佐賀県理学療法士学会(例年よりも多くの参加者だったようです、期待に応えることができたか、、)での講演を終了し、博多からの新幹線に無事に乗ることができました。やっと家に帰ることができます。家に帰ることができるだけで、ささやかな報酬です。帰る家があるという。
講演後「スタッフ教育において、いかにしてスタッフの内的動機付けを高めていくか?個人の目標を内的なものとして設定してもなかなかうまくいかない」との質問をいただきました。それ自体がすでに上司から強制的に方向づけられた(言われた)外的動機付けになっているために、と。
これに対して、「動機付けと個人の報酬価値はそもそも違うため、上司・先輩は階段を下りて、部下・若者からはどのような見え方がしているかという意識を持つこと、すなわち、上司であるからこそ「視点取得」を持ち、彼ら・彼女らからは世界・環境がどのように見えているかのボトムアップ情報をピックアップすること」と質問に答えました。親が子のレベルに下がり、話を聞いたりするということや、今の時代を生きるために、むしろ先を歩いているものが、逆戻りするという意識(文化の中心である若者にあわせる)です。これで功を奏す場合ももちろんあるかもしれません。例えば、私たち中年の「おっさん」が「よさこい祭」を通じて、彼ら目線になり一緒に楽しみ、悩みを聞き出すという手段もこれに相当しますし、自分が学生教育の際にも、「俺たちの時代は」といわず、今の彼ら・彼女らの興味から物語をつくるという方法です。しかし、必ずしもそれでもうまくいかないことは多々あります。
ボトムアップだけではどうにもならないことは多々あるわけです。その場合は、トップダウンにdeadlineを設けた共通の「プロジェクト」を設定し、スタッフに日々の仕事以外の社会的役割を与え、協力のもと、そのプロジェクトをクリアしていくことも必要になります。これは質問では答えることができませんでした。「共同注意」の視点です。
けれども、これでもうまくいかない場合がおおいにしてあります。なんとなく、これは明確には見えてはいないのですが、先輩・上司が管理中心な生き方になり、自らが何かに向かって挑戦・探求しようとしていないことがあるような気がしています(いわゆる若年寄)。「俺はもういい、これからはお前たちの時代だ、おまえらが頑張れ」と、一見もっともらしい意見なのですが、これでは、もはや上司・管理者が「今(の情報)」を楽しんでいないわけです。これでは模倣しませんし、身体同調も後輩たちと起こっていきません。なぜなら同じ目線ではないからです。
「好きこそものの上手なれ」は部下・後輩に向けたものだけでなく、先輩自らが実践できているか、なわけです。楽しんでいる者には、楽しみたい者が集まり、自然と身体同調、すなわち行動が同調してきます。なぜなら、脳の活動(脳波リズム)が同調するわけですから。いわゆる「類は友を呼ぶ」わけです。
管理者は管理ができて当たり前、なぜなら、経験に裏付けられた「結晶的知能」を持っているから。しかし、それにプラスして、いまだ「今・現在」を楽しみながら(苦しみながら)挑戦しているか、そして、若い世代には負けてしまう「流動的知能」を若者からの意見として引き上げながら、その意見を踏まえて、一緒に物事を解決しようと行動をとっているか、これこそが、これまで人間が人間を伝承してきた秘訣ではないかと思うわけです。これに関しては、最後、時間の関係上述べることができませんでした。
これを端的にいうと、おそらく、一緒にアホになれるか、ですね。別名、夢中ともいいます。あとは、教育してやる、という意識よりも、愛するという意識かな、とも思っています。愛は知識の母ですから、、第一、教育してやるという一方向だけの意識が見えてしまったら、うざいですよね、、、おまえはどないやねん、って、、
いずれにしても、様々な臨床介入方法のベースには、それぞれの社会性、そして無意識にあらわれる非言語コミュニケーションが存在しています。むしろ、そちらで治療の成否は決まっていると言っても過言ではありません。先人たちのから残された言葉や、実証科学がそれを裏付けています。
技術を学ぶことも大事、しかし、セミナーとかのバーチャルだけで学んだ気にならず、日々の実体験から人間性の涵養につとめてくださいね!!私もこれが永遠のテーマです。
