森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

本日より愛媛~福井

2010年09月30日 07時24分27秒 | インフォメーション
第45回日本理学療法士協会全国学術研修大会
日時:22年10月1日(金)~10月2日(土)
場所:愛媛県県民文化会館
愛媛県松山市道後町2丁目5-1
TEL:089-923-5111(代)

10月1日 8:40~9:40
教育セミナー① 「脳から見た動作分析」
講師:森岡 周(畿央大学)
司会:鶴埜 益巳(高知医療学院)

10月2日 10:20~11:50
疾患別セミナー 脳②「脳血管疾患急性期の基本的アプローチとその効果判定」
講師:吉尾 雅春(千里リハビリテーション病院)
司会:森岡 周(畿央大学)



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第10回北陸言語聴覚学術集会
日時:22年10月3日(日)13:00~14:30
場所:福井県済生会病院
テーマ:認知機能・障害と行為システム
講師:森岡 周(畿央大学)



しかし,喉の痛みが半端なく,常時スプレーを携帯している様です.
全国学術研修大会ではメインホールの開会式前のオープニングレクチャーですが,
声が見苦しくならないか,あるいはそれでさらに悪化させないか,と不安です.
わがままですが後者が強いです.

日曜に福井から帰り,月~火と高知への出張ですが,その後病院に行こうと思います.
仕事よりも音楽への影響が大きすぎるので不安です(???).
生きがいを奪われてしまえば,私らしさがなくなってしまう.
そんなことを自分の体から感じている次第です.

しばらく筆談か!?と思うこのごろです.



日記:エポックメーキング

2010年09月29日 07時17分18秒 | 日記
昨日は福岡から兒玉隆之先生をお迎えし,
脳波に関する講演をしていただきました.
講演に先立ち,本研究室ゼミ生の楠元さんの脳波研究に関して御助言をいただき,
とても研究遂行にあたってクリアになり,
先生に来ていただいて本当によかったです.



講演は大学院生,学部関連ゼミ生,本学教員などが参加し,
電気生理,脳波の構造,脳波の歴史,そして解析方法と,
新旧すべてが2時間に凝縮した内容でした.
何気なく使っている用語を実に平易に明快に伝え講演技術はとても参考になるとともに,
一方で,いまさら聞けない内容も実に丁寧に講演いただきました.
先生のお人柄が出た内容と同時に,
絶対的に脳波研究に関する知識を感じ,
この業界にとって数少ない飛躍しすぎない脳研究者だと思いました.
実に基本に忠実で,ある意味,ボスに鍛えられてきたのだなと思いました.

内容は専門的用語があり,脳波に関する基本的知識がないと難しいかなとも思いましたが,
それもある部分は払しょくできたと思います.
少なくとも,私たちの研究グループにとっては,とても有意義な時間となり,
本学に導入された128ch多チャンネル脳波計,そしてEMSEソフトの研究進行に,
エポックとなる日となりました.


私はジェフ・ベック,エリック・クラプトン,ジミー・ペイジ,エドワード・ヴァン・ヘイレンのギターの音色の周波数解析図に感動しました!


今後脳波研究がわれわれのグループから飛躍的に進んでいく予感がしました.
松尾准教授がキプロスでの国際学会出席のため不在であったのが少々痛いが,
彼は無事にオーラル発表を終えてくるでしょう.

兒玉先生とは10年ぐらい共同研究できれば,さまざまな研究が国際的に世に出そうな予感がしました.
リハ領域ではまだまだ脳研究は不十分ですし,
ましてや,空間分解ばかりの議論ですので,時間分解と空間分解が同期化していけば,
飛躍的にこの領域の効果検証システムが進歩すると思います.
BMIも重要ですが,その前に脳評価(効果評価)にイメージング技術が使われ,
我々の療法の効果を眼で見て広く世の中に伝える必要があります.

幸いにも畿央大学には多チャンネルfNIRSが2台,
そしてEEGが1台,さらにはNIRS,EEGが同期化できるために
空間・時間両面からの考察,神経活動・血流変化の両面から考察することができます.
あとはパフォーマンスをみる様々な本学の装置といかに同期化させ,
フルシステムとして構築するかも,学内での重要な仕事になります.

将来的には本学のニューロリハビリテーションセミナーが,
発展的にニューロリハビリテーションセンター化し,
研究所併設の機関にUPDATEできればと思います.
そのための今は実績づくりであり,
そのセンターは広く地域の方々,そして何よりも脳損傷者に開かれた機関にできればと思います.
大学院開設,そして,健康科学研究所設立の次の仕事はニューロリハビリテーションセンター化(他大学との協力もしながら)だと思っています.

論文を書くこと,執筆をすること,そして,もちろん授業や研究指導をすること,も大事ですが,大学を広く開いたものと社会展開していくのも大学教員の重要な仕事です.

具現化できればと思っている次第です.
その起爆剤となる講演でした.


日記:脱A型?

2010年09月28日 05時16分57秒 | 日記
昨日から後期授業がスタートしました.
早速,午前中には人間発達学の授業を行いました.
夏休み明け一発目の授業らしく,注意の持続が可能か?と思いましたが,
大丈夫でした.

昨日は発達の前に人の進化プロセス.
そして脳がどのようにつくりかえられてきたかについて,
身体性,感覚,適応学習ら進めました.
そして不測の事態に対応することで脳は発達することをメッセージとして伝え,
来る社会への進出に向けて,自己認知していくことの重要性を科学から解説しました.

午後は教育学部のコミュニケーション心理学の授業と思いきや,
なんと,準備を整え,さあ,教室へと・・・向かおうとすれば,
教育学部は来週からスタートと発覚し.
その瞬間,どっと疲れました.
きちんと確認する.
基本的なことが怠っています・

と茶番が起こりましたが,
そのあと,4年生ゼミに入り,
ラバーハンド錯覚,tDCS・運動イメージと脊髄興奮性,痛みと脳,心的回転,振動錯覚,予測的姿勢制御に関する研究の方向性をみんなで確認しました.
あと1か月ちょっと,ギアを入れなおし,進めてもらいたく,サジェストしました.

18時からは大学院の授業の健康科学特論Ⅳの1回目.
今日は中枢神経系の発生,脳の構造,ニューロンとグリア,
神経伝達物質,シナプス形成とミエリン形成について話しました.

19時50分ごろより,院生の研究指導を行い,
21時に終え,自らの10月から毎週続く,講演資料を作成しようと思いましたが,
教育学部の出来事もあったためが,身体が重く,
明日に置こうと,無理せずに・・
なんか,最近,適当さが身についてしまい,あせらなくなってきました.
多少,締め切りが遅れ,迷惑かけると思いますが,
それに無理やり合わそうとすると,自分の精神が病むので,
自然体で,遅れてもしょうがないという気分でやっています.
大きく迷惑をかけ,進行に混乱を招かねば,それえよいと,
超おおらかになりつつあります.
これも自己防衛のための心理的な変化なのかもしれません.



10月~12月の講演スケジュール

2010年09月27日 00時01分50秒 | インフォメーション
第45回日本理学療法士協会全国学術研修大会
日時:22年10月1日(金)
場所:愛媛県県民文化会館
愛媛県松山市道後町2丁目5-1
TEL:089-923-5111(代)
テーマ:脳からみた動作分析
講師:森岡 周(畿央大学)

第10回北陸言語聴覚学術集会
日時:22年10月3日(日)
場所:福井県済生会病院
テーマ:認知機能・障害と行為システム
講師:森岡 周(畿央大学)

日本認知神経リハビリテーション学会ベーシックコース
日時:22年10月9日(土)~11日(祝)
場所:大阪労災病院
テーマ:リハビリテーション治療の歴史的変遷,他
講師:森岡 周(畿央大学)他
※すでに締切

大阪府立千里高等学校出張講義
日時:22年10月12日(火)
場所:千里高校
テーマ:脳と運動
講師:森岡 周(畿央大学)

大阪医療福祉専門学校特別講演
日時:22年10月17日(日)
場所:大阪医療福祉専門学校
テーマ:運動学習~神経科学の視点から~
講師:森岡 周(畿央大学)

青森認知運動療法研究会特別講演
日時:22年10月23日(土)~24日(日)
場所 : 青森県立保健大学 (青森県青森市大字浜館字間瀬58-1)
テーマ : リハビリテーションのための認知神経科学
講師 : 森岡 周 先生 (畿央大学)

ACTIVE STEP勉強会特別研修会
日時:22年10月30日(土)~31日(日)
場所:新別府病院(大分)
テーマ:ニューロリハビリテーションについて講師:森岡  周(畿央大学)

てんぷす那覇 講演・対談
日時:22年11月3日(祝)
場所:てんぷす那覇
テーマ:『五感で感じる」~人と人を繋ぐ
講師 森岡 周
対談 森岡 周vs.ソーシャルサポート アソシア施設長 神谷牧人
    森岡 周vs.女流写真家 古谷千佳子
    森岡 周vs.植物プランナー 新城圭吾

合同会社gene 主催シンポジウム
日時:22年11月7日(日)
場所:東京国際会議場
テーマ:中枢神経疾患へのリハアプローチの再構築
講師:伊藤 克浩 (日本ボバース研究会 会長)
     佐野 恭子(兵庫医療大学 講師)
     高倉 保幸(埼玉医科大学教授)
    森岡 周(畿央大学 教授)

第39回四国理学療法士学会
日時: 22 年11 月13 日(土)・14 日(日)
場所:高知市文化プラザ(かるぽーと)
〒780-8529 高知県高知市九反田2-1
TEL:088-883-5011
テーマ:身体知覚と運動学習
講師:森岡 周(畿央大学)

岡山協立病院出張講義
日時:22年11月26日(金)
場所:岡山協立病院
テーマ:神経科学とリハビリテーション
講師:森岡 周(畿央大学)

日本理学療法士協会 認定理学療法士必須研修会 講演
日時:22年12月4日(土)
場所:畿央大学
テーマ:運動制御・学習と脳機能
講師:森岡 周(畿央大学)

東京都リハビリテーション病院研修会 講演
日時:22年12月7日(土)
場所:東京都リハビリテーション病院
テーマ:理学療法のための脳機能partⅡ
講師:森岡 周(畿央大学)

沖縄活動分析研究会 講演
日時:22年12月11日(土)~12日(日)
テーマ:ニューロリハビリテーション
場所:大浜第一病院
講師:森岡 周(畿央大学)

畿央大学ニューロリハビリテーションセミナー(臨床編)講演
日時:22年12月18日(土)~19日(日)
テーマ:神経科学に基づいたクリニカルリーズニング,他
場所:畿央大学
講師:森岡 周(畿央大学),他





日記:酒を酌み交わせば・・・

2010年09月26日 06時46分33秒 | 日記
昨日は大阪スイスホテルで来るgeneのシンポジウムの打ち合わせを行いました.
スイスホテル前に,いつも利用しているアロマへ.
千日前は週末でごったがえし,これが普通の休みなんだと実感しました.
しばらく,夜以外に大阪に来てないな~と.
アロマで脱力感のなか,目を充血させながら,
スイスホテルへ.
gene代表の張本先生にお迎えいただき,
打ち合わせ会場へ.
ボバース研究会会長の伊藤先生と再会のあいさつを行い,
その後,兵庫医療大学の佐野先生,
そして,埼玉医科大学の高倉先生が来られ,
全般的に堅い内容の話となった・・・が,
その後,場所を料亭にうつし,
酒をかわしながら,徐々に打ちとけ,
すなわち,直球の会話でなく,
たわいもない会話から,場は和み,
お互いを知り,そして,笑い,
最終的には,遂行機能とは?認知とは?皮質下とは?神経科学とは?生理学と心理学とは?
認知心理学?実験心理学?はたまた河合隼雄氏,フロイト,ユング,ルリヤなど,
学問の話,そして半球間抑制,皮質脊髄路,網様体脊髄路,片麻痺の手,歩行の話へと進みました.
後半の盛り上がりから,議論となる様子でしたが,
時間切れだし,私もタクシーで戻らないといけない時間に.

議論の立ち上がりは緩やかだったけど,
これを複数回企てれば,その立ち上がりはすぐさま起こると思います.
関係性も学習です.
そうすれば,伊藤先生があおる「池田屋」となるでしょう.
「池田屋」ではおえらい方に殺されないようにしたいものです.
そこでは,脳卒中片麻痺を心底どうするのか?
そして日本のリハビリテーションをどうするのか?
と熱い議論としていきたいと思いますが,
何分,後者の方は,私は政治的なものはうといので,
勉強させてもらうとともに,もっと適任が議論に入り,
この国のリハビリテーションの方向性をナビゲートしてもらえればと思います.
僕は,いつまでもアウトローで生きたいと思います.

みなさん,個性的でユニークな一夜でした.
最初ビジネスセンターではどうなるかと思いましたが・・・
伊藤先生とは楽しく現象の読み解きあいができます.
サルトル的にフランスのカフェにいる気分です.
私は恩師の宮本先生とも毎日,昼夜を問わず,
たとえば,コップを見ることや,それをつかむこと,
あるいは重さを感じ取ること,など些細な日常の現象について,
あ~でもない,こ~でもないと20代の時からやってきました.
だから物事を単純には考えられないのです.
伊藤先生ともある一つの現象にたいして,
語り合い,その観察の仕方,そしてある種エマージェンスがおこる瞬間があります.
彼もある意味,立場はあれどアウトローなのです...

人間は根拠にない批判に立ち向かうと,強くなります.




僕自身は,神経リハビリテーションにはグローバリゼーションが必要と思っています.
アンチボバース,アンチ認知,アンチCIという視点が諸悪の根源と思っています.
アンチ巨人時代の阪神みたいなものです.
プロ野球はセパ交流戦のおかげで,少しグローバルな視点が入り,
今ではどの球団もオルタナティブになり,そうすることで,より上のレベルで個性的になっているように思います.

最終的には人間とは?人間の幸せとは?という議論を含め,
子供のリハや在宅リハを巻き込みながら,
リハビリテーションこそが,神経科学を最も応用できるものと,
世間を認知させていきたいと,
微力ながら,周辺からせめていきたいと思います.
私は直球勝負で,けんかするのは好みませんので.
相手を知りつつ,最大限頭脳を活かす.
そういう姿勢を後輩たちに見せていくのが,
われら中堅世代だと思います.

自分たちがすばらしいなどと,自己防衛,そして利権主義には嫌気がさす一方で,
それよりも,もっと悪なのが,何も志ももたず,
ただ動作訓練を繰り返してしまっているセラピストを知らないうちに
増産してしまっているこの教育システムであると思っています.

誤解を招くといけないので,動作訓練が悪でなく(運動単位を動員すべきはどんどんさせる,練習が必要な時はどんどんさせる),対象者の心を読み取らず,ただそれを繰り返している者をさしています.
一方,自らの解釈なしに,文献に書いてあるからと,そのまま導入するセラピストにも断固として異を唱えたいと思います.
「考える」ことを排除してしまうEBM研究うのみ人間はロボットでしかありません.
量だけ担保するというリハビリテーションにも.

子供の教育には最低限の機会(量)が必要であることはいうまでもありません.
しかし,ある程度の量が担保できれば,そのあとは教育・技術,そして関係性の構築というまさに質なのです.
その質自体が,個人差が大きいとエビデンスがないと片づけられるのはおかしいのです.
オリンピック選手があるコーチでは育ち,あるコーチでは育たない,
あるいはサッカーなんかその極み.

セラピスト以外は,リハビリテーションの質の違いを体験できていません.
だから一緒にまとめてしまうと楽なのです.
誰とは公のブログなのでいいませんが,
セラピストが立ち上がり,肯定的に異を唱えてもらいたいと思います.
そのためには信頼,すなわち業績が必要です.
信頼がおけないものが異を唱えても,ぼやきにしか聞こえません.

リハビリテーション自体が,以前はFIMの導入ですべてがADLだったのが,
今は神経可塑性が解明されたことによって,ニューロリハビリテーション学会が生まれました.
いささか,その身の変わりようは?と思いますが,
これも時代です.
それを推進していくことが,最終的には人間の幸せを作っていくのだから,
くだらん派閥などに巻き込まれず,ニューロリハビリテーションの質を声をあげて言っていこうと思います.
自分スタイルで.
自分らしさが奪われてしまえば,それは生き地獄.
これは障害者にも同じ.
自分らしさを取り戻すという,この目標につきます.
リハビリテーションは,自分らしさを取り戻す旅,
いや自分らしさを作る旅.
それに援助していくのがセラピストの仕事です.
だから私たちは,医師よりも教師よりも利口でなければなりません.
リハビリテーションとはとてつもない難解な学問なのです.

ゲゲゲの女房における「ぼんやり生きる」っていうのが「らしさ」だと思います.
(終わりました)


追伸:佐野先生のパンツルック,そして高倉先生の蝶ネクタイルックに目を和ませていただきました.調整役の張本先生に感謝.


日記:日記からなぜか正の不確実性へ

2010年09月25日 06時16分40秒 | 日記
この1週間ほどほとんど奈良にいず,
全国を移動していましたが,
安全地帯のライブ,映画を2本と,
自由人でいることができます.
土佐の男から,自由を奪ってしまえば,
大事な創造性が抜け落ちます.
創造に欠かせないのが,イメージです.
どれだけ,未来志向なイメージをつくることができるか.
未来志向なイメージでなく,過去の記憶のイメージは
単なる記憶の再生です.
予測であっても,予期とはいえません.
これからの人生をある意味妄想できる人間は前向きです.
前向き志向は,記憶の再生による予測でなく,
記憶から得た経験,知恵を活かすように
自分のこれからのふるまいを決断していく,
そのようなプロセスであり,
そのイメージ,妄想は100%あっているとはいえず,
だからこそ,楽しいのです.
例えば,毎朝の出勤,あるいは学校への通学.
毎日同じパターンで繰り返す.
これはもちろん記憶を使って,モデルを形成し,
そして脳が予測を働かし,適切な判断を下し,
運動実行に至らせています.
しかし,この通勤に何か,期待していますか?
それに比べて海外旅行に行く時は不安もあるけど,期待という正の予期をも生むでしょう.
正の予期がうまれれば,楽しいに決まっています.


例えば,通勤列車に一目ぼれした人がいるとしましょう.
しかし,それは毎日のことでもないような気がする.
けれど,毎日,その人に会いたい.
この違いは,不確実性です.
すべてが確実だと,脳は全く報酬を得ません.
実に身勝手です.
しかし,不確実性は自分の予期を絶妙な水準で超えてくれます.
先の例では顔を見ることができるということが報酬ですし,
そのあと,前向きに,話すことができれば,と妄想を膨らませていきます.
実に芸能人に対しても人間は前向きに妄想をふくらませていきます.
しかし,これも報酬です.
その不確実性が,50%どんどん切っていって,負の確率,つまり,先の例では会う確率が下がってくると,人間は負の情動にむかっていきます.
妄想と現実の微妙なずれである不確実を楽しむことができない確率で,
裏切られてしまうということになれば,それは課題が高すぎることになります.
常にそういう負の情動の出現は,人間の本能的なものとして,
危険と察知し,回避するようにできています.
そうしないと自分を身体反応を落ち着かせることができないからです.
うまく回避することが経験を使うことですが,
経験がないと,時に攻撃したり,時に無視したり,と,最悪の場合はそれが犯罪に向かったりします.
すべてが不確実では精神が落ちます.
安全基地(安全地帯)が必要なのです.

私たちの脳に記憶が蓄えられ,そしてコンピュータとは違って記憶を消去できていくのは,
こうしたものをうまく回避していくためなのです.
それが回避できなければ,人間は苦しいし,もっと追い詰められていきます.
そうすれば,悪い予期しかおこらなくなってしまいます.
その予期と結果が結合すれば,とても悲しいし苦しい.
予期ぐらい明るい予期でありたいものです.
人間の最も発達させた脳のありようなんですから.

龍馬の予期は明るいものだったのでしょうか?
しかし,途中でその予期は暗いものに変わったのではないでしょうか?
最終的に暗殺される予期をもってしまったように.


よき報酬によって,正の予期を生み出すのは,
60~70%は成功する体験をしていかなければなりません.
しかし,100%成功でも報酬は生み出されません.
絶妙なずれをプラスの方で感じる.
そうすれば,またよき予期がつくられていく.
人間はそうすることで一つ一つ自分の階段を上っていくのです.

その予期の階段の水準が高いのが,スーパースターなのです.


話が土佐人からこんな話になってきましたが,
映画「君が踊る,夏」を観て,そのようなことを思いました.
県外に住む高知の人間にはご褒美のような映画でした(追伸:MIYATAYAも出てたよ).
これは一人称であり,関西で生まれ育った人はそのようなことは思わないと思います.
町の風景,川の流れ,そして,はりまや橋を見れば,
高校時代などの淡い恋,そして彼女とのよき思い出がよみがえってきました.
今となっては悪い記憶の再生はされず,
よい記憶のみが再生されます.
負の出来事もいっぱいあったと思いますが,
そのあとの経験が豊富なために,
よき記憶しか残していないのです.
実に人間ってすばらしいと思いました.
時が自分を浄化してくれるなんて.
しかし,あくまでもその後の人生経験が必要であり.
もし自分がそのように要所要所で前を向いて歩いてこなかったら・・・と思うと,
人生っていうものは出会い,そして新たな出会いっていうものがいかに大切なんだなと改めて思う次第なのです.

新たな人に出会うために生き続ける.
そして,その人の変化(たとえば,おじいさんであれば孫)を感じ取っていける.
人生っていうものはそういうものなのでしょう.
そうでないと,生物的に生きるために生きるっていうことになります.
生存のための脳の作動のみになります.
確かに,突然の災害などがおこれば,それが作動しますが,
安全基地があれば,前向きにいられる.
まさにそれがLa vie en Roseなのです.

追伸:生粋の土佐の人間にとって,「よさこい」というのは宿命なのだと感じました.
宿命というのは,根拠のない志です.そこに根拠をもたらしたら駄目だと悟りました.




oasis music

2010年09月25日 00時00分34秒 | 音楽
Take me to the place where you go
Where nobody knows if it's night or day
君が辿り着きたい場所へならどこにでもお供するよ
誰も踏み込んだことのない魔境であろうと
夜であろうと昼であろうと

Don't Look Back In Anger- oasis LIVE



映画BECKのエンディング「Don't Look Back In Anger」はだいぶ前にやりましたが,ビデオテープでした・・・せっかくなので,DVD(youtube)から再度「Stand by me」を

The Cortex - Stand By Me (COPY)


Oasis - Stand By Me






日記:シュルレアリズム

2010年09月24日 06時24分55秒 | 日記
昨日は大学院の前期入試でした.
15名定員に19名が受験しました.
ちなみに後期は5名定員です.

今年から看護学分野が加わったことから,
比較的,私学では良好です.
また,国立大学,公立大学卒業者の受験もあり,
母校での大学院進学でない道を選んでくれるということは,
畿央大学の行っている研究が評価されていることと
大変うれしく思います.
これこそ,大学院を開設してよかったと思うところです.

院生になった暁には,小さくまとまった研究でなく,
先行研究ばかりを意識せず,
先験的直観に導かれ,
そして,自分の目ですべてを確認することに
挑んでもらいたいと思います.


「病は気から」というように,
実は研究成果もある意味「病」の部分も多いです.
同じような論文しか読んでなければ,
同じような志向性になり,
結局同じような結果が導き出されてしまいます.
それで,ほっとして,結局は「支持する結果」となったと.
「信じる者は救われる」
まさに研究者のプラシーボ効果です.
これがデータをとったとしても,「宗教的」になってしまうゆえんです.
宗教は人間しか持ちえない最高次な機能ですから,
こうなることも否めません.
しかし,いつか,科学的な誤りを指摘する論文に出合うかもしれません.
地動説,天動説のように.




一時期,「パワーリハ」がはやりましたが・・・
あの効果は別のものがあるのではないかと・・・
女性には効果があり,男性には効果がない,
この本質的意味とは何なのか?
そのものはマシンでなく,おしゃべりであるとか,
あるいは,準備であるとか,あるいは化粧であるとか,
コミュニケーションとか,見られるとか,
その効果の本質は,高齢者にとって生きるために重要なのは?
思考を頭の中でめぐらせてもらいたいのです.
これではまだサイエンスになりえないのですが・・

大胆な仮説を持つということが必要なんですが,
そのためには,同じ分野だけでなく,
幅広い見識を持つことが大切です.
とりわけ,サイエンスを意識することなんですが,
サイエンスだけでなく,アートにも興味を持ち,
他領域,多領域から物事をとらえていく,
そしてそれをサイエンスに落とし込んでいくように構成してもらいたいと思います.

今回,私と面接官に入った金子研究科長は,ネクタイを外し.このようなものはなれないといい放ち,そのネクタイを示し,その模様がダリの柔らかい時計であることを示してくれた.
パリのモンマルトルの丘のダリ美術館で買ったとのこと.
金子先生の部屋にはさりげなく絵画があるし,
スパニッシュに音楽に詳しく,
さらに,物理学に大変明るく,
機械なんかは自分で作ってしまう.

網膜の世界的な研究者の横顔は多彩です.

パリには複数回行ってますが,
ダリ美術館,13年前に1回行ったっきりであることがよみがえり,
まさに,そのよみがえった瞬間,
ダリの意図したやわらかい時計の意味である,
記憶の固執の本質を思うことができました.




世界観

2010年09月23日 20時07分47秒 | 脳講座
理学療法学会や作業療法学会では,とてつもない数の発表がされています.最近は数の多さという理由のみで分科会化へと進行しつつあります.もちろん,その大義名分は専門化することでもっと深い議論をして発展につなげましょうというものだと思いますが,実質的には2,000発表もの運営ができないからという理由が本当のところなのでしょう.

一方で,理学療法学という学術雑誌はいまだ月刊化されず,読者離れが進行し,最近では原著論文だけでなく,講座が提供され始めました.これもなんとなくその場しのぎで,対症療法にしかなっていないように思えます.依然として,臨床実習訪問にいけば,封筒を開けていない学術雑誌「理学療法学」が散乱しています.

なんか矛盾に気づきませんか.学会発表のほとんどが臨床家によるものです.2000あれば1500は臨床家によるものでしょう.これだけ発表が盛んなのに学術論文は読まない,もちろん,書かない・・・

本来ならばその学会発表が論文になってもいいはずなのに.これは問題が相当に深いです.要するに,学会発表が最終到達目標になっているのです.本来,学会発表は未完成な状態であるはずなのに.

つまり,サイエンスに向かおうとしていない,学会であるといえるかもしれません.

全国規模でなくても少数人であっても,研究所が主催する身近な研究会であっても,そこに未完成なものを発表し,様々な知が結集されることで論文になっていくのではないでしょうか.何も全国学会で発表する必要はないのです.議論を深め,より緻密なデザインを考案し,そしてそれの検証の繰り返しを行う,そしてある程度の普遍性が生まれれば,論文にしていくように.

学会発表は現在進行形なライブであり,そのライブに基づいて,アルバムを完成させていくように.

目標を論文においてみてはどうでしょうか.せっかく,理学療法士にしろ,作業療法士にしろ,世界共通の言語・仕事なのに,国内の論文だけではもったいありませんし,サイエンスと昇格していくためには,世界規模の議論となっていくようにしむけないといけません.

そうすればもっと国内の学術論文の意味が見えてくるのではないでしょうか.2000発表の研究が毎年されているのであれば,日本の理学療法や作業療法が世界の中心になってもおかしくないはずです.言語の問題はあれど,そのような志を持つことで,もっと学術論文を読んだりすることが楽しくなるのではないでしょうか.

世界共通の仕事なのに,世界の動向・情報を知らずして,臨床を行っている皆さん,盲目にならず,進歩についていき,そして進歩させていくことが,私たちの責務なのです.現代の理学療法士や作業療法士は,未来の理学療法士や作業療法士に仕事を託す責任があります.もう自分中心にすごく限られた経験則で生きるのはやめにしませんか?

世界観こそ,脳の,心のもちようから変化するものです.