。自分たちでそういう目標となるものを未来志向的につくればいいのである。