仙台ー札幌ー東京ー福岡ー佐賀、、めっちゃ疲れました、、かえって試験の採点しないといけませぬ、、けれども、心地よかったりするわけです。
講演後「スタッフ教育において、いかにしてスタッフの内的動機付けを高めていくか?個人の目標を内的なものとして設定してもなかなかうまくいかない」との質問をいただきました。それ自体がすでに上司から強制的に方向づけられた(言われた)外的動機付けになっているために、と。
これに対して、「動機付けと個人の報酬価値はそもそも違うため、上司・先輩は階段を下りて、部下・若者からはどのような見え方がしているかという意識を持つこと、すなわち、上司であるからこそ「視点取得」を持ち、彼ら・彼女らからは世界・環境がどのように見えているかのボトムアップ情報をピックアップすること」と質問に答えました。親が子のレベルに下がり、話を聞いたりするということや、今の時代を生きるために、むしろ先を歩いているものが、逆戻りするという意識(文化の中心である若者にあわせる)です。これで功を奏す場合ももちろんあるかもしれません。例えば、私たち中年の「おっさん」が「よさこい祭」を通じて、彼ら目線になり一緒に楽しみ、悩みを聞き出すという手段もこれに相当しますし、自分が学生教育の際にも、「俺たちの時代は」といわず、今の彼ら・彼女らの興味から物語をつくるという方法です。しかし、必ずしもそれでもうまくいかないことは多々あります。
ボトムアップだけではどうにもならないことは多々あるわけです。その場合は、トップダウンにdeadlineを設けた共通の「プロジェクト」を設定し、スタッフに日々の仕事以外の社会的役割を与え、協力のもと、そのプロジェクトをクリアしていくことも必要になります。これは質問では答えることができませんでした。「共同注意」の視点です。
けれども、これでもうまくいかない場合がおおいにしてあります。なんとなく、これは明確には見えてはいないのですが、先輩・上司が管理中心な生き方になり、自らが何かに向かって挑戦・探求しようとしていないことがあるような気がしています(いわゆる若年寄)。「俺はもういい、これからはお前たちの時代だ、おまえらが頑張れ」と、一見もっともらしい意見なのですが、これでは、もはや上司・管理者が「今(の情報)」を楽しんでいないわけです。これでは模倣しませんし、身体同調も後輩たちと起こっていきません。なぜなら同じ目線ではないからです。
「好きこそものの上手なれ」は部下・後輩に向けたものだけでなく、先輩自らが実践できているか、なわけです。楽しんでいる者には、楽しみたい者が集まり、自然と身体同調、すなわち行動が同調してきます。なぜなら、脳の活動(脳波リズム)が同調するわけですから。いわゆる「類は友を呼ぶ」わけです。
管理者は管理ができて当たり前、なぜなら、経験に裏付けられた「結晶的知能」を持っているから。しかし、それにプラスして、いまだ「今・現在」を楽しみながら(苦しみながら)挑戦しているか、そして、若い世代には負けてしまう「流動的知能」を若者からの意見として引き上げながら、その意見を踏まえて、一緒に物事を解決しようと行動をとっているか、これこそが、これまで人間が人間を伝承してきた秘訣ではないかと思うわけです。これに関しては、最後、時間の関係上述べることができませんでした。
これを端的にいうと、おそらく、一緒にアホになれるか、ですね。別名、夢中ともいいます。あとは、教育してやる、という意識よりも、愛するという意識かな、とも思っています。愛は知識の母ですから、、第一、教育してやるという一方向だけの意識が見えてしまったら、うざいですよね、、、おまえはどないやねん、って、、
いずれにしても、様々な臨床介入方法のベースには、それぞれの社会性、そして無意識にあらわれる非言語コミュニケーションが存在しています。むしろ、そちらで治療の成否は決まっていると言っても過言ではありません。先人たちのから残された言葉や、実証科学がそれを裏付けています。
技術を学ぶことも大事、しかし、セミナーとかのバーチャルだけで学んだ気にならず、日々の実体験から人間性の涵養につとめてくださいね!!私もこれが永遠のテーマです。
仙台ー札幌ー東京ー福岡ー佐賀、、めっちゃ疲れました、、かえって試験の採点しないといけませぬ、、けれども、心地よかったりするわけです。