あらためて、本学の建学の精神の奥行きを考えた。
建学の精神
徳をのばす
住みよい社会をつくるためには、先ず個々に敬愛の念をもち、
お互いの幸せを願い、恵みを与えあう心を養わなければならない。
すなわち小さい徳を積み、社会を潤していく精神を養いたい。
知をみがく
人間の進歩向上とは、自己の才能を最大限に錬磨することである。
知識欲を失えばただ退歩あるのみである。
私達はあくことなく頭脳を磨き、励まし合い、研究的な態度を養いたい。
美をつくる
すべての優れた技術はこの世の中にすばらしい美の贈り物をすることができる。
美しいものは見る者の心を澄まし、喜びと、やすらぎを与えてくれる。
私達の手で、一つでも多く、日々新しく美しいものを創造していきたい。
みなさんにお礼を言って締めくくり、この後、大学院の会議が終わると本年の仕事おさめになる。
1月にメルロポンティの墓前でいくつか誓ったが、時間を有効に活用できず、いろんな面で反省する1年であった。
とはいうものの、年3回海外、PTジャーナルの表彰、PT学会での3連続発表、そして、何よりも日本認知運動療法学会の開催。
2週間に1度、博多を往復していた。
その甲斐あっての学会かどうかは判断しかねるが、いずれにしても良い会だったと思う。
「意識」について、いや「私」の「意識」について深く考えることができた。
それにあわせて、第2弾の「リハビリテーションのための認知神経科学入門」を出すことができた。
その余韻に浸ることなく、講演講演。
どこに行ったのかもはや私の「記憶」には定かでないが、いずれにしても、いろんな機会があったんだと思う。
しかし、数が多くなると機械になった感がある。
ベルギーで強盗に会い、機械になることを拒んだが、なかなかこれまた難しい。
学園60周年記念シンポでは養老さんと対談。
個性的な裏側の一面を見ることができた。
いろんな人を使い分けている。
これは学会での茂木さんにも感じた。
「メタメタ認知」っていった部分の活動だと思う。
9月から12月の週末はすべて働き尽くめと、身体を壊しかけたが、これも時代であるとの認識に基づいて前向きに考えようと思う。
PubMedでの検索が十分にできず、原著を1本しか書くことができなかった1年。
打ち上げ花火のような学会、講演、出版など良い仕事はできたと思うが、私のもっとも好きな時間、検索しまくり、読みまくる(乱検索、乱読)という地道な時間がなかった。
そういう一見無駄な時間をどう作るかだ。
無駄なことはこの世にない。
無駄と思うのは、自分自身のバイアスであり、それは未熟さである。
学生や若いやつに非常に多い。
無駄な努力っていうやつだ。
努力に無駄はない。
それに気づくにはしばらく時間がかかる。
それについては残念極まりなく、自省するところである。
来年のことは、どうなるかわからない。
その時々で現在進行形に生きていこうと思う。
それだけだ。
とりあえず、実験の時間をとる。
これはどうしても譲れない。
そうもいかなければ、優秀なサポートメンバーを募るしかないかな。
いずれにしても進んで行こうと思う。
29歳のときに「理学療法ジャーナル」で誓った、その年が近づいてきたが、そろそろ「健康」にも気をつけないといけないですね。
なにしろ、私の学部は「健康」ですからね。
「こころ」の健康を取り戻すか・・・
さて、会議終了後、明日は冷えそうなので今日中に、我がこころのふるさと、いや本当のふるさとへ。
来年はWhat's the Matter with You?! にならないように。
バックにはいっぱいの英文献と、コッホ、エーデルマン、ヴァレラの著、そして、お気に入りのCDたちを入れまくろう。
年末年始は、好きな人たちの文章と音楽と戯れたい。
今年の出会いに乾杯!
いろいろありがとうございました。
来年もどうかよろしくお願いします。
リハビリテーションに奇跡はありません、しかし進歩はあります。
セラピストが数多くの書籍や文献を読み、症例に立ち向かい、そして検討を重ね、さらに自己学習の場を設ける意味で、学会発表や論文投稿し、自分を省みるとともに、その場で触れた他者の意識を糧として、自らの知識・技術を備え、一人ひとりの患者さんへの治療の質を高めていく歩みをやめてはならぬ。
立ち止まるわけにはいかない。
みなさんのまことの進歩に来年も期待します。
とにかく、力を合わせて、批判的吟味をかさね(歴史を否定せずに)、進歩させましょう